M地区である。私の親戚の家も流された。叔母の話によると、大津波警報の放送で避難を促され、必死の思いで高台にある神社の階段を駆け上り、振り向くと、もうそこには自分の家は無かったとのことだ。逃げるのが数分遅ければ、叔母も流されてしまったかも知れない。
ガソリン不足の中、長男とともに自転車でこの場所を訪れたのは大津波の三日後だった。衝撃を受けた。《壊滅》とはこのことをいうのかと思った。街がひとつ完全に消えてしまったといっていい状況だった。
数年前に亡くなった叔父がやっとの思いで建てた自慢の家は、基礎部分を残してきれいさっぱり消滅していた。家がどこに流されたのか、未だにわからない。
粉々になってしまった電信柱が津波のパワーを物語る。イカの塩辛で全国的に知られる企業の工場も壊滅的な打撃を受けた。(これは片づけが進んだ現在の様子)
線路も車も工場もめちゃめちゃである。叔母が逃げ込んだという神社だけが何事もなかったかのように背後で被災現場をながめていた。(これも現在の様子)
(写真はクリックすると拡大されます)
(神社の写真は片付けが進んだ現在の様子)