毎月の25日は、天神さんの縁日ということで、京都の洛中にある北野天満宮は、その時は大勢の老若男女で賑わう。昔、京阪三条から52系統の市バスの乗って通学しているとき、25日の縁日の日は、老人パスを持ったお年寄りたちが大勢、北野天満宮前のバス停で降りていったものだ。そんな中特に1月と12月は、初天神、終い天神という事で一層大勢の人で賑わう。
学生時代、友人の下宿が北野天満宮の近くにあったので、よく北野天満宮の中を通っていたはずなのだが、意外と縁日の記憶がない。あの時は、こういった年中行事には無関心だったからなあ。今思えば、もったいない事をした。
というわけで、今回、初めて天神さんの縁日、終い天神にやってきた。この日は阪急電車の中から、京都の西山の連山に虹が架かるのを目撃。冬のこんな時期に虹を見るなんて珍しいと思う。
阪急西院駅で下車し、バスで北野天満宮をめざすも、なんとこの日は全国高校駅伝が開催され、ちょうど女子の部でランナーが通過するタイミング。交通規制が敷かれていた。そういえば、いつもこの時期高校駅伝があったのを思い出した。
しばらくするとバイクを先頭に先頭ランナーが走って来た。そして目の前を次々とランナーが走りすぎていく。沿道には、チームメートや保護者、関係者たちが拍手で声援を送っていた。年の瀬も迫る中、虹といい、駅伝といい、偶然いい光景と出会えた。この日はいい一日になりそうだ。
駅伝のランナーが通過後、警察や関係者の方々で交通規制が解かれたのち、市バスに乗ろうとするの乗客が多くて、一台目を見送り、次の市バスに乗り込む。待っている間、後ろで並んでいた見知らぬおばあさんと立ち話。おばあさんも北野天満宮の終い天神に行くそうだ。年末はそこでいろいろなものを買って新年の準備をするそうだ。
満員の市バスに乗って、北野天満宮へ、バス停で下車すると、すでに多くの人が。今出川通に面する大鳥居の辺りから屋台が出ていた。入り口の辺りは、定番のたこ焼きやおでんなどの屋台があり、もう少し参道を奥に行くと、正月用のしめ飾りなどが売られていた。この日の目的は、食器や茶器などの骨董品的なものを探したいということで、そういったものを扱っている出店を探す。
とにかくいろいろなものが売られている。茶器や食器、仏具に仏像などなど。昔のおもちゃや人形、レコードなどもあった。こういう所で売れるのであれば、子どもの頃のおもちゃを置いておけばと思うも置く場所もなかったか(笑)ウルトラ怪獣のビニール人形で、これは何をお店の人に聞いている人が居たので、おもわず小声で「ダダ」と教えてあげたが、聞こえたかどうか?
骨董品的なものが、天満宮の東門から出たところの南北の道にずらりと並ぶ。眺めているだけで一日がつぶれそうである。
ちなみに、この天神さんの縁日は、記録に出てくるのでは、すでに江戸時代からあったようで、その頃は芝居小屋なども出ていたようだ。
縁日の出店を十分堪能したのち、せっかくなので、天満宮の境内に戻って、お詣りをする。
境内の至る所にある牛の像。全部抗菌加工がされているそうだ。どうやって???
そろそろ新型コロナウィルス感染症もいい加減落ち着いてほしいと思う。コロナ、コロナで一気に現在の日本の政治的、経済的な体力のなさを露呈したなあ。
天神さんに、子どもたちの大学合格のお礼と家内安全、世界の平和をお願いする。図々しいかな。
天神さんの縁日は、天神さんこと菅原道真の誕生日が25日だったことにちなむという。また、亡くなったのも25日で、大宰府に左遷されたのも25日だったそうだ。
天満宮を出た後、少し時間があったので、足を延ばして母校立命館大学へ行ってみた。ちょうどクリスマスのイベントを自治会挙げてやっていた。
僕の学生時代は、こういうことをする感じではなかったなあ。随分と大学の雰囲気も変わったものである。
末川先生の「未来を信じ、未来を生きる」の石碑。向こうに見れるは図書館である。これからの日本の未来はどうなるのだろうかなどとふっと思った瞬間であった。
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