WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

「ゆ」 沸いてます

2015年01月24日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 411●

Art Pepper

The Trip

「『ゆ』 沸いてます」

 風呂屋の前の国道沿いに、こう書かれたのぼりが数本立っている。これには何とも抗しがたい・・・。すごい宣伝文句である。直截的で、明快で、これほど人の心を穏やかならざるものにする言葉があろうか。けれども、行き過ぎはよくないと、今週はずっと、その魅惑的な宣伝文句に抗して我慢した。しかし今日は別だ。一週間我慢したのだし、土曜日だし、妻は友だちに会うとかで東京に行ってしまったし・・・。次男と2人きりである。チャンスである。次男はあまり乗り気ではないようだが、もう一度説得してみよう。がっちりと時間をかけて風呂とサウナを楽しみ、風呂屋で晩飯を喰うというプランはどうだろう。ちよっと高いメニューを奮発しようか。ジュースもつけようか。

 今日の一枚は、アート・ペッパーの1976年録音作、『ザ・トリップ』である。1975年に約15年ぶりに復帰して以降の、いわゆる後期ペッパーは概して評価が高くはない。例えば、「いーぐる」の後藤雅洋さんは、70年代以降のアルバムは、前期ペッパーを全部購入してから、「気が向いたら誰かに借りて、一度試してみるとよいだろう」と語り、次のように続ける。

やけに力強くなったペッパーの変身ぶりに驚かれるだろうが、僕はそれらのアルバムを聴いて面白いと思ったことはなかった。ペッパーの長所、陰影の美が失われてしまっているからだ。(後藤雅洋『新 ジャズの名演・名盤』講談社現代新書)

 そうなのかもしれない、と思う反面、やはり私は後期ペッパーにものすごい吸引力でひきつけられる。時々、無性に聴きたくなるのだ。『ザ・トリップ』は、中でも好きな作品だ。コルトレーンの影響を受けて、より内省的で、暗く、シリアスになったペッパーを、エルビン・ジョーンズのドラムが激しくまくしたてる。デビッド・ウィリアムスの柔らかい音のベースと、ジョージ・ケイブルスの瑞々しいピアノが絶好のサポートでペッパーのアルトを補完する。そんな構図が目に浮かぶ。

 1950年代のペッパーの輝かしいフレーズをひとつの卓越した「芸」とするなら、後期の生々しいペッパーは「私小説」的だといえるかもしれない。それが虚構の物語かもしれないと思いつつも、人は時々、そこに真実の「物語」を求めてしまう。後期のペッパーは、抗しがたい、魅惑的な吸引力で、時々私をひきつける。

 今、私の傍らでは③ A Song For Richard が流れている。最高だ。いいサウンドだ。

 


キラー・クイーン、がんばれタブチ!

2015年01月24日 | 今日の一枚(Q-R)

●今日の一枚 410●

Queen

Sheer Heart Attack

 クイーンが聴きたくなってCDを注文した。1974年リリースの『シアー・ハート・アタック』である。クイーンのレコードやカセットテープはたくさん持っているが、CDは『オペラ座の夜』のみだった。レコードプレーヤーも、カセットデッキも破損したままだったので、ずっと聴くことができなかったのだ。クイーンが聴きたくなって・・・と書いたが、正確には「ブライトン・ロック」が聴きたくなって、といった方が正確だ。「ブライトン・ロック」がクイーンの曲の中で一番好きだ。本当にご機嫌な曲だ。

 クイーンはやはりすごいバンドだったのだと思う。知的で、革新的で、実験的でありながら、聴く者を拒絶するような音楽ではない。ポップで、歌心に溢れている。もちろん、だからこそ売れたのであろう。ギター少年だった私は、クイーンを聴く時はいつも、ブライアン・メイのフレーズを追っていたものだ。けれど、追随できるギタリストではなかった。実際私は、ブライアン・メイの完全コピーなどしたことはないし、してみようという考えすらもったことはなかった。エリック・クラプトンがインタビューで、あなたに弾けないフレーズなどないでしょうといわれ、そんなことはない、例えばクイーンのギタリストだ、といったのをいまでもよく憶えている。フェイズシフターやディレイを駆使した複雑なサウンドは、それを前提にしたフレーズの構成と相まって、簡単にまねできるようなものではなかったし、40年以上経過した今日にあっても、圧倒的なオリジナリティーの光を放っている。クイーンとはそういうバンドだったのではないか。そのサウンドはあくまで鑑賞すべき対象だったのであり、ひとつの完結した世界だったのだ。「ブライトン・ロック」は、そのようなブライアン・メイのギター・サウンドのエッセンスが凝縮されたナンバーだと思う。

 ところで、「ブライトン・ロック」に続いて2曲目に収録されている「キラー・クイーン」である。ポップで、ギター・アンサンブルが魅力的な、全英2位に輝くヒット曲だ。もちろん、好きな曲だ。いい曲だと思う。この曲の、She's Killer Queen Gunpowder,gelatine いう部分について、大学時代の友人に「キラー・クイーン、がんばれタブチ」って聞えるんだよねといわれてショックを受けたことを昨日のように思い出す。このことは、当時は多くの人たちの間に流布していたようであるが、私にはまったく思いもかけなかったことだった。ある種の芸術性をもった崇高な存在と考えていたクイーンの世界と、漫画のタイトルであり流行語でもあった「がんばれタブチ」が並列的に並べられたことについて、純粋なショックを受けたものだ。それ以来、「キラー・クイーン」を聴くたびに「がんばれタブチ」が想起されるようになり、30年以上たった現在でもそれは変わらない。

 げに恐ろしきは大衆であり、民衆的世界である。