聖徳太子の生誕の地と伝えられる橘寺の本堂の南側に、二面石と言われる奇妙な石造物がある。
北面が、善の顔を表し、南面が、悪の顔を表すと言われ、われわれの心の持ち方を表しているとされている。確かに、北側の顔は、丸顔で優しそうな顔をしているし、南側は、何となく悪人面と言われればそんな気もする。顔が途中で切れているような感じもするので、別の石と組み合わせて使われたのかもしれない。
二面石は、初めから橘寺にあったわけではなく、近世になってどこからか運ばれてきたものらしい。
最近は、吉備姫王墓にある猿石との関連がよく言われている。猿石も顔が二つあるものや後ろが平らになっていて、他の構造物と組み合わせてで使うようになっているものがある。猿石も、もともと吉備姫王墓にあったものではなく、どこからか運ばれてきたものらしいので、共にどこかで発掘され、それぞれの場所に持ち込まれたのかもしれない。
二面石で思い出すのは、手塚治虫の「三つ目がとおる」の中で、酒船石などと一緒に描かれていて、確か写楽が呪文を唱えると、二つに割れて中に古代文字で、人を馬鹿にする薬の作り方が書いてあったというものだった。書かれたのは、今から40年以上も前、その時はまだまだ飛鳥も謎の石造物がいっぱいあったのである。40年の時代の流れを感じるなあ。
僕が橘寺を訪ねた時は、秋の初め頃、境内には芙蓉の花や珍しい白い彼岸花がいっぱい咲いていて美しかった。
秋の飛鳥は、黄緑色の田んぼと真っ赤な彼岸花で絵画のように美しい時期であった。
北面が、善の顔を表し、南面が、悪の顔を表すと言われ、われわれの心の持ち方を表しているとされている。確かに、北側の顔は、丸顔で優しそうな顔をしているし、南側は、何となく悪人面と言われればそんな気もする。顔が途中で切れているような感じもするので、別の石と組み合わせて使われたのかもしれない。
二面石は、初めから橘寺にあったわけではなく、近世になってどこからか運ばれてきたものらしい。
最近は、吉備姫王墓にある猿石との関連がよく言われている。猿石も顔が二つあるものや後ろが平らになっていて、他の構造物と組み合わせてで使うようになっているものがある。猿石も、もともと吉備姫王墓にあったものではなく、どこからか運ばれてきたものらしいので、共にどこかで発掘され、それぞれの場所に持ち込まれたのかもしれない。
二面石で思い出すのは、手塚治虫の「三つ目がとおる」の中で、酒船石などと一緒に描かれていて、確か写楽が呪文を唱えると、二つに割れて中に古代文字で、人を馬鹿にする薬の作り方が書いてあったというものだった。書かれたのは、今から40年以上も前、その時はまだまだ飛鳥も謎の石造物がいっぱいあったのである。40年の時代の流れを感じるなあ。
僕が橘寺を訪ねた時は、秋の初め頃、境内には芙蓉の花や珍しい白い彼岸花がいっぱい咲いていて美しかった。
秋の飛鳥は、黄緑色の田んぼと真っ赤な彼岸花で絵画のように美しい時期であった。
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