楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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慈眼寺(じげんじ)ー金井神社(旧日光街道を歩く 54)

2016年10月22日 04時45分58秒 | ひとり歩き旅
小金井の一里塚を過ぎて旧日光街道は国道4号線と合流している。
進むと慈眼寺(じげんじ)の看板がある。

七福神の一つらしく、門前に布袋様の石像がある。
その並びに庚申塔、二十三夜塔などが並んでいる。

(旧街道が合流している国道4号線)

(慈眼寺の看板)

(布袋様の石像)

(その他の石造群)


左奥に山門が見え、慈眼寺と刻んだ自然石が置かれている。
山門には「関東八十八ケ所霊場 第二十番札所 多宝山慈眼寺」と書かれた木札が掛けれている。

(山門)

(自然石の慈眼寺、真言宗智山派とある)

(関東八十八ケ所霊場 第二十番札所)


資料によれば、
(慈眼寺は上野の国の豪族 新田義兼で新田一族の祈願所として建立され、
ご本尊の十一面観世音は京都の醍醐寺より請来し、厄除の観世音で知られた。
建久7年(1198)に創建された古刹です。
境内には、江戸時代の建造物として観音堂や鐘楼が現存しています。
また、本堂南側には徳川将軍社参の際の御成り御殿がありました。)とある。

山門を入ると、すぐ左手に朱色の観音堂があり、通路を挟んで右手に古式の鐘楼がある。

(朱色の観音堂と十三重塔、通路を挟んで奥に見えるのは本堂)

(通路の脇にある灯篭には徳川の三葉葵紋が描かれている)

(朱色の観音堂)

(千手観世音の扁額)

(奥にある本堂)

(本堂の扁額 慈眼寺)

(屋根に見える葵の紋)

(右手の鐘楼)

(奥から見た江戸時代の古い鐘楼)


千手観世音を観音堂の隙間から覗いて見たが見ることが出来なかった。
しかし、観音堂の左手に石造りの立派な観世音があるので、我慢いただきたい。

(観世音菩薩)


鐘楼の手前には弘法大師の立像があり、足元に仏足跡がある。

(弘法大師立像)

(仏足石)


慈眼寺を出てすぐ隣に「村社 金井神社がある。

金井神社は一間三方入母屋造りの建築様式で、
壁面には天保~嘉永期(1830~50年代)の製作と推定される
壮麗な彫刻が施されている。
古くから小金井宿の鎮守として信仰されてきた。(資料から)

(「村社 金井神社」の石柱と鳥居)

(奉納された灯篭の数々)

(灯篭と鳥居)

(神社拝殿)

(金井神社の扁額)

神社の本殿は、厳重に赤い板で囲まれており、中が暗くて見えない。
しかし現在にカメラはレンズさえ入れば多少暗くても見事に映し出してくれる。
彫刻は何が刻まれているか、何か物語のように見えるが・・・

(金井神社本殿の壁面A)

(金井神社本殿の壁面B)

(金井神社本殿の壁面C)


なお、神社名の「金井」は「金(キン)が湧き出す井戸」と言う意味があり、
転じて、願いが叶うに通じると言う。
縁起が良いとされ、初詣、七五三などお祝いに参詣される。

金井神社の先隣に、小金井宿旧本陣跡を示す門構えが残されている。
この旧本陣には、明治22年(1889)には国分寺村が発足したとき、
村役場が置かれていました。(資料による)

(小金井宿旧本陣跡の門構え)

(小金井宿旧本陣跡の門構えB)


この先街道を偲ばせる古い家が散見される。倒壊しそうな建物には危険防止の作画してあった。
この辺りでが日光街道東京から87km地点である。

(古い家)

(東京から87km地点の表示杭)


その先に、朝方、道路に迷って出てきた小金井北の蓮行寺が右手奥に見えてくる。


(小金井宿から雀宮宿までの旧日光街道は観るべきものがほとんど見当たらない。
それでも我慢して歩きとおしましょう。宇都宮宿より先には、
観るべきものが沢山ありそうですから。)
コメント (10)
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