休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

飛鳥の古墳④ 沼山古墳

2015-04-04 11:34:17 | 史跡を歩く
 益田岩船を見学ののち、ニュータウンの中に降りてきて、南へ少し歩くと、公園に出る。公園の入り口のところに、沼山古墳への案内を示す橿原市の道標がある。

 

 この道標に従い、公園の中に入っていくことにした。途中、丘の上に万葉歌碑があるのを見つけた。

 

 歌碑には、「香久山は 畝傍雄々しと 耳梨と 相あらそいき 神代より 斯くにあるらし 古昔も 然にあれこそ うつせもも  嬬を あらそふらしき」という天智天皇の著名な大和三山の歌が、国文学者久松潜一氏の書で刻まれていた。
 畝傍山を、香久山と耳成山で争ったという伝説を詠んだ歌である。畝傍雄々しの所をどう読むかでは、「畝傍雄々し」と読むのか「畝傍を愛し」と読むのかは、諸説あるようである。僕の手持ちにある万葉集の本を手に取ってみると、木俣修氏は「畝傍を愛し」としている。犬養孝氏が「畝傍をおし」とかなにしている。上野誠氏も、「畝傍をおし」である。よく「畝傍雄々し」と読むと香久山が女性であり、畝傍山が男性であって、女性である耳梨山と争ったという訳になるし、「畝傍を愛し」と読むと、香久山が男性で、女性が畝傍山になる。ちなみに、橿原市のHPは、香久山が男性になっている。まあ、どっちでもいいやんていうのは、犬養孝氏で、「万葉の旅」の中で、「せっかくの好風を前にして、こちたきの議論をするよりも、かわいい山、なつかしい山の形を網膜にうつしておいて、後でゆっくり考えてみるのがよかろう。」と記しています。どうも最近では、「をおし」を「お惜し」と解するのも有力になっているようである。私的には、畝傍山の感じが、男性的な気がするし、香久山は、むしろ女性的な感じを受けるので、畝傍山を男性、香久山と耳梨山が、女性としたい。

 その万葉歌碑から、東屋を通って、公園の奥へ入っていくと、沼山古墳がある。

 

 沼山古墳は、墳丘の高さは、約5.5m、直径は、約18mの6世紀の中ごろに築造された円墳である。横穴式石室を持っているが、内部の様子は柵越しにしか見ることができない。
 石室の大きさは、全長9.5m、玄室の長さは、5m、幅、3m、高さが5.3m、羨道は、長さ、4,5m、幅、1.8mを測ります。

 

 写真を見て、わかるように、片袖式の玄室になっている。残念ながら、この古墳の特徴である、玄室の高さは、柵越しの見学のため、確認することはできなかったが、隙間なくびっしりと石を重ねて造られた石室を見ると、この古墳を作った人たちの技術力の高さがしのばれる。

 

 この古墳と同じように天井が高い特徴を持つ古墳が、貝吹山山麓には乾城古墳や真弓鑵子塚古墳などいくつかあるとのことである。これらの古墳については、副葬品の特徴から渡来系の豪族の墓ではないかと言われている。ただ、同じ貝吹山山麓周辺には、小谷古墳や牽牛子塚古墳など大王家とつながりのある古墳がいくつかあるのでそれらとも関係がありそうである。

 

 せっかくなので、古墳の横にある小道から、墳頂に登ってみた。これと言って何もなかったが、これも古墳好きの癖みたいなものだなと思う。
 益田の岩船のインパクトが大きかったので何となく淡泊に見学を終えてしまった気がする。

 平日の昼間だというのに、公園の中には誰もいなかった。これも少子化の影響なのかな。


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