東山いこいの森の仙人

福井県勝山市にあるキャンプ場「勝山市東山いこいの森」の日々の暮らしを発信します。

野向町牛ケ谷地区でコシヒカリ購入。

2021年02月14日 21時18分25秒 | 日記

 

谷からの帰り、妻の従弟の育った家がある

野向町牛ケ谷に寄ってコシヒカリを30キロ購入。

牛ケ谷も過疎化が進み従弟の家もずっと以前に勝山に家を建て

サラリーマンをしていたが、田畑や家はそのままにして、

米や野菜を作っている。

今でも牛ケ谷の家では普通に生活できる様になっていて

納屋には米作りの農業機械、耕運機、田植え機、コンバイン、籾摺り機、乾燥機、

精米機などが一式揃っている。

はたしてこれだけの機械の維持管理費の分の収入が得られているのか

心配でもある。

 

 

 

30キロの米袋を運ぶ力は無いので従兄に車に積んでもらう。

 

牛ケ谷から、深谷、聖丸と扇状地となっていて

水田耕作には良い条件となっている様に思える。

経ケ岳、スキージャム、杉の後には大長や烏岳も見える。

これからも従弟には、美味しい米を作ってもらいたいが

大変だろうなと感謝しかない。

 

 

 

 


お面様の後片付け。

2021年02月14日 13時52分13秒 | 日記

 

朝7時から作業開始。

80体余りの雪だるまに被せたゴザ帽子、お面、ロウソクなどを

片付け。

雨、雪に会わなかったのでゴザ帽子はほとんど水気を含んでいなくて

片付け易かった。

 

昔精米所だった所を倉庫として利用しているので、

モーターのベルトをかけるジュクや鉄輪がそのまま残っている。

2階ら上げて干しておく。

朝は氷点下、雪の表面が凍ってキラキラと光っていた。

 

 

丸裸にされた雪だるま。

誰も居なくなった神社の境内。

静寂そのもの。

一向一揆七山家最後の砦谷城のあった所。

先人の霊が静かに眠る所でもある。

 

昨日市の教育委員会のH氏がお面様の由来を

子どもの村中学校の子供たちに説明に来られたので

その後で、

制作年が江戸時代初期と書かれているが

平泉寺焼き討ちの時の戦利品ならば、江戸時代より

50年以上前に作られたものでないとおかしいのではと

尋ねると、戦利品ではなく、谷地区にも木地師がいて

その人達の集団の中で平泉寺の能面制作を習った人がいて

その人たちの子孫が作ったのではと思われる。

と言われた。

それならば、それだけの技術を持った集団が

作った製品が何も伝承されていないのは腑に落ちない、

もしその技術が伝承されて行かなかったかは、

検証する必要があると思う。

 

 

 

 

 

 

65年前に建てられた山内家も、住む人が色々代って

一昨年からとうとう住む人がいなくなって。

屋根雪を降ろす事も無くなって、

無残にも崩れてしまった。

昔は2月16日。

区長の家にお面様をお飾りしたので、

この家でも何回かお面様参りが行われた。

 

 

昼ようやく片付けが終わって最後に手伝った人たちで

昼飯。

 

お寺の屋根が雨漏りする。

午前中は雪が凍っていたので雨漏りはしなかったが

昼過ぎからポタポタと落ちて来た。

畳を上げて、洗面器を置く。

近い内に応急修理をするとの事。

全面修理をするだけの資金は村にはもうない。

後11年後には村人も居なくなる。