その昔(1958)、大学を卒業するに当たって、
みんなで教授を囲んで謝恩会を開こうと言うことになった。
宴たけなわとなり、友人が歌を披露することになった。
それが、「人を恋うる歌」。
その歌詞は、
人を恋うる歌 ボニージャックス
「妻を娶らば 才たけて
みめうるわしく なさけある
友を選ばば 書を読みて
六分(りくぶ)の侠気 四分(しぶ)の熱」
であった。
ここで「六分の侠気(リクブノキョウキ)」と歌ったら、
教授から待ったがかかった。
「(六分)を(リクブ)とは読まない。」と言う。
厳格で間違ったことは教えない事で有名な教授であったので、
その通りにした記憶がある。
「六」は「りく」とは読めないのである。
理屈を言えば、そんなわけで「六義園/りくぎえん」とは読めないのである。
その昔は、六義園は(むくさのその)と言っていたことは前回書いた。
どこからどうなっか知らないが、いつの間にか「りくぎえん」と呼ばれるようになり、
六義園は(りくぎえんは)と呼ぶようになり、正式名称となった。
上記のYouTubeのボニージャックスも「六分の侠気を(りくぶのきょうき)」と唄っている。
しかし森繁久彌は、「六分」を(ろくぶ)と歌っている。
これが正しいようだ。
話を本題に戻そう。
その恩師は、T大を在学中か、卒業してからか、イギリスに留学生となり、
再びT大に戻り、学部の長であり、教授であった。
当時は55歳定年で、退官後ボクが卒業した大学で教鞭をとられた。
ボクが大学1年生(昭和29年)の頃、まだ紙が貴重品だったので、
新聞は、適当に切って再利用して鼻紙などに使用していた。
鼻をかむと、新聞のインクで鼻の頭が黒くなったりした。
そんな時代に、教授は
「ロンドンでは分厚い新聞を電車の中で読んで、
電車を降りる段になると網棚に捨てて行く」と、
当時の30年も前の事を話された。
このことがボクには強烈な印象として残っている。
日本では再利用するために、読んだ新聞をきちんと折りたたんで持ち帰る。
日本とイギリスでは、経済力の面で30年以上も劣勢であることを痛感した。
日本人は、その劣勢を撥ね退けるように、
そして国力の増強を図るように、国民は懸命な努力をした。
学校を卒業して、就職後しばらくして、
JR山手線の網棚に新聞を捨てて行くのが目立つようになったことを思い出す。
そして間もなく、宣伝のためとはいえ、
ティッシュ・ペーパーが無料で配られる時代がきて、
日本もイギリス並みになったかと思った。
そして夢中で働いている内に自分自身の定年が来て、
自らの夢である外国旅行をしてみると、
何のことは無い、いつの間にか日本の経済力は、
世界第2位になっているのをまざまざと感じた。
イギリスにもフランスにもドイツにも優る経済力であった。
その頃、農協さんがお金の力を世界に見せつけて、
爆買いをして、先進国の笑いものになったことを覚えている。
ついこの間の中国の観光客みたいなものだ。
日本人もやって居た。
中国人を笑えない。
>(六分)を(リクブ)とは読めない・・・理屈を言えば、そんなわけで「六義園/りくぎえん」とは読めない・・・
どういう経緯で、「六」を「りく」と読むようになったのでしょうか? 語呂がよいのか、面白い読み方です。
wikipedia.には、次のように記しています。
6 (六、ろく、りく、る、む)は、自然数または整数において、5 の次で 7 の前の数である。
そういえば、ティッシュのことを チリ紙(塵紙)なんて、いってました。^^
>六分(りくぶ)の侠気 四分(しぶ)の熱」
であった。
私もりくぶと聴いた覚えがあります。
違っているんですね。(苦笑)
>その頃、農協さんがお金の力を世界に見せつけて、
爆買いをして、先進国の笑いものになったことを覚えている。
自分たちも世界中から笑われても平気でやっていたことなのに中国の爆買いを笑う。
呆れますね。(苦笑)
わたしも足腰の立つうちに
また行きたいです。
チリ紙だけを獲れば、そのころの日本は経済的には半世紀遅れだったでしょうか。
初めて外国旅行をしたとき、1$=300円でした。
4年後には200円で、
今は110円前後。
学生時代は360円でしたが、アメリカ人は
理髪店で髪カットで1$、髭剃って1$、調髪して1$、
シャンプーして1$など、全部で5$だったそうで、
確かこの頃、日本では500円だったように思います。
アメリカと言う国はすごい国だと思いました。
色んなことが体験できます。
日本に来た反日中国人観光客のほとんどが、親日家になって帰るそうです。
中国人観光客のマナーの悪さに目くじらを立てないで、もう少し大きな気持ちで見守りたいです。
発展途上の段階ではある程度已む得ない状況があるのでしょうね。
今に、中国人が日本人を笑う時が来るかもしれません。