(パスタ・アッラ・ノルマ=なすとトマトのパスタ)
(お金)
パスタを食べるのなら、トマトたっぷりなパスタがボクは好きだ。
中でもなすとベーコンのトマトソースのパスタ(しかもぴり辛の
アラビアータ)が大好物である。
イタリア名物のパスタは、
イタリア南部へいけば行くほどトマト味になる。
シチリアで思い起こすのが、
オレンジとマフィア、太陽と青空とトマト。
その昔、コロンブスかマルコポーロか知らないが、
冒険家がヨーロッパに持ち込んだ花の一種として、
トマトは南米からイタリアにもたらされ、
今や世界中に広がりを見せるトマト。
白人にしては背も高くなく日本人に似た体系のシチリア人。
黒い帽子に黒装束のマフィアの男にオレンジを投げかける気の強い陽気な女たち。
ボクにとってシチリアはそんなイメージ。
(デザートのオレンジは美味しかった)
黄色人種の日本人にはどこの国の皆さんも親切。
日本人が特にと言うことはないが、
日本人が持つ財布に親切にしているように思う。
まさに金の切れ目が縁の切れ目で、
金がないというと親切も無くなってしまうに違いない。
(教会と青空)
南イタリア旅行の初日は、パレルモとモンレアーレの街の見学。
いずれも古い石造りの教会を見て歩く。
抜けるような青空に聳え立つ教会、入り口前の広場にある噴水と
見事な大理石の彫像が朝陽に輝きとても美しかった。
教会内部も荘厳で目を奪われたが、古い石造りのせいか、
室内は暗く明かりがなければ、
モザイクで作られた壁画などは、観ることも出来ず、
もちろんカメラにも収められない。
800年も前に描かれた壁画だというのに・・・
私達一団より少し前を、土地の信者と思しき人が黒いベールで顔を覆い、
祈りながら進んでいく。
彼女が進む先では、壁画が美しく明るく照らし出される。
観光客のわれわれが壁画を見ようと近づくと、暗くなってしまう。
不思議に思い、信者の夫人を観察すると、壁際にある賽銭箱にお金を
入れていることが判った。
賽銭を入れると数秒明かりがついて、
壁に描かれたイエス・キリストや聖母マリア像に照明が当てられるのだ。
(光りを受け浮かび出た壁画のイエス像)
「地獄の沙汰も金次第」とはよく言ったものだ。
お金さえ出せば地獄行きも天国行きに乗り換えられるに違いない。
そこはそれ、世界第二位の経済大国の日本人観光客、
現地の信者が投げる賽銭の十倍くらいはなんてことは無い。
ガイドさんの話しを聞いたら、何人もの方が信者でもないのに、
賽銭を入れるので、壁画の明かりは付きっぱなしのようなもの。
金の力は恐ろしい。
(壁画を見上げる観光客)
(天井の絵)
最近話題になったMファンドの社長や何とかドアーの社長が、
お金至上主義で無様な失態を見せたが、
何のことはない外国人から見れば、
経済大国の日本人は、みんな似たり寄ったりなのだ。
(回廊と中庭)
(教会入り口前にある噴水)
教会に隣接する修道院回廊も見事な美しさを見せる古美術といって良いだろう。
輝く陽光のもとで中庭の緑を眺める幸せを忘れることは出来ない。
教会と修道院をあとにして、
バスの待つ駐車場までは下り坂をしばらく歩いて、
イロハ坂のような曲がりくねった急坂を、
曲がり角にもし記号がついているとしたら、
イ、ロ、ハ、ニ、ホ、位の曲がり角を降りなければならない。
この急坂は道幅が狭く、
やっと二人がすれ違うことが出来る幅である。
この急坂の最初の曲がり角を曲がった向こう側に、
かなりの老婆がアルミ製のお皿を持って道行く人に
「お恵みを」ねだっている。
ボク達夫婦の前をイタリア人らしき若夫婦が(恋人同士かもしれない)
立ち止まって懐から財布を出して「お恵み」をしている。
さすが外国人はチャリティの精神が旺盛であると感動した。
ボクの持ち金は、昨日イタリアのレオナルド・ダヴィンチ空港で
両替した10ユーロ札だけで、小銭はない。
乞食に「お恵み」をするほど懐は暖かくないのだ。
まさか日本円の硬貨を出すわけにも行かず、
この際無視することにした。
カミさんがもじもじしているものの、
どうにもしようがない。
そ知らぬ顔で通過しようとしたが、
老婆もあっさり通過させてなるものかと
地獄の閻魔様もかくやあらんと、
しつこく言い寄って来たが、
ない袖は触れぬとばかり、
日本語で「ごめんね」といって通り過ぎた。
こんな場合「ごめんね」と日本語でも通じるものだ。
同行のツアー客も教会で壁画見たさに小銭を賽銭にしてきたので、
懐具合は同じであったようで、
可愛そうに老婆は、
この日本人たちはそうとうひどい貧乏人だと思ったに違いない。
中には、トイレチップが必要なときもあろうかと準備よく
小銭を用意していた人がいて、
「お恵み」をしてきたようである。
(下町の様子)
(婆さんが持つアパート?より青空が美しい)
坂の中腹には、これぞイタリアの下町を思わせる、
窓に下着類を干した光景に出くわしたので、
こんな老婆が居ても不思議ではないと思った。
さてバスに乗って、出発するとガイドさんが、
「坂の途中に乞食のような老婆が『お恵み』を求めて立っていましたが、
皆さんまさか寄付をしてきませんでしたでしょうね」という。
「実は前もってお話をしておけばよろしかったのですが、
行き道で出会わなかったので、
お話しませんでしたが、
あの婆さんはこのあたりでは有名な金持ちで、
アパートを三棟持っているのですが、
毎日やることがないのでああやって乞食をして、
暇をつぶしているのです。
一日掛かって一銭にもならなくても、困らないのです。
することがないので、
『お恵み』を求めて立っているのが仕事なのです」という。
お金は、三途の川でも役に立つほど大切だということを、
われわれ経済大国の小金持ちに、
この老婆は教えたかったに違いない。