WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

この瞬間が奇跡であること

2021年03月13日 | 今日の一枚(I-J)
◎今日の一枚 477◎
Jimmy Scott
Unchained Melody
 そういえば、先週訪れた大島の亀山山頂付近のレストハウスに、「ご来館くださった方々へ」という張り紙があった。10回目の「3.11」の直前だったためだろうか、あるいは亀山からの雄大で美しい景色を見た直後だった所為だろうか、妙に記憶に残っている。

ここ亀山から、緑の真珠を眺め未来を想像してください。
悪天候の時もあるでしょう。
残念に思われるかもしれませんが、それも時には必要な自然の力なのだと思います。
次に見える景色は、虹がかかるかもしれません。
雲ひとつない青空かもしれません。
どれもこれも一度しか見れない景色です。

当たり前の日常が当たり前ではない日常であること。
今見えているもの、感じているもの、この瞬間が奇跡であること。
この景色を眺め、大切な時間をお過ごしください。

どうか、あなたの人生に、たくさんの優しい光が差し込みますように。
 
「緑の真珠」とは大島のことである。「大切な時間をお過ごしください」というところがなかなかいい。
 今日の一枚は、ジミー・スコットの『アンチェインド・メロディー』である。2001年のライブ録音盤だ。ジミー・スコットについては、以前話題にしたことがある(→こちら)。「伝説のシンガー」「天使の声」といわれる歌手だ。多くのシンガーに影響を与え、ミュージシャン仲間から絶賛されたにもかかわらず、長い不遇の時代を過ごさねばならなかった彼にとって、このアルバムが初のライブ・アルバムなのだそうだ。しかしこの時、彼は76歳。かつての天使の声の片りんは十分に感じることができるが、もはや天使の声ではない。懸命に声を振り絞る姿からは、正直いって痛々しさを感じざるを得ない。ところがである。じっと耳を傾けていると、その世界に引き込まれ、気付けば痛々しさなど消え去ってしまっている。これもまた、奇跡だ。
 ジミー・スコットは、2014年に亡くなった。

あの日の夜

2021年03月13日 | 今日の一枚(O-P)
◎今日の一枚 476◎
大貫妙子
Attraction
 今週は、10年目の3月11日があった。震災にまつわることについては、これまでいろいろ書いた。ただ、私は津波そのものを見ていない。たまたま海岸から遠いところにいたのだ。いつも思い出すのは、あの日の夜のことだ。避難先で過ごした夜は、本当に寒かった。避難先には、確かな情報は何も入らなかった。高校に津波が押し寄せ、体育館の屋根はもうないらしいなどの噂を聞いたがリアリティーを感じられず、デマの類かと思ったほどだ。携帯電話のワンセグで見たニュースに町が燃えている映像が映り、「気仙沼市」という文字を見たときも実感がもてなかった。あわてて外へ出て空を見上げた。遠くの空が真っ赤に色付いていた。大変なことが起こったのかもしれない、とその時初めて思った。

 今日の一枚は、大貫妙子の1999年作品の『アトラクシオン』である。私は、日本の音楽はあまり聴かない。大貫妙子の音楽は、数少ない例外の一つだ。今週見た、テレビの震災関連番組のバックに聞き覚えのあるメロディーが流れていた。大貫妙子の「四季」だった。郷愁を感じさせる日本的な旋律、歌詞の中の故郷の情景の描写や、「胸に残る 姿やさしい 愛した人よ」「さようならと さようならと あなたは手をふる」などの言葉が、震災を追憶する音楽としてふさわしいと考えられたのだろう。早速、「四季」の収録されている『アトラクシオン』をしばらくぶりに聴いてみた。「四季」は、やはりいい曲だ。歌詞の背景や意味については不明だが、喪失の歌のようだ。不在の人と故郷で過ごした情景を描写した歌詞である。前半部でその人と過ごした故郷の情景が鮮やかに描かれ、終わりになってその人が今はもう不在であることが告げられる。「さくらさくら 淡い夢よ 散りゆく時を知るの」という言葉で死のイメージが提示され、「さようならと さようならと あなたは手をふる」という言葉で、その人の去り行く情景が描かれる。秀逸な歌詞である。初期の、フランスものの時代とは一味違う、円熟した大貫妙子の曲だといえよう。
 今、「風の旅人」がかかっている。これもまたいい曲だ。