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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

司馬遼太郎『幕末』より「冷泉斬り」

2021-11-13 01:43:58 | 文学をたどる

 司馬遼太郎氏の連作小説、「幕末」を一週間ほどかけて読んでいるのだが、その中のひとつに「冷泉斬り」と題された短編がある。

 簡単にあらすじをたどると、宮廷の絵師である冷泉為恭に天誅を加えようとする長州藩の脱藩浪人間崎馬之助が主人公である。間崎は、冷泉為恭の暗殺のメンバーに加わるも、為恭の妻、綾子の密通現場を目撃してしまい、その後、暗殺する気が失せていく、一方、世間は、冷泉為恭の暗殺のボルテージが上がっていき、為恭自身は、奈良、大和まで逃げるが、結局、天誅志士に惨殺される。一方、間崎は、綾子に懸想していた新選組隊士米田鎌次郎と一戦を交え、鎌次郎を切り捨て、自己の存在理由を確認するという話である。

 二、三年ほどになるのだが、天理大学の構内にある塚穴山古墳を探している時に、善福寺というお寺の前で、冷泉為恭のお墓を見つけた。その時はさして気にも留めなかったのだが、『幕末』に収録されている「冷泉斬り」を読んだ時に、あのお墓は、この人のものだったのかと思い至った次第。

 

 冷泉為恭のお墓は、善福寺の前にある墓地に、ポツンと一つだけ離れて置かれている。

 

 お墓の前には、解説板が置かれている。

 冷泉為恭について、少し記す。

 冷泉為恭(れいぜいためちか)=岡田為恭(おかだためちか) 1823-64

 江戸後期、幕末の復古大和絵の画家、古典的な大和絵、特に絵巻の模写研究し、新風を開いた。政治運動に関与したためか、勤王派の志士に暗殺される。代表作に大樹寺の障壁画(重要文化財)などがある。

 僕は、知らなかったが、著名な画家のようで、テレビの「なんでも鑑定団」でも取り上げられたこともあるらしい。

 

 奈良まで落ちていったのに、わざわざ追いかけて、一介の画家を殺害するなんて、幕末の天誅のエネルギーのすさまじいものを感じる。この人一人を殺したところで、歴史の中でどういった影響があったのか。バカバカしい気もする。

 殺された方は、哀れと言うしかないのだろうが。

 また、桜井線の線路近くに遭難の地を示す石碑があるらしいのだが、詳しい場所はわからない。「鍵屋の辻」という場所らしいが。

 しかし、小説の中の人物が、目の前に現れてきたような不思議な感じである。

 冷泉為恭が、流れてきた内山永久寺は、当時は並ぶもののない大寺院であったのだが、廃仏毀釈により堂舎は取り壊され、今は、池と石碑以外往時を忍ぶものは何も残っていない。

 諸行無常というべきなのか、人の世のはかなさを感じるなあ。

 最後に探していた塚穴山古墳は、天理高校の構内ということで立ち入り禁止だった。


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