WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

「"き"のつくキ〇タマ」事件

2021年03月14日 | 今日の一枚(C-D)
◎今日の一枚 479◎
Chris Connor
Sings lullabys Of Birdland
 本棚を整理していて、懐かしい本を見つけた。栗本慎一郎の『ホモ・パンツたちへ』(情報センター:1982)である。高校・大学の一時期、私は栗本慎一郎の読者だったのだ。当時、経済人類学者を名乗っていた栗本氏の著作から、私は相対的に考えるという視点を学んだのだった。
 そういえば、この本の中で「”き"のつくキ〇タマ」事件が紹介されていた。テレビの幼児教育番組の中で、若い美人の女の先生が、「では、"き"のつく言葉を言ってみましょう」と問いかけたところ、一人の男の子が手を挙げて、「キ〇タマ」と答えたというのだ。若い美人の女の先生はしばし絶句し、あわてて「そうね。それもありますね。でももっと美しくてきれいな言葉を言いましょうね。さあ、他に何かありますか?」と再び問い掛けた。子どもたちがシーンと沈黙していると、先の男の子が再び挙手して「きれいなキ〇タマ!」と答えたというのだ。その瞬間、生放送だったこの番組の画面いっぱいに「しばらくお待ちください」のスーパーが映り、番組が再開すると、その男の子の姿はどこかに消え、男の子の座席には善意の象徴であるパンダのぬいぐるみが座っていたという。
 腹を抱えて笑ったものだ。腹筋がつりそうだった。この番組とは「ロンパールーム」だったらしく、一部では有名な事件だったようだ。栗本氏は、この事件を《しのびよるパンダ・ファシズム》として糾弾し、言葉を固定的にとらえて排除する仕方を批判したのだった。
 今日の一枚は、クリス・コナーの『バードランドの子守歌』だ。1953~1954年のライブ録音盤である。優しく柔らかい歌声が何ともいえずいい。歌のテクニックは高度だが、決して奇をてらわず、曲の芯をとらえるのがクリスのボーカルの真骨頂である。「バードランドの子守歌」は、例えばサラ・ヴォーンのそれと比較すると両者の資質の違いが明確になる。どちらも好きだが、クリスの歌唱は本当にゆったりした気持ちになる。

リゾーム

2021年03月14日 | 今日の一枚(O-P)
◎今日の一枚 478◎
The Oscar Peterson Trio
We Get Requests
 本棚を整理していて懐かしい本を見つけた。1980年代に流行したドゥルーズ=ガタリの『リゾーム』である。何とも開いたためか、もう本はバラバラの状態だ。帯の宣伝文句には、「80年代の思想シーンを規定した、ドゥルーズ-ガタリの戦闘的パンフレット」とある。周知のように、リゾームとは地下茎のことであり、ツリーの反対概念である。各人が、非統制的、非管理的に、自由にコミュニケーションすることで、権力に対抗するイメージを表したものだ。今振り返ってみると、スマホやPCを使って各人が自由にあるいは偶然性によって繋がることのできる社会にシフトした点では、リゾームの描くイメージは先見性があったといえるかもしれない。しかし一方、その反作用としてあるいはそれへの対抗として、国家権力の統制が強まったこともまた事実であろう。問題は、そうした統制を市民が受け入れ、場合によっては増幅しているように見えることである。
 今日の一枚は、オスカー・ピーターソンの『プリーズ・リクエスト』である。1964年録音の作品だ。私はなぜか、オスカー・ピーターソンを聴いてこなかった。LPやCDのコレクションの中にも、持っているのはこの一枚のみである。この一枚も、教養主義的に聴くために買ったような気がする。オスカー・ピーターソンを毛嫌いしていたわけではないが、私が伸ばしていたアンテナには引っかからなかったようだ。私の聴く音楽の傾向とコードが違っていたのかもしれない。今、オスカー・ピーターソンを聴いている。趣味のよい、お洒落なサウンドである。衰えてきた耳にも優しい。ただ、若い頃聴かなかった理由もわかるような気がする。お洒落で美しい演奏だが、予定調和的で、つまらなく感じたのだろう。もちろん、忌み嫌うような演奏ではない。定年したら、肩の力を抜いて聴けるかもしれない。