艸墓古墳から、元の道路に戻り、住宅街の中の坂道を登っていくと、マンションがあり、突然、安部文珠院の門が現れる。そこから駐車場を通って境内の中に入っていくことになる。
安部文珠院は、日本三文珠の一つとされ、受験シーズンには、参拝客で賑わうのだが、この時はまだ、少しシーズンに早いのかあまり人はいなかった。駐車場のすぐ横に文珠院西古墳があるのだが、真打は最後に置いておいて、境内にあるもう一つの古墳、文珠院東古墳を訪ねることにした。
文珠院東古墳は、文珠院の境内にある白山堂の左手にある。ちなみに白山堂は、一間流造杮葺の室町時代後期の建築物であり、菊理媛神を祀っており国の重要文化財に指定されている。案外、こっちの方に来る人は少なく、さらに文珠院東古墳まで行こうとする人は少ない。
さて、文珠院東古墳であるが、南向きに開口しているが、石室内に不動明王の石像が安置されており、石室内に足を踏み入れることはできない。
カメラのフラッシュや懐中電灯を駆使しながら何とか少しでも羨道の奥を見ようと努力するも、あまりいい写真が撮れなかった気がする。
羨道部には、井戸が掘られており、この井戸は、知恵の水と言われ、信仰の対象となっている。この古墳の別名閼伽井古墳の名称は、この井戸に由来する。
この古墳の羨道は、巨石一段に配して造られており、側壁は三段である。ちなみに写真ではわからないが奥壁は二段になっている。
こうやって観察すると、一つ一つの石がかなり大きく、加工されているのがわかる。よく見ると両袖式の横穴式石室である。ちなみに石室の全長は13m、玄室長4.7m、幅2.3~2.7m、高さ2m、羨道は、長さ8.3m、高さ1.5mとなっている。築造は、7世紀前半と言われている。
墳丘は、かなり改変を受けていて判明しないが、7世紀に入ってからの終末期古墳と言われる古墳なので、方墳か円墳であろうと考えられる。ちなみに阿部丘陵にある終末期古墳は、方墳が多い。
文珠院東古墳を見た後は、再びもとに戻って文珠院西古墳に行くことにする。
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