平成29年2月18日(土)
平成25年度、26年度、27年度に引き続いての高宮廃寺跡の発掘調査である。発掘調査を見に行くのは、これで3年連続、3回目になる。今年度は講堂、北回廊、金堂の確認を行うために調査区を設定し、発掘による調査を実施した。
【金堂調査区】
金堂については、平成25年度の調査で基壇の規模や状態は確認されており、今回の確認調査では、金堂基壇の版築状態の確認と前面部分に参道遺構等がないか確認を行っている。
基壇の一部分を立ち割り調査を行い、金堂の基壇についても、東塔の基壇と同様に版築が用いられたことが確認できている。写真でも、横縞模様がはっきりわかるかと思う。なお、金堂の前面では、寺院にかかわる遺構は検出されなかった。
このような地方豪族によって建立された寺院でも当時の最新技術が用いられていたことは驚きではある。
【北回廊調査区】
北回廊の調査区については、明確な寺院の遺構は見つからなかった。南側は回廊があり、東西は築地塀であったことがこれまでの調査で判明しているが、残念ながら、北側はどうであったのかわからなかった。
【講堂調査区】
講堂の基壇の基底石が見つかっており、おおよその基壇の大きさが判明。東西16.5m、南北13.5mと考えられている。ただし、この基壇は、中世に再建されたものであるとのこと。
中世に再建された建物については、火災で倒壊した様子で、瓦が屋根から重なり落ちた状態で見つかり、また、土が焼け焦げていた。
最後に、基壇の南辺付近では、土師器が重なった状態で見つかっており。基壇を築造する際に地鎮が行われた痕跡ではないかという話であった。
講堂の基壇の上に立っていた建物については、礎石、柱穴など建物の痕跡を示すもののが、すでに削平を受けていたのか見つかっていないため、よくわかっていない。
高宮廃寺跡の内容確認調査も4回目ともなると、そう大きな発見もないのかなという感じ。また、調査自体もこれで終了とのことで、この後は、この寺院跡をどのように活用整備していくのかという検討を進めていくとのことである。
この静かな鎮守の森という雰囲気も残しつつ整備をしていただければと思う。これまでも現地説明会については、下記の通りである。参考までにリンクを貼っておきます。
【参考】
高宮廃寺跡 現地説明会
平成27年度 高宮廃寺跡発掘調査 現地説明会
高宮廃寺跡からは、JR東寝屋川駅まで歩いて帰る途中に、第二京阪道路があり、その上を歩いていくと、高宮遺跡という解説板と奈良時代の倉庫跡の掘立柱を復元したものがある。高宮遺跡自身は、古墳時代の中期から鎌倉時代にかけての複合遺跡であるが、特に奈良時代の倉庫跡は5棟見つかっており、そのうちの一つを復元したものである。
この倉庫跡については、高宮廃寺に関連するもの、あるいは讃良郡の郡衙の倉庫などの考え方がある。
まだ、第二京阪道路沿いを歩いてみると、弥生時代の集落跡である太秦遺跡や太秦古墳群の尾支群と呼ばれる古墳時代の中期に築かれた一辺10mぐらいの小古墳が数多く見つかっている。
そのうちの一つ18号墳を復元したものが公園の中にポツンと置かれている。解説板がなければただの残土みたいだし、盛り土がなければ砂場のようにも見える。とりあえず復元しといたみたいな感じで想いが感じられないなあ。
ここまで来ると、東寝屋川駅まではあと少しである。しかし高宮廃寺跡の発掘調査がなければ、これだけ足を運ぶこともなかったなあと思う。ありがたいことである。
平成25年度、26年度、27年度に引き続いての高宮廃寺跡の発掘調査である。発掘調査を見に行くのは、これで3年連続、3回目になる。今年度は講堂、北回廊、金堂の確認を行うために調査区を設定し、発掘による調査を実施した。
【金堂調査区】
金堂については、平成25年度の調査で基壇の規模や状態は確認されており、今回の確認調査では、金堂基壇の版築状態の確認と前面部分に参道遺構等がないか確認を行っている。
基壇の一部分を立ち割り調査を行い、金堂の基壇についても、東塔の基壇と同様に版築が用いられたことが確認できている。写真でも、横縞模様がはっきりわかるかと思う。なお、金堂の前面では、寺院にかかわる遺構は検出されなかった。
このような地方豪族によって建立された寺院でも当時の最新技術が用いられていたことは驚きではある。
【北回廊調査区】
北回廊の調査区については、明確な寺院の遺構は見つからなかった。南側は回廊があり、東西は築地塀であったことがこれまでの調査で判明しているが、残念ながら、北側はどうであったのかわからなかった。
【講堂調査区】
講堂の基壇の基底石が見つかっており、おおよその基壇の大きさが判明。東西16.5m、南北13.5mと考えられている。ただし、この基壇は、中世に再建されたものであるとのこと。
中世に再建された建物については、火災で倒壊した様子で、瓦が屋根から重なり落ちた状態で見つかり、また、土が焼け焦げていた。
最後に、基壇の南辺付近では、土師器が重なった状態で見つかっており。基壇を築造する際に地鎮が行われた痕跡ではないかという話であった。
講堂の基壇の上に立っていた建物については、礎石、柱穴など建物の痕跡を示すもののが、すでに削平を受けていたのか見つかっていないため、よくわかっていない。
高宮廃寺跡の内容確認調査も4回目ともなると、そう大きな発見もないのかなという感じ。また、調査自体もこれで終了とのことで、この後は、この寺院跡をどのように活用整備していくのかという検討を進めていくとのことである。
この静かな鎮守の森という雰囲気も残しつつ整備をしていただければと思う。これまでも現地説明会については、下記の通りである。参考までにリンクを貼っておきます。
【参考】
高宮廃寺跡 現地説明会
平成27年度 高宮廃寺跡発掘調査 現地説明会
高宮廃寺跡からは、JR東寝屋川駅まで歩いて帰る途中に、第二京阪道路があり、その上を歩いていくと、高宮遺跡という解説板と奈良時代の倉庫跡の掘立柱を復元したものがある。高宮遺跡自身は、古墳時代の中期から鎌倉時代にかけての複合遺跡であるが、特に奈良時代の倉庫跡は5棟見つかっており、そのうちの一つを復元したものである。
この倉庫跡については、高宮廃寺に関連するもの、あるいは讃良郡の郡衙の倉庫などの考え方がある。
まだ、第二京阪道路沿いを歩いてみると、弥生時代の集落跡である太秦遺跡や太秦古墳群の尾支群と呼ばれる古墳時代の中期に築かれた一辺10mぐらいの小古墳が数多く見つかっている。
そのうちの一つ18号墳を復元したものが公園の中にポツンと置かれている。解説板がなければただの残土みたいだし、盛り土がなければ砂場のようにも見える。とりあえず復元しといたみたいな感じで想いが感じられないなあ。
ここまで来ると、東寝屋川駅まではあと少しである。しかし高宮廃寺跡の発掘調査がなければ、これだけ足を運ぶこともなかったなあと思う。ありがたいことである。
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