楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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渋沢喜作(板橋中央図書館)ー高島秋帆(郷土資料館)ー渋沢栄一スタンプラリー(2)

2024年12月15日 04時57分00秒 | ひとり歩き旅
渋沢喜作は渋沢栄一のいとこで、
幼いころから親しかった。

(渋沢喜作/パンフレットより)

このパンフレットによれば、
「渋沢喜作は彰義隊・振武軍のリーダー、
渋沢栄一の従兄であり、幼いころから親しかった。
幕臣となり、彰義隊の隊長を務め、官軍と戦い、
飯能戦争で敗れる。
その後、栄一の推薦で大蔵省に務めた。」とある。

写真右側の赤い丸の中が渋沢喜作のスタンプ。

次が板橋区の郷土資料館。

高島秋帆(たかしましゅうはん)は板橋区徳丸が原で、
西洋の砲術練習を初めて行った。

その関係で徳丸が原を高島平と呼ぼようになった。
ここに6万世帯に及ぶ大団地が出来て、
「高島平団地」が建設された。

(高島秋帆/パンフレットより)

「徳丸が原で日本初のオランダ式の洋式砲術調練を実施し、
幕府の軍政改革に関わった。後に岡部藩で幽閉された際に、
幼少期の渋沢栄一と出会ったと言われている。」パンフレットより。

「田端文士村記念館」へ

つづく


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1 コメント

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偉人達のゆかりの地 (ウォーク更家)
2024-12-16 08:42:07
渋沢喜作、大河ドラマを思い出しました。
栄一と同様に、国の将来を真剣に考え抜き、そのまま実際に行動に移した素晴らしい人物でした。

高島秋帆が、板橋区で西洋砲術練習を初めて行い、その地を高島平と呼ぼようになり、これが「高島平」の地名の由来とは知りませんでした。
勉強になります。

板橋宿周辺は、渋沢栄一とその周囲にいた偉人達のゆかりの地なんですね。
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