WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

ウィ・ウィル・ミート・アゲイン

2012年08月11日 | 今日の一枚(A-B)

☆今日の一枚 320☆

Bill Evans

We Will Meet Again

Scan10018

 すがすがしい朝だ。今日は完全オフだ。思えば本当に忙しい一週間だった。ああ、疲れた。このアルバムジャケットのように穏やかな海を見るとちょっと癒される。海のすぐそばに住んでいながら、しばらく心が癒されるような海をみていない。大津波で海岸線は破壊されてしまった。夏なのに海水浴場もない。サーフィンにいくこともない(歳のせいだが・・・)。まあ、心の問題もあるのだろうが、私の住む街の海岸の多くは、がれき置き場と工事現場になってしまった。愚痴をいってもしょうがない。それが現実なのだから。今日はしばらくぶりに近くの海にいってみようか。

 すがすがしい朝に選んだ一枚。ビル・エヴァンスの1979年録音、『ウィ・ウィル・ミート・アゲイン』、ビル・エヴァンス最後のスタジオ録音作品だ。一曲のみピアノ独奏で他はクインテット編成からなるこのアルバムは、ビル・エヴァンスが死期を悟って吹き込んだものともいわれる。アルバムタイトルにもなっている『ウィ・ウィル・ミート・アゲイン』という曲名はこのアルバムの中でもピアノソロで演奏された「フォー・オール・ウィ・ノウ」の歌詞にある "for all we know.we may never meet again" という部分からきているらしい。兄の自殺に大きなショックを受けたエヴァンスは、心に残っていた先の言葉をヒントに、兄にささげたこの曲に「We will meet again」と名付けたのだそうだ。エヴァンスはこの曲名についてインタヴューで、「なぜって、そう信じるからね」、と語っている。エヴァンスに親しい人々たちは、彼が最後まで入院を拒否したのは死の願望を抱いていたのではないか、と推測しているほどだ。

 私はこのアルバムが好きだ。魅惑的な語感のアルバムタイトルといい、詩情を感じるジャケットといい、さわやかで情感あふれる演奏といい、いい作品だと思っている。けれど、世の中にはこの作品を高く評価しない評論家先生もいるようで、例えばちょっと古いが大村幸則氏と高木宏真氏の対談(『ジャズ批評別冊/ビル・エヴァンス』1988)

(高木) 79年の『ウィ・ウィル・ミート・アゲイン』でまた無意味       な使い方をしている。リズム+二管という典型的なハード・バップ・スタイルだけど、コトもあろうにエバンスがリダーとしてつくるとは・・・・。

(大村) あんまり、面白いレコードじゃないね。そして、これが最後になってしまうとは・・・・。

 意味がわからない。どうやら、アコーステック・ピアノとエレクトリック・ピアノの使い方に関するやり取りのようであるが、論旨が不明確で、文脈から判断してもここまで酷評する理由がわからない。

 一方、小川隆夫氏は、「ラストトリオの到達点」というエッセイの中でこの作品に対して次のような高い評価を与えている(『ビル・エバンス/あなたと夜と音楽と』講談社1989)。

 たしかにそれまでにないほどリリシズムに磨きをかけ、ことさら内省的な演奏に終始している。それは紛れもなく、彼の最良の演奏の一つに数えられ、ここで示したエモーションからは近寄り難い孤高なものを感じさせられよう。スタジオ録音という彼の音楽活動のある部分において、この作品はピークを記録したものとして、またエバンスの持つピアニスティックな魅力を研ぎ澄まされた形で残したものとして、永遠不滅な崇高さに輝いている。

 首肯すべきことも多く、基本的には異存はないのだが、反面、ちょっと言い過ぎではないかとも思う。過剰な修飾が多すぎて論旨も不明確である。

 確かに、内省的でリリシズムに満ちた演奏であるが、私にとっては、さわやかですがすがしい、特に好きな作品のひとつ、ということになりそうである。