●今日の一枚 306●
酒井俊
満月の夕(single version)
やはり、どうしても聴きたくなってしまった。まだ早い。やめておこうと何度か思ったが、この曲を聴きたいという衝動はどうしても抑えられなかった。
* * *
風が吹く港の方から 焼けあとを包むようにおどす
悲しくてすべてを笑う 乾く冬の夕べ
時を越え国境線から 幾千里のがれきの町に立つ
この胸の振り子を鳴らす 今を刻むため
飼い主をなくした柴が 同朋とじゃれながら道をゆく
解き放たれすべてを笑う 乾く冬の夕べ
ヤサホーヤうたがきこえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ焚き火を囲む 吐く息の白さが踊る
解き放ちていのちで笑え 満月の夕べ
星が降る 満月が笑う 焼けあとを包むようにおどす風
解き放たれすべてを笑う 乾く冬の夕べ
ヤサホーヤうたがきこえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ焚き火を囲む 吐く息の白さが踊る
解き放ちていのちで笑え 満月の夕べ
* * *
「満月の夕」は、1995年の阪神・淡路大震災の惨状と復興へ向き合おうとする被災地の人々の姿を歌った歌であり、ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬とヒートウェイヴの山口洋によって作られた。私は、地元のジャズ喫茶で時々行われるライブを見ていた経緯から、歌手・酒井俊がカヴァーしたものでこの曲を知った。今でも、よく聴くのは酒井のものである。ソウル・フラワー・ユニオンとヒートウェイヴのものでは、若干歌詞が違っており、それぞれ賛否があるだろう。酒井の演奏では、以前も記したように、アルバム「四丁目の犬」に収録されたものを最も好むが、2003年に発表されたこのシングルヴァージョンも悪くはない。全体的にサウンドが洗練され、その意味では生々しさや荒々しいさが影を潜めてしまっているが、その分良くも悪くも耳ざわりの良いものになっている。ただそんな中でも、酒井俊の歌は圧倒的な迫力を感じさせる。さすがである。
もっと概念的な歌だと思っていた。大震災という状況を背景に、人間の哀しみや優しさや自由や解放を歌ったものだと考えていた。大津波を経験し、この歌はもっと生々しい歌だと思った。例えば、「解き放ちていのちで笑え」という歌詞の「いのち」は、生命の根源のようなものかと考えていたが、生命そのものではないかと考えるようになった。「ヤサホーヤ」と歌い踊るのは、解放を表すのではなく、そうしなければ自分を保てないからそうするのであって、その中から原初的な解放の感覚がかすかに見え隠れするのではないか、と考えるようになった。
どうしようもない現実に身もだえしながらただ立ち尽くし、すべてを失うことによって解放され、その哀しみの中で、ほんの一瞬解き放たれる。そんな瞬間に言葉の力が触れることができた、そんな歌詞なのだと思う。
阪神大震災の日の夜は、満月だったという。そういえば、今夜も満月だ。私の街は、今夜、月が明るい。