多くの観光客で人があふれかえっているような興福寺。国宝五重塔と同じく国宝の東金堂間の道を奈良国立博物館へ向かって歩いていくと、興福寺の本坊がある。
その向かいのフェンスが張られて鹿以外は立ち入りができない境内地に中に、奈良の古寺であればどこにでもあるように、會津八一の歌碑が建っている。
歌碑には、「はる きぬ と いま か もろびと ゆき かへり ほとけ の には に はな さく らし も」と本人の字で刻まれている。「南京新唱」では興福寺をおもうという題がつけられている。春が来たと言って、多くの人が興福寺の庭を行き来している。そのには、桜の花が咲き乱れていることであろうという意味だそうだ。
僕の中では、興福寺の桜というイメージがあまりなく、ピンと来ていないところもあるのだが、あまり桜の季節に来ていないからだろうか。どうしても国立博物館の特別展に合わせてくることは多いので、新緑の頃か紅葉の頃に来ているからなのだろう。ブログの写真もGWの頃のを使っている。
歌碑の隣には、興福寺の大湯屋があり、苔むした周りの土地とマッチして、落ち着いた雰囲気を醸し出している。大湯屋も室町時代に五重塔と同時に再建された建物で、現在は国の重要文化財に指定されている。残念ながら、非公開である。
今も昔も、興福寺の地は、多くの人々でにぎわっていたのだなあ。確かに奈良の地に、この五重塔がなかったとしたら、どれだけ奈良の景色が味気ないものになったか。東金堂、五重塔と南北に並ぶ様子は絶好の写真スポットだし、猿沢池、ならまちから見上げる五重塔の威容は本当に美しい。
そして、これからもこの景色を後世に伝えていかないといけないとしみじみと思う。
その向かいのフェンスが張られて鹿以外は立ち入りができない境内地に中に、奈良の古寺であればどこにでもあるように、會津八一の歌碑が建っている。
歌碑には、「はる きぬ と いま か もろびと ゆき かへり ほとけ の には に はな さく らし も」と本人の字で刻まれている。「南京新唱」では興福寺をおもうという題がつけられている。春が来たと言って、多くの人が興福寺の庭を行き来している。そのには、桜の花が咲き乱れていることであろうという意味だそうだ。
僕の中では、興福寺の桜というイメージがあまりなく、ピンと来ていないところもあるのだが、あまり桜の季節に来ていないからだろうか。どうしても国立博物館の特別展に合わせてくることは多いので、新緑の頃か紅葉の頃に来ているからなのだろう。ブログの写真もGWの頃のを使っている。
歌碑の隣には、興福寺の大湯屋があり、苔むした周りの土地とマッチして、落ち着いた雰囲気を醸し出している。大湯屋も室町時代に五重塔と同時に再建された建物で、現在は国の重要文化財に指定されている。残念ながら、非公開である。
今も昔も、興福寺の地は、多くの人々でにぎわっていたのだなあ。確かに奈良の地に、この五重塔がなかったとしたら、どれだけ奈良の景色が味気ないものになったか。東金堂、五重塔と南北に並ぶ様子は絶好の写真スポットだし、猿沢池、ならまちから見上げる五重塔の威容は本当に美しい。
そして、これからもこの景色を後世に伝えていかないといけないとしみじみと思う。
読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。