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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

岸和田の古墳を歩く① ~貝吹山古墳~

2022-01-03 23:13:56 | 史跡を歩く

 大阪は泉州、岸和田市にある久米田古墳群へ行ってみることにした。大阪に住んで50年以上になるのだが、堺市より南というのは、数えるほどしかない。たぶん阪和線に乗って、堺市を越えたのは5,6年ぶりだと思う。

 大阪府の東部に住んでいると、堺市の南というのは交通の便が意外に悪く、行きにくい場所なのである。とは言いつつも、泉州地方にも多くの古墳が残っているので、これを見逃す手はないということで、今回の岸和田での古墳探訪ということになった。

 JR阪和線久米田駅を降り立ち、東南の方向に伸びる商店街になっている道路を歩く。このあたりの商店街は、まだ元気である。10分か15分ぐらい歩いただろうか道路の右側に、貝吹山古墳が見える。この道から細い小道に入り、貝吹山古墳に接近する。

 

 貝吹山古墳は、4世紀の中ごろから後半に築造された前方後円墳で、この貝吹山古墳の周辺に築かれた久米田古墳群の中では、一番古い古墳であると考えられている。

 

 全長は130mで後円部径75mで3段築造で、後円部の周りには、一部周濠が残っている。

 古墳の上には登ることができる。特に後円部は、かなりの急斜面になっている。墳丘に登ってみると、墳丘はかなり凸凹しており、どこら辺に石室があったのか、わからない。

 

 ただ、近年の発掘調査で竪穴式石槨で刳り抜き式の石棺が見つかっている。

 そして、前方部の目を移すと、後世にかなり削平された様子で、あまり、高さを感じることができない。

 おそらく、中世、この貝吹山古墳は、三好長慶の弟、三好実休の居城、貝吹山城として再利用された経緯があるので、その影響で墳丘自体かなり改変を受けているようである。

 

 この後円部を取り囲んでいる周濠と陸橋は、築造時のものと考えられている。

 ちなみにこの貝吹山古墳は、橘諸兄塚と呼ばれ、橘諸兄の墳墓との伝承があった。橘諸兄塚と書かれた石碑や宝篋印塔が後円部の墳長にあったらしいのだが、現在は、撤去されたのか見当たらなかった。(どうやら近くの墓地に移設されているようだ。)

 

 貝吹山古墳の周辺は、久米田公園と呼ばれる公園になっていて、その公園の中にいくつかの古墳が保存されてる。

 この後は、これらの古墳を訪ねていくことにしよう。


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