WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

「浜の湯」と「相馬屋」の想い出

2015年01月09日 | 今日の一枚(A-B)

⚫️今日の一枚 403⚫️

Bruce Springsteen

Nebraska

 また風呂屋にまつわる話である。幼い頃、よく父親に連れられて銭湯に行った。「浜の湯」という銭湯だった。その頃のうちの風呂は、薪をくべる直火式の、粗末だが今考えるとなかなか趣のある五右衛門風呂だった。けれど、どういうわけか父親はよく私を銭湯に誘った。広くて熱い風呂に入り、風呂上りにコーヒー牛乳やフルーツ牛乳を飲ませてもらい、帰り道にはほとんど決まってホルモン屋に寄った。「相馬屋」という店だった。七輪でホルモンをつつきながら、父親はビールを、私はオレンジジュースを飲んだ。ホルモン屋で父親とどんな話をしたのかは憶えていない。ただ、ずっと後に、私が大人になってから、ホルモン屋にいくとお前は自分のいろいろなことをよくしゃべったんだ、と父親がいったのを憶えている。今の私がそうであるように、父親も息子の話を聞くことが楽しかったのかもしれない。ホルモン屋での話の内容は全然記憶にないが、無声映画のような映像が頭に浮かぶ。懐かしい情景だ。

 ブルース・スプリングスティーンの1982年作品、『ネブラスカ』を聴くと、懐かしい情景が頭に浮かぶ。見たことも行ったこともないのに懐かしい、実体のない情景だ。ほんとうにゆっくりとした曲の流れが、細胞の隅々にしみわたる。ぐったりと疲れ果てた心と身体をやさしく包み込み癒してくれる気がする。

 ブルース・スプリングスティーンについては、私の愚かな誤解と偏見の故に、同時代に聴くことはなかった。そのことはずっと以前に記した通りだ。村上春樹『意味がなければスウィングはない』(文芸春秋)によって、スプリングスティーンがアメリカのワーキングクラスの閉塞感を代弁する歌を歌っていたことを知った。その音楽を聴くようになったのは比較的最近のことだ。

 このアルバムに「僕の父の家」という曲が収録されている。

目が覚めた時
二人を引き離したいくつかの辛い出来事を思った
でもそれが再びお互いの心を引き離しはしないだろう
服を着て、父の家に向かった
道路に車をとめると
窓が朝の光を浴びて輝いていた

 「浜の湯」と「相馬屋」のあった地区は、津波と火災で文字通り全滅した。今はかさ上げ工事がはじまり、まったく違う見知らぬ街に生まれ変わろうとしている。