御廟山古墳から高林家住宅を通っていくと百舌鳥八幡宮に出る。
祭神は応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、住吉大神、春日大神とされ、欽明天皇の頃の創建と伝えられる。境内に樹齢約800年と言われる大きなクスノキがあり、府の天然記念物に指定されている。
その百舌鳥八幡宮の東に光明院というお寺があり、その境内に鎮守山塚古墳がある。
はじめ、古墳がどこにあるのか全くわからずこの周辺を歩きまわっていたのだが、ふとお寺の境内を見るとそれらしい高まりが見つかり、あ、これだという訳で写真に収めた次第、ちょうど中秋の頃であったので、ドングリがみのり、ぼたぼたと道路に落ちており、それを子ども達が拾い集めていた。古墳をよく見ると、削り取ったような跡がそれとなくうかがえる。
鎮守山塚古墳については、墳丘は、直径34m円墳であり、周囲を堀が巡っていたと考えられている。現在は、半壊状態で西半分は、道路で削られている。
鎮守山塚古墳から再び百舌鳥八幡宮に戻り、土師ニサンザイ古墳に向かう。
土師ニサンザイ古墳の前方部は公園になっていて、入り口には武人の姿の埴輪を模した像がお出迎えをしてくれる。
外堤を登って、墳丘を見ると感動モノ。広い周濠の中に島のような墳丘が浮かんで見える。周囲にも住宅やビルなどが少なくロケーションも最高である。百舌鳥古墳群の中でも一番美しい古墳かもしれない。もしかしたら、夜、この場所に来て、星空と一緒に古墳を写したらきれいだろうなと思ったりした。
土師ニサンザイ古墳は、墳丘長、約290m、後円部径約156m、前方部幅224mで百舌鳥古墳群の中では3番目、全国でも8番目という巨大古墳である。前方部が大きく広がっており、また2重の周濠が巡っていたと考えられている。築造については、5世紀後半と考えられている。
2012年に宮内庁と堺市との同時調査が墳丘と内濠について行われており、第1段のテラスには円筒埴輪が巡らされていたこと、第1段の斜面には葺石がほとんどなかったことがわかった。また、内濠において、墳丘から周濠に向かって柱穴列が見つかっている。周濠にかけられた木橋である可能性も考えられてる。
ただし、本古墳については、宮内庁が、陵墓参考地として管理していることから、埋葬施設など墳丘の詳しい状態はわかっていない。
この古墳は、後円部の一部を除いて古墳の外堤を一周できるので、その風景をいくつか収めてみた。
古墳の北側と南側で水位が違うみたいで、北側の後円部はかなり浅くなっているようである。
周濠の中を鷺などの水鳥がおり、まだまだ自然が残っている感じである。
この古墳も一時後円部にある墓地の拡張工事などで周濠が一部埋められるなどの事件があった。できるだけこの美しさは維持して欲しいと思いながら、後にした。
祭神は応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、住吉大神、春日大神とされ、欽明天皇の頃の創建と伝えられる。境内に樹齢約800年と言われる大きなクスノキがあり、府の天然記念物に指定されている。
その百舌鳥八幡宮の東に光明院というお寺があり、その境内に鎮守山塚古墳がある。
はじめ、古墳がどこにあるのか全くわからずこの周辺を歩きまわっていたのだが、ふとお寺の境内を見るとそれらしい高まりが見つかり、あ、これだという訳で写真に収めた次第、ちょうど中秋の頃であったので、ドングリがみのり、ぼたぼたと道路に落ちており、それを子ども達が拾い集めていた。古墳をよく見ると、削り取ったような跡がそれとなくうかがえる。
鎮守山塚古墳については、墳丘は、直径34m円墳であり、周囲を堀が巡っていたと考えられている。現在は、半壊状態で西半分は、道路で削られている。
鎮守山塚古墳から再び百舌鳥八幡宮に戻り、土師ニサンザイ古墳に向かう。
土師ニサンザイ古墳の前方部は公園になっていて、入り口には武人の姿の埴輪を模した像がお出迎えをしてくれる。
外堤を登って、墳丘を見ると感動モノ。広い周濠の中に島のような墳丘が浮かんで見える。周囲にも住宅やビルなどが少なくロケーションも最高である。百舌鳥古墳群の中でも一番美しい古墳かもしれない。もしかしたら、夜、この場所に来て、星空と一緒に古墳を写したらきれいだろうなと思ったりした。
土師ニサンザイ古墳は、墳丘長、約290m、後円部径約156m、前方部幅224mで百舌鳥古墳群の中では3番目、全国でも8番目という巨大古墳である。前方部が大きく広がっており、また2重の周濠が巡っていたと考えられている。築造については、5世紀後半と考えられている。
2012年に宮内庁と堺市との同時調査が墳丘と内濠について行われており、第1段のテラスには円筒埴輪が巡らされていたこと、第1段の斜面には葺石がほとんどなかったことがわかった。また、内濠において、墳丘から周濠に向かって柱穴列が見つかっている。周濠にかけられた木橋である可能性も考えられてる。
ただし、本古墳については、宮内庁が、陵墓参考地として管理していることから、埋葬施設など墳丘の詳しい状態はわかっていない。
この古墳は、後円部の一部を除いて古墳の外堤を一周できるので、その風景をいくつか収めてみた。
古墳の北側と南側で水位が違うみたいで、北側の後円部はかなり浅くなっているようである。
周濠の中を鷺などの水鳥がおり、まだまだ自然が残っている感じである。
この古墳も一時後円部にある墓地の拡張工事などで周濠が一部埋められるなどの事件があった。できるだけこの美しさは維持して欲しいと思いながら、後にした。
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