WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

ダディ・プレイズ・ザ・ホーン

2007年07月21日 | 今日の一枚(C-D)

●今日の一枚 184●

Dexter gordon

Daddy Plays The Horn

Watercolors0003_13  デクスター・ゴードンの1955年録音作品『ダディ・プレイズ・ザ・ホーン』(Bethlehem)である。映画『ラウンド・ミッドナイト』の主役までつとめたデクスター・ゴードンは、いまでこそテナーのビッグ・ネームだが、1950年代には、才能があるにもかかわらず、ほとんど活躍していない。吹き込んだリーダー作も2枚のみである。ドラッグ中毒のためである。1950年代といえば、ハードバップの全盛期である。この時期にデクスターのようなタイプのプレーヤーが十分な活躍の機会を得なかったのは、ジャズの世界の大きな損失のみならず、デクスター本人にとっても大きな不運だったというべきであろう。デクスターの活躍があれば、50年代ハードバップに何かしら違うテイストを付け加えることが出来たに違いない。

 療養中の一時帰宅を利用して録音それたのが本作『ダディ・プレイズ・ザ・ホーン』だ。ドラッグ中毒療養中の身にもかかわらず、あるいはそれゆえにというべきだろうか、明るく元気で、伸びやかなテナーの響きである。そこにはドラッグからイメージされる呪われた煌めきのようなものはほとんど感じられない。ただただ、おおらかに素直に歌心の命じるままにテナーを響かせるデクスターがいる。

 『ダディ・プレイズ・ザ・ホーン』というタイトルが目に付いてしばらくぶりにCD棚から取り出した。今、息子を応援する気持ちでこのアルバムを聴いている。小学6年生の長男は野球をやっているのだが、生来の鈍クサさもあって、昨年秋の新人大会シーズンまではベンチを暖めていた。彼なりに努力したのであろう。今年の春から一塁手のポジションをもらってやっと出場の機会を与えられたのだが、その後主力選手の怪我などがあり、キャッチャーやピッチャーとしても起用されるようになった。2週間ほど前の地区大会準決勝では投手として予想しなかったヒットノーランを達成し、決勝戦では打者として公式戦初のセンターオーバーの本塁打を放った。最終回にはストッパーとして登場し、3人で抑えるというおまけもついた。まったく、信じられないことである。明日は、隣町の優勝チームとの県大会出場をかけた代表決定戦である。相手は春に県大会ベスト8にはいった強豪チームである。春の試合では何と18対1で完敗しているチームだ。しかし、わが息子のチームも怪我をしていた主力選手が復活し、保護者たちは今度こそといきまいている。まさしく臨戦態勢という雰囲気だ。その先発投手に息子が指名された。昨年までベンチ・ウォーマーだった息子にビッグゲームの先発投手とは荷が重かろうが、重圧を一身に受け止め、孤独に耐えながら、ひとりマウンドを守るという投手の醍醐味を味わうことの出来る貴重な機会である。子どもながら、重要な人生経験の機会かも知れない。仕事のため応援にはいけそうもないが、息子には、たとえボコボコに打たれようとも、立ち向かって勝負をするという気概を忘れないで欲しい。

 親ばかの文章を記してしまった。これもブログという装置のなせる業だろうか。