5月19日 SUN 同行者:なし
地方局の土曜の昼番組で、「足助に新緑を感じに行こう!!」という趣旨の番組をしていた。思いついて足助にサイクリングに行くことにした。
今度、SDA王滝があるので、完走できる程度にトレーニングを重ねないと、希望の5時間以内ゴール以前に、完走すらおぼつかない。なので、最近ではまるで使われず、この様なトレーニングの時以外は陽の目を見ない、ファットバイクを持ち出して、足助に向かった。
猿投グリーンロード、力石インター付近。
ずっと我慢していたが、このヘルメット前にずれやすく、眼鏡を押し下げてしまい、眼鏡の鼻当たりが変形する上に、視界がぶれる。浅い頭蓋骨の俺にはヘルメットが深すぎる様で、まるで合わない。
あきらめて、新しいのを買う。今度はOGK。以前はLL/XL使っていたが、頭蓋骨の脂肪が落ちて、頭がひとまわり小さくなったらしく、M/Lが調整金具まわさなくても良いぐらいぴったり。欲しい色のはすでに問屋完売。店頭品にステッカーチューンを施した。
名鉄三河線、猿投⇔西中金区間の、西中金手前の廃線跡。線路が残されている。土手と線路内がお花畑。
オーダーにない、氷のないアイスコーヒーを頼む。体を極端に冷やしたくない。
地域会のお姉さま奥様方が運営している、名鉄西中金駅の喫茶室。レーコ―200円。午前中営業。
トイレができていた。ちょっと入っていかないと使えないという、使いにくい場所にある。
カラスの歌作詞の野口雨情の先祖出生地らしく、カラスの歌の石碑がある。その隣にシャクナゲ祭りの旗。
足助橋の大杉
岡崎⇔足助をつなぐ足助街道。飯田街道(三州街道)の支線。
徳川家の祖となる松平氏族が、松平付近の山中からから岡崎に進出する時にも使われたであろう古道。
武田軍団が尾張三河美濃に進出するときに、徳川軍の物見の足軽が連絡移動で使われたであろう古道。(そういえば飯田街道の治部坂付近に武田信玄公が亡くなったとされる、信玄塚がある。最初観た時は、なんでこんなところにこれまた立派なお堂が?とも思った。)
足助で足助街道は設楽村に抜ける道と飯田街道(三州街道)に合流する。飯田方向の難所の1つであったらしい、伊勢神峠。今あの下の第3伊勢神トンネルが計画・試掘中らしい。今の伊勢神トンネルは第2トンネル。主動トンネルの上には明治か大正のころに作られた、初代の第1伊勢神トンネルがある。記憶の中では長さは200mぐらいだったと思う。短いが、狭い。トンネル幅は1.5台分ぐらい。流通の大動脈であったであろう中山道の支線である飯田街道と言えど国道。国道にしては狭い。せまいのと昔は照明もなかったので、幽霊がでそうという雰囲気ある。幽霊が出ると人気スポットだけど、幽霊を見たことないのでいまだに懐疑的。まだ本坂の旧トンネルの方が幅もあり立派。旧伊勢神トンネル横の小道をのぼると、伊勢神の名前の由来のある場所がある。ちょうど峠部分。昔祖父に連れられて行った時は、ちょうど行事の後だったらしく、綺麗に刈り込みがされていた。ずいぶん前の記憶なので、けっこうあやふやだが、確か棚があるだけ。伊勢方面にちょうど山が開けているので、地元の人が何かの祭事日に伊勢の方面を拝む風習があるとのこと。そこで祖父と一緒に拝んだことで記憶に残っている。伊勢神峠は「伊勢の神を拝む峠」の意味らしい。今でも拝まれているのだろうか?
などというような事を思い出しながら帰路に。
王滝の先に司すしという寿司屋がある。建物右の駐車場脇に窓のついた大きなボーリングピンのあるすし屋と言った方が、地元サイクリストにはわかりやすいかもしれない。
川釣り大会のポスターの横に「SHIMANO」の青い横帯旗があったので、初めて入る気になった。なかは地元の人らしき人ばかり。
メニュー写真を見て一目で気にいった、太巻きを頼む。太巻きがイケて気にいった。松平地区随一のすし屋だと思う。ここはまた食べに行きたいと思った。他には鰻とか川魚料理とかもある。
ファットバイクをチョイスしたことは正解なんだが、乗ってるとだいぶ後悔もした。特に重い部類のタイヤを付けている。何とタイヤがチューブ込みで前後で4kg弱もある(ホイールは別)。ゴロゴロとタイヤを転がしながら走ってると、足助につく頃には足がパンパン。帰りはケイデンスよりも、脚の回転を落とさない事ばかり気を付けた。おかげで良い練習になった。
メーター無いが、たぶん60か70km。
今日はサイクリストに40人ほど見かけた。対向ですれ違った人に、ぬかれた人に。