野崎参りで知られる野崎観音、慈眼寺がある学研都市線野崎駅を下車。東へ向かって歩いたのち、東高野街道を南へ下る。大東市の歴史民俗資料館を越えたあたりから、山の方へ登っていくと、大阪府水道局の寺川配水池がある。
配水池の急な階段を登って行って、さらに急勾配の山道を歩いていくと右手に、堂山古墳群の案内がある。
柵の中に入っていくと、きれいに整備された古墳公園になっている。
公園の中には、7基の古墳があったと考えられている。
2~7号墳については、生駒山地にある飯森山に連なる丘の斜面に築造されており、丘の一番高いところに2号墳がある。
2号墳については、直径18mの円墳と想定され、両袖式横穴式石室の一部が検出されたとのこと。おそらく2~7号墳の中では一番最初に築かれた古墳であろうと考えられている。
堂山3号墳、位置的には古墳群の中で一番低い場所にある。石室自体は破壊されており、、いくつかの石材が残っているだけである。
堂山4号墳、石室の形が変わっており、T字型の石室である。大阪府下ではほとんど見られない形の石室である。和歌山の方にいくつか類例があり、その影響も考えられそうである。
5号墳である。
6号墳である。ただ、5号墳と6号墳については、同一の墳丘に造られたものである。ただし、築造は6号墳の石室の方が古いらしい。
6号墳は、横の階段を登ると形がわかる。おそらく無袖式の横穴式石室であろう。
最後は7号墳、現地では看板しかない。すでも古墳も破壊されており、一部しか検出されていない。
全体としてはこういう位置になる。この2~7号墳の塊から離れて1号墳が造られている。2~7号墳については6~7世紀に造られた小規模な横穴式石室を持つ古墳であり、おそらく先行して築造された堂山1号墳の子孫が、先祖を忍んで周辺に古墳を造ったのではないだろうか。
2号墳のあたりからは、大阪平野を見渡すことができる。この眺めだけでも、ここに登る価値はありそう。
意外とこの古墳公園まで登ってくる人は多い。道が急ではあるが、標高は100mほどらしい。結構登るとき息が切れたから、そこそこ高い気がしたのだが、気のせいだったらしい。(笑)
ということで、後半へ続く。
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