(「東山 雲巌寺」の入り口、階段の上に山門が見える)
(那須・黒羽6)
芭蕉の館を出て、黒羽雲巌寺へ向う、
国道461号線を12kmあると言う。
橋を渡って、(前田T字路)の信号を右折して、
稀にしか対向車がない田舎道をひたすら走る。
山が迫ってきて、雲巌寺左の矢印を左方向に進む。
欄干にある擬宝珠が金色に輝いている橋を渡る。
変だなと首をかしげると、
次の橋の擬宝珠は銅製の錆びてくすんだ色をしている。
まもなく右側に雲巌寺バス停があり、駐車場がある。
バスは終点で、ここでUターンできる広い場所とバスを待つ小屋がある。
道路を挟んで左側が写真でも良く見る、
「雲巌寺」と長い階段と朱塗りの欄干を持つ太鼓橋がある。
(雲巌寺の入り口、手前の太鼓橋を渡る)
ここで奥の細道を思い出した。
「卯月(うづき)の天いま猶(なお)寒し。
十景尽くる所、橋をわたって山門にはいる。」
十景尽くる所、橋をわたって山門にはいる。」
とある。
曾良の「おくのほそ道―俳諧書留」に、
十景、五橋、三井(さんせん)について述べている。
雲巌寺十景:
海岩閣、竹林 、十梅林、竜雲洞、玉几峰(ぎょっきほう)、
鉢盂峰(はつうほう)、水分石、千丈岩、飛雪亭、玲瓏岩。
五橋:
独木橋(どくもっきょう)、瑞雲橋、瓜瓞橋(りてっきょう)、
涅槃橋、梅船橋。
三井(さんせん):神竜池、都寺泉(すうずせん)、岩虎井。
海岩閣、竹林 、十梅林、竜雲洞、玉几峰(ぎょっきほう)、
鉢盂峰(はつうほう)、水分石、千丈岩、飛雪亭、玲瓏岩。
五橋:
独木橋(どくもっきょう)、瑞雲橋、瓜瓞橋(りてっきょう)、
涅槃橋、梅船橋。
三井(さんせん):神竜池、都寺泉(すうずせん)、岩虎井。
これらは一体どこを指すのか、解らなかったが、
黒羽 東山雲巌寺の方丈で手を合わせたとき、
その横にあった「雲巌寺の解説兼絵葉書」を、
お布施 金千円也で求めたものに記されていた。
その雲巌寺解説書の表紙には「東山 雲巌寺」とある。
その冊子によれば、
雲巌寺十景の内、海岩閣旧跡は、
方丈の裏に当るが、豊臣秀吉の北条責めの時、
那須一族が雲巌寺にこもったため焼失したと言う。
十景の内、
鉢盂峰(はつうほう)は、方丈、仏殿、山門を南に一直線に結んだ、
向こうに見える山を指し、
その左になだらかに上る所を玉几峰(ぎょっきほう)、さらに左の山頂があるところが竜雲洞という。
(方丈を背に、仏殿、山門を南に一直線に結んだ先の山が鉢盂峰(はつうほう)、
その左のなだらかに上る所が玉几峰(ぎょっきほう)、その左の山の頂が竜雲洞)
五橋のうち、
瓜瓞橋(りてっきょう)は雲巌寺入り口の朱塗りの橋で、
瑞雲橋は雲巌寺見学後の退出する裏口に掛かる橋。
その他の十景、五橋、三井についても、
詳しいことは東山雲巌寺の小冊子を参照頂きたい。
さて、朱塗りの欄干橋―瓜瓞橋(りてっきょう)を渡り、
階段を登ると山門、その奥が仏殿、手前右側が鐘楼、
左手に佛頂禅師と芭蕉の句歌碑があり、
佛頂禅師
・縦横の 五尺にたらぬ 草の庵(いお)
むすぶもくやし 雨なかりせば
芭蕉翁
・啄木(きつつき)も 庵(いお)は破らず 夏木立
・縦横の 五尺にたらぬ 草の庵(いお)
むすぶもくやし 雨なかりせば
芭蕉翁
・啄木(きつつき)も 庵(いお)は破らず 夏木立
とある。
(山門の先にある仏殿)
(右手の鐘楼)
(左の句歌碑)
一つの碑に和歌と俳句が並んで刻まれている。
仏殿右横の階段を上がって、左の方に美しい方丈がある。
この方丈の裏が海岩閣旧跡で今は無い。
方丈の扁額には、
「人面は知らず何れの処にかえる、桃花舊に依って春風に咲(え)む」とある。
(美しい方丈)
(方丈の扁額)
(坂の左手を昇った所に佛頂和尚の山居の跡はあるらしい)
庫裏の先を裏山に登ったところが、
芭蕉が訪ねた仏頂和尚山居の跡だそうだが、
今は通行止めになっているのは残念である。
芭蕉が訪ねた仏頂和尚山居の跡こそ、
「おくのほそ道」にある
「当国雲巌寺のおくに、仏頂和尚山居の跡あり。
・縦横(たてよこ)の五尺にたらぬ草の庵(いお)
むすぶもくやし雨なかりせば
と松の炭して岩に書付侍りと、いつぞや聞こえ給ふ。」
・縦横(たてよこ)の五尺にたらぬ草の庵(いお)
むすぶもくやし雨なかりせば
と松の炭して岩に書付侍りと、いつぞや聞こえ給ふ。」
の仏頂和尚の歌も空々しく聞こえてくるからだ。
縦横 五尺に足らぬ草庵ー畳半畳分ーの佇まいをどんなであったか、
見てみたいものと思った。
修行の禅僧が世捨て人として生きる空間を。
この仏頂和尚と芭蕉は、深川の臨川寺(りんせんじ)からの親交があった人である。
帰りは方丈と逆に右手へ庫裏の横を抜けて、
階段を降りて三仏堂に突き当たり、
なだらかな道を右へ下ると裏門に出る。
(三仏堂)
(裏門)
裏門を出たところで、道路の落ち葉を掃除している小母ちゃんがいた。
「ご苦労様です」と声を掛けると、
「こんにちは」と返事が返ってきた。
このところ急に寒くなってきて、いくら掃いても落ち葉は尽きない。
「どんなにやっても、きりがないですね」と話すと、
「やらないより、掃いたほうが良いでしょう。
このお寺は住職と小坊さんの二人で、
門前にまで手がまわらないと思うので、
頼まれているわけではないが、こうしてきれいにしているのです。」
「御功徳な事でございます。その心がけでは、極楽へいけますよ。」
と言って別れたが、小僧と住職の二人にしては、
あの広い伽藍を、奇麗に維持するのはただ事ではないと思われる。
この裏門を出て道路に出ると橋があり、瑞雲橋という。
五橋について案内看板があり、これで五橋が良くわかった。
(瑞雲橋)
(五橋に加えて新道が出来たので八橋となっている)
(武茂川の清流)
時計を見ると、17時近く山際は薄暗がりになっている。
急いで駐車場に戻り帰宅した。
帰宅すると20時で、本日の歩行は11818=約7kmであった。
車の走行距離は400kmを越えていた。
(薄暗くなった鉢盂峰(はつうほう)
・短さは 今の時間と 秋の夕暮れ hide-san
氷点下20度ほどしか経験はないんですが、
20℃を超えると家の水道など凍り大変です。
いつもおいで下さってコメントいただくのですが、
URLの所にご自分のHPのアドレスを入れて欲しいんですが・・・↓
http://blog.goo.ne.jp/hidebach
どうもいつも私のHPのログインが入っているんですが・・・
宜しくお願いします。
いつも ありがとうございます♪(*'-^)-☆
衰えを知らない体力はブログ記事同様に感心します。
日々訪れる仏殿神殿は…自らの心をも神仏心に以心伝心
芭蕉の心境にもなれますね。
内容に面白みがないということでしょうね。
反省します。
URLの件大変失礼しました。
全部間違ったURLが入っていました。
訂正しました。
ご忠告有難うございました。
どうぞよろしくお願いします。
禅宗のようですね。
写真と文を通して、
行ったような気分になりました。
寒さ厳しくなりましたそれでも其れなりに過ごしておりま
す。
芭蕉の時代は、山の中であったと思われるのに、
12kmを良く歩いていったと思います。
もっとも交通機関は、今と違って籠や馬、徒歩しかなかったでしょうから。
退屈な文を懲りずに読んでいただき有難うございます。
体調にはくれぐれもご注意を!