休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

飛鳥の古墳 岩屋山古墳

2014-09-08 16:49:49 | 史跡を歩く
 近鉄飛鳥駅を高松塚古墳などの観光地などとは反対の方向に向かい、越智と呼ばれる集落を入ると、大和造の民家の間に岩屋山古墳に通じる道がある。

 

 石段を登っていくと、横穴式石室が開口しており、石室の中に入ることができる。石室の中は、軽く人が一人立っていることができるほど高さがあり、感知式のライトがついているため、中は明るい。残念ながら横穴式石室の中に入った時に感じる薄暗い空間のこもった雰囲気というのはあまりしない。ただ石室内の精巧な作りは見やすいような気がする。

 岩屋山古墳については、早くからその存在を知られており、明治時代にゴーランドによって紹介されている。古墳自体は、一辺45mの二段築造の方墳とされているが、八角墳の可能性も示唆されている。

 

 羨道は一段組みになっており、両側が切石で作られている。羨道の長さは、約12m、高さは2mとのこと。ちょっと太めな私でも余裕で入れます。

 

 羨道を抜けると、見事な玄室に出ることになる。切石の2段組で。上の方が狭くなる構造になっている。玄室については、両袖式であり、長さ4.9m、幅2.7m、高さ3mとなっている。今から1300年ほど前に作られたものであるのだからとにかく石室を作った技術というのに驚く。一つ一つの石もかなり大きい。運ぶのだけでも大変!

 この古墳の築造時期については、諸説あるが、明日香村のHPには、7世紀前半とされています。八角墳と考えるともう少し築造年代は遅くなるかもしれない。いわゆる終末期古墳の一つと言えそうである。
 埋葬されている人物についても、斉明天皇や吉備姫王(斉明天皇の母)などが挙げられているが、いまいちあわない。ただ、これだけのものを作ることができるとすると、かなり地位の高い人物であろう。方墳であれば、蘇我系の皇族という気がするし、八角墳であるとすると舒明天皇につながる人物が埋葬されたと考えられそうである。

 

 石室から、外を眺める。羨道の石だけでも圧倒される。本来は羨道の入り口に扉があったらしい。

 石室を出て、墳丘を登ってみる。少し高い岡の上にあるので、墳丘の高さ(12m)以上のものを感じる。(しかし、なぜか、墳丘に登れると登ってみたくなるのは、古墳好きの性というやつか。)墳丘自体は、後世にかなり改変されているようなので、はっきり形はわからない。

 岩屋山古墳については、観光客も少なく、ゆっくりと見られるので、飛鳥時代の技術の高さを堪能することができる。また、古墳自体は、国の史跡に指定されている。 

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