令和4年12月10日(土)
古市古墳群を構成する代表的な古墳の一つ、羽曳野市にある峯ヶ塚古墳にて発掘調査の現地見学会があるという事でさっそく現地に行ってみた。
峯ヶ塚古墳について、簡単に記してみると、5世紀末に築造された、墳丘長96m、後円部直径56m、前方部幅74.4m、後円部高9m、前方部高10.8mと前方部が発達した後期の古墳の特徴が表れている前方後円墳である。
二段に築かれ、北側にくびれ部から前方部の側面にかけて造り出しがあり、墳丘には、埴輪列と葺石が施されており、葺石は、墳丘全体を覆うのではなく、斜面の裾の部分に鉢巻上に造られていたそうだ。
周濠も本来は二重濠であったようだが、現在は南側に一部残っているのみである。
さて、今年度の発掘調査は、昨年度の調査で存在が判明していた木製品の全体が確認できるように前方部の北側に調査区が設定されている。
調査の結果、出土した木製品について、石見型木製品(木製はにわ)であることが判明。調査区域の入り口のところに木製品の復元図が掲示されていた。
残存長約352㎝、残存幅約75㎝を測り、石見型木製品はこれまで16例しか出土しておらず、今回で17例目となり、木製はにわとしては、最大のものだそうだ。
何となく、妖怪の一反木綿を頭に浮かべてしまった。(笑)
この石見型木製品は、墳丘の上に立てられていたと想定されており、墳丘上にあったものが何かの加減で根元から折れて周濠の中に落ちたものと考えられている。
この写真の切り株の辺りだそうだ。
この石見型木製品については、何を模したものなのかわからないそうだ。ちなみに石見型埴輪というのもある。
(写真は橿原考古学研究所付属博物館のもの)
一説では、形状について「玉杖をかたどったもの」あるいは「幡をかたどったもの」など、また意味については、邪気を払うや権威の象徴などと考えられている。
峯ヶ塚古墳については、ちょうど古墳の北側に竹内街道があり、ちょうど墳丘が竹内街道に沿って東西にあるので、出土した木製品については、街道から見える位置に立っていたと考えられそうである。
峯ヶ塚古墳に隣接するの丘の上に小口山古墳という7世紀後半に築造された直径14mの横口式石槨を持つ円墳があり、ついでに見学した・
石槨の中はさすがに入ることは困難かな。
今回、歩いてみて、周囲に列石のような石が並んでいるところがある。古墳に付随するものなんだろうか。
こういう石標も見つけたよ。
小口山古墳のある丘の上からは峯ヶ塚古墳や二上山の姿が実によく見えた。
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