東田大塚古墳から元来た道に戻って、反対側へ同じく田んぼの畦道のような道を通って纒向矢塚古墳に接近する。ちょうど東田大塚古墳は、さきほどの東西の道を挟んで南北に正対するような位置関係にある。
この纒向矢塚古墳についても、東田大塚古墳と同様に私有地のため立入禁止と書かれ、トラロープをはって侵入できないようになっていた。
しかし、この辺の古墳のどこもかしこも立入禁止になっているというのは、見学に来た人々が、好き勝手なことをしていたからだろうかなんて想像をしてしまう。
古墳をぐるりと巡ってみると、北側に桜井市教育委員会による解説板がたてられてる。
この古墳も、一見すると円墳のように見える。しかし、調査の結果、前方部にあたる部分が検出されている。全長は、約95m、後円部の周辺には周濠が巡っており、埴輪や葺石はなかったと考えられている。(Googleマップの航空写真で見ると前方部らしきものが確認できる。)
築造については、3世紀の後半から末とのこと。また、墳丘の頂上では、板石が露出していることから竪穴式石室の存在が推定されている。
解説を見てみると、「纒向矢塚古墳(墳丘墓)」と書かれている。この古墳のような古墳出現期のものを古墳と呼ぶかは諸説ある。弥生時代との関わりを重視して、古墳と言わず墳丘墓という言葉が使われていることもあるようで、そのことを受けての括弧書きではないかと思う。
しかし、これだけの歴史的な意義のある古墳(墳丘墓)でもあるのだが、結構、扱いはぞんざいなような気がする。この古墳も、すでに竹藪のようになっていた。
せっかく、国の史跡に指定されたのだから、少しは手を加えてあげたらとも思うが、私有地ということもあり、なかなかそういったことができないのかもしれない。
纒向矢塚古墳から小学校の裏手にある纒向勝山古墳をめざすことにしよう。
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