東山いこいの森の仙人

福井県勝山市にあるキャンプ場「勝山市東山いこいの森」の日々の暮らしを発信します。

北谷コミュニティセンター落成式。

2015年05月11日 20時10分53秒 | 日記


勝山市立、北谷コミュニティセンター/北谷公民館の落成式が

 10時より行われました。

  我がふるさと、御所が原の源氏の山がちょうど この写真の正面に見えます。


 


  源氏の山の少し左に 峠の谷があります。


勝山を一望出来る、峠の谷は 上杉喜寿先生著、越前若狭歴史街道によれば


 
 文明3年「1471」には加賀の守護職富樫正親の弟


 幸千代丸は、牛首谷一円を領有し、谷峠に陣を構えて


 大いに朝倉方を牽制。永正年間「1504~20」になると


 力を付けた加賀一向一揆は、越前の一向一揆を助ける為、しばしば

越前に揺さぶりをかける手段として、むこの方面から

 峠を越えて、勝山近くまで出没し、天正2年「1574」には、谷峠から


 侵入した加賀一向一揆と、以前から深い縁を持つ


 北山七家衆との連合軍によって、隆盛を極めた


 平泉寺を急襲、放火、破滅むさせた。


 天正七年六月、織田信長の加賀一向一揆討伐戦には、



 信長は逆に牛首道からも進攻させたが、柴田勝家の甥に


 あたる柴田三左衛門が戦死。


 この時、牛首の象ケ崎三太夫は牛の角に松明をからげつけ、「倶利伽羅峠火牛の戦法」

 をまねて谷峠に出陣したという痛快な話が残されており


 このため、谷峠を「火打ち坂」とも呼ばれたりする。


  よく、歴史ある北谷と人はいうが、谷峠を仰ぎみる地に


 北谷町コミュニティセンターが建てられたのは、


 遠い昔の、七山家の子孫の北谷村に一致団結をして

 頑張れとの、先祖からの願いが込められているのではと


 私は思っています。




















 北谷の代表の一部の方々です。


 谷のはやし込が、清めの行列。































 


  テープカット





  はやし込が館内を履き清める。


  獅子舞。


















  市長挨拶。











 来賓祝辞など。










   館内お披露目。






































  東山の桜



 今風が強くなって来ました。

  北九州の谷好きさん。コメントありがとうございました。


 バンデンさんにも、頑張って 駆除してもらいますから


 どうぞ、谷へ遊びに来て下さい。お待ちしています。