腐敗物の海洋投棄が始まったせいか、ここ数日、あの悪臭が影を潜めている。このままなくなってくれればよいのだが……。電気も水道も復旧し、瓦礫の撤去も少しずつだが進んでおり、私のような「在宅」の者は、「日常」を取り戻しつつある。避難所暮らしの人たちには申し訳ないが、落ち着いて音楽を聴ける状況にもなってきている。
福島・茨城沖の地震の頻発が心配だ。昨夜も大きな地震があったような気がした。本当にあったのだろうか。よくわからない。最近、地震の夢を見るのかもしれない。深夜に地震で目を覚ますことしばしばだが、本当にあったのかどうかわからなくなることがある。夢のような気もするのだ。夢か現か判断がつかない。こんな状況で、デカルトの夢の話などを思い出してしまう私は、やはり震災のリアリティーがないのだろう。
幸か不幸か、たまたま所用で海から比較的遠い地域にいた私は、あの大津波を見ていない。多くの人たちが避難していることを知り、避難所になっている中学校に子どもたちを捜しにいって、はじめて津波のことを知ったのだった。避難所で長く不安な一夜を過ごし、翌日まだ避難命令の続いている中、こっそり被災現場に侵入した私は、津波の現実を目の当たりにして愕然とした。あまりに変わってしまった風景に足が震えた。そこにあったはずの家々も道路も、美しい砂浜も、緑の松原も、すべて消え去ってしまっていた。そして時間の経過とともに、返ってこない人たちがいることがわかってきた。その中には、私とかかわりのある人たちもいた。
だから私には震災についての大きな衝撃はあるが、津波そのものに対するリアリティーがない。ずっと後で、停電がおわってから、You Tube などで津波の映像を見たのだが、作り物のようにしか思えない。そこにあるはずの、太く大きな轟くような音や、温度や臭いの感覚がないのだ。生死を分けるような恐怖や海水が肌に触れる感覚ももちろんない。津波の翌日見た被災地の信じられない現実と、You Tubeの映像とが、自分の中できちんとつながって整理されないのだ。だからだろうか。私は時間が空くとできるだけ自分の周りの被災地の状況を見ておこうと考え、実際そうしてきた。最初は、津波というものに対する単純な興味もあったと思う。けれども、それは次第に苦痛な作業になっていった。どこを見ても同じなのだ。どこを見ても瓦礫の風景が際限なく続くだけだ。そこには希望というものがない。
これから何回かにわけ、いくつかの写真を掲載しようと思う。すべて私が携帯電話やビデオカメラの撮影機能で撮ったものだ。メディアの流す衝撃的な映像を見た人は、もはやこの程度で驚きはしないかも知れない。けれども、これらはまぎれもなく私自身が目撃したものであり、そのたびに足が振るえ、恐怖におののいた風景である。そこには写真だけでは到底伝えきれない、温度や臭いやそれらすべてが醸し出す独特の皮膚感覚があった。それが、この震災の、私のとってのリアルだ。
今回は、津波の翌日、私の住むH地区でとった写真だ。
全漁連の建物だけが残っているが、それも中はめちゃめちゃである。
海水の水溜りがいたるところにできている。家々が軒をつらねていた面影すらなく、瓦礫の風景が一面に続く。
遠くに地元の高校が見える。4階まで津波は押し寄せ、中には何も残っていないとのことだ。