WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

一枚のおいしい水

2015年01月05日 | 今日の一枚(C-D)

●今日の一枚 401●

David Liebman

Water

 正月の2日と3日は、続けてマイブームの風呂屋に行った。サウナと水風呂を数セット繰り返し、脱衣所にもどって飲む水のおいしさは格別である。水は大切である。そう頭で思っても、そのことが骨身にしみてわかるのはやはり特異な状況なのかもしれない。震災の時は、給水所に並んでやっとの思いで水を手に入れ、水の入った重いタンクを自宅まで運んだものだ。それが男の仕事だった。それでも水は足りなかった。通常は焼酎を入れるであろう宝酒造の大きなタンクローリが、水をいっぱいに詰め込んできてくれた時には感動を禁じ得なかった。サウナの後の、おいしい水を飲みながら、ふとそんなことを考えることがある。

 「一枚のおいしい水」・・・。デイヴ・リーブマンの1997年録音作『ウォーター』の帯の宣伝文句である。

David Liebman(ss, ts)
Pat Metheny(g)
Billy Hart(ds)
Cecil McBee(b)

 発売当時に買ってなぜかほとんど聴かず、長い間CD棚で眠っていたアルバムである。当時の私には、コンテンポラリー・ジャズはピンとこなかったのかもしれない。風呂屋で水のおいしさが身にしみて、もう一度手に取ってみようという気になった。

このレコードの音楽はすべてオープニングのソロギターのテーマを展開したものである。どの作品もこのメロディーのハーモニーを変えたものをベースにしている。多様な表現形式に加え、ギターとリードのさまざまな音色を生かすことが全体的コンセプトの不可欠な構成要素である。

 デイヴ・リーブマンのことばである。これを読んでももう一度聴いてみると、なるほどと納得しできる。デイヴ・リーブマンはこう続ける。

この宇宙に欠くことのできない水は、さまざまな大きさのエネルギーを内包する無数の形をもつ

 水のエネルギーが変幻自在に変化することを、オープニングのギター・ソロが多様な形で展開するということとダブらせているわけだ。ちょっと考えすぎで頭でっかちだなと思いながらも共感を覚えてしまう。やはり、私もまだ色眼鏡でものを見ているということだろうか。けれど、このコンテンポラリー・ジャズの本質を理解できたかどうかは別にして、以前よりずっと、聴きやすく親しみやすい音楽だと感じる。悪くない・・・。