(乙女流量観測所)
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乙女八幡宮で地元のご婦人に出会い、
「乙女河岸に行きたいのですが」と場所をお訪ねすると、
「私はこの土地の者でないので良く解りませんが」との答え。
「乙女小学校の近くにあると資料に乗っているのですが」
「ああ、これからその小学校へ子供を迎えに行くところですから、
途中まで一緒に行きましょう」とのこと。
「その小学校に乙女河岸で川から引き揚げられた
石の鳥居の柱が校庭にあると書いてありますが、
ご存知ですか?」
「いえ聞いたことがありません」と言う。
日光街道から行くには、
国道4号線の小山市乙女の歩道橋のある信号を左折して、
県道50号線を乙女大橋を渡る手前に乙女小学校はある。
橋を渡れば、小山市網戸へ、その先は藤岡から佐野への道になる。
(日光街道小山市乙女の信号)
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日光街道に戻るには結構な道のりがあるので、
近道をしますと言って、参道を左へ折れて少し行くと、
県道50号線に出て左折した。
途中で、
「乙女河岸って私聞いたことが無いのですが」いう。
「実はボクは日光街道を歩いていて、
その土地にある名所や旧跡を訪ねているのです。
先ほど乙女八幡宮へ行って、貴女にお会いしたのです。」
間もなくすると、道路は下り坂になり、
先で登坂になっている。
また、道はY字路となり、地図によると乙女河岸は左方向となっている。
「ボクは左へ行きます。」
「私は右へ行きますが、
あの先の土手の上の車がある処に乙女大橋があります。」
と教えてくれて別れた。
Y字路を左方面へ行くと土手に突き当り、
すぐ右手に土手へ上る通路が出来ている。
土手を見上げると、若木の桜がはるか先まで植えられている。
(下流部分桜並木)
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土手に登ると、右手に乙女大橋が新緑の中に美しい姿を見せている。
乙女河岸がその左手下のようだ。
目の前に「乙女流量観測所」の白い杭が立っており、
土手の上には「乙女河岸」の案内看板が立っている。
どうやら乙女河岸はこの下の河岸を指しているようだ。
(乙女大橋)
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(乙女流量観測所)
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(乙女河岸の案内)
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(乙女河岸)
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乙女河岸から右手の乙女大橋に向かう。
橋から上流にかけても土手には桜がたくさん植えられている。
橋のたもとの土手が少し広くなっており、
石の柱と千石船のようなものが展示されている。
どうもこれが先ほどのご婦人に話した鳥居の柱に違いない。
校庭にあるはずの柱が、こんなところに展示されているのでは、
ご婦人がご存じないのも仕方がない。
(石柱)
(高瀬舟)
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(土手に咲く桜の若木、上流部分)
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(思川の橋脚)
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ここで初めて川が、「思川」であることを知った。
小山市教育委員会によると、
(この石柱はかって思川の乙女河岸付近の河道に埋まっていたもので、
昭和54年(1979)河川改修の際引き揚げられたものです。
古くから地元の人々の間では、
筑前藩主、黒田長政(1568~1623)が日光東照宮へ寄進した大鳥居の一部と伝えられ、
高瀬舟で運ばれたものが落下したものと言われてきた。
石質の白御影石は、色調がきれいなことに加え、
大変硬質で耐久性に優れており、
鳥居をはじめ建築用材として古くから用いられてきました。
乙女河岸の歴史から、日光東照宮とのつながりが想定されるが、
詳しいことは不明です。―後略)とある。
(乙女河岸の模型=小山市博物館より)
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乙女河岸の歴史を物語る川舟からの落下物であるようだ。
沢山の資材などが行き来した様子がうかがえる。
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乙女八幡宮で地元のご婦人に出会い、
「乙女河岸に行きたいのですが」と場所をお訪ねすると、
「私はこの土地の者でないので良く解りませんが」との答え。
「乙女小学校の近くにあると資料に乗っているのですが」
「ああ、これからその小学校へ子供を迎えに行くところですから、
途中まで一緒に行きましょう」とのこと。
「その小学校に乙女河岸で川から引き揚げられた
石の鳥居の柱が校庭にあると書いてありますが、
ご存知ですか?」
「いえ聞いたことがありません」と言う。
日光街道から行くには、
国道4号線の小山市乙女の歩道橋のある信号を左折して、
県道50号線を乙女大橋を渡る手前に乙女小学校はある。
橋を渡れば、小山市網戸へ、その先は藤岡から佐野への道になる。
(日光街道小山市乙女の信号)
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日光街道に戻るには結構な道のりがあるので、
近道をしますと言って、参道を左へ折れて少し行くと、
県道50号線に出て左折した。
途中で、
「乙女河岸って私聞いたことが無いのですが」いう。
「実はボクは日光街道を歩いていて、
その土地にある名所や旧跡を訪ねているのです。
先ほど乙女八幡宮へ行って、貴女にお会いしたのです。」
間もなくすると、道路は下り坂になり、
先で登坂になっている。
また、道はY字路となり、地図によると乙女河岸は左方向となっている。
「ボクは左へ行きます。」
「私は右へ行きますが、
あの先の土手の上の車がある処に乙女大橋があります。」
と教えてくれて別れた。
Y字路を左方面へ行くと土手に突き当り、
すぐ右手に土手へ上る通路が出来ている。
土手を見上げると、若木の桜がはるか先まで植えられている。
(下流部分桜並木)
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土手に登ると、右手に乙女大橋が新緑の中に美しい姿を見せている。
乙女河岸がその左手下のようだ。
目の前に「乙女流量観測所」の白い杭が立っており、
土手の上には「乙女河岸」の案内看板が立っている。
どうやら乙女河岸はこの下の河岸を指しているようだ。
(乙女大橋)
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(乙女流量観測所)
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(乙女河岸の案内)
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(乙女河岸)
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乙女河岸から右手の乙女大橋に向かう。
橋から上流にかけても土手には桜がたくさん植えられている。
橋のたもとの土手が少し広くなっており、
石の柱と千石船のようなものが展示されている。
どうもこれが先ほどのご婦人に話した鳥居の柱に違いない。
校庭にあるはずの柱が、こんなところに展示されているのでは、
ご婦人がご存じないのも仕方がない。
(石柱)
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(高瀬舟)
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(土手に咲く桜の若木、上流部分)
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(思川の橋脚)
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ここで初めて川が、「思川」であることを知った。
小山市教育委員会によると、
(この石柱はかって思川の乙女河岸付近の河道に埋まっていたもので、
昭和54年(1979)河川改修の際引き揚げられたものです。
古くから地元の人々の間では、
筑前藩主、黒田長政(1568~1623)が日光東照宮へ寄進した大鳥居の一部と伝えられ、
高瀬舟で運ばれたものが落下したものと言われてきた。
石質の白御影石は、色調がきれいなことに加え、
大変硬質で耐久性に優れており、
鳥居をはじめ建築用材として古くから用いられてきました。
乙女河岸の歴史から、日光東照宮とのつながりが想定されるが、
詳しいことは不明です。―後略)とある。
(乙女河岸の模型=小山市博物館より)
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乙女河岸の歴史を物語る川舟からの落下物であるようだ。
沢山の資材などが行き来した様子がうかがえる。