昼休みにラーメン食らいながら
ちっちゃな冊子を読んでいたらなかなかええ事が書いてあった
仏教の言葉の中に「三世」と言うものがあって
過去・現在・未来を表す意味だが
仏教ではこれを区切られた‘時,の流れとして扱わず
存在するものの変遷ととらえている
すなわち過去、現在、未来は区切りの無い流れであって
過去は現在を作り現在は未来を作る
過去の行いが現在の結果であって
現在の行いが未来の自分の原因を作る
三世の中で一番重要なのは現在である事は分かるが
未来を作る自分の現在
・・・
万民にはこれが何をすべきか分かるまい
ふふふ・・・
わしには分かるんじゃ・・・
思わず「分かった」とラーメンをすすっていた手が止まった
現在がこれなんだから
これからは過去と反対の事をすりゃええんじゃ
・・・
実際そんな事出来んわなぁ~
因果応報
原因も結果もすべて自己責任
でも人生これだけで捕らえて納得出来るもんじゃ無いと思う
人は生まれながらに自らに課せられた川の流れに流されている部分も多いんじゃなかろうか
この川の流れは人それぞれに起伏や速さが違う
もがいても苦しんでもこの川の流れは変える事が出来ない
谷があったり滝があったりする川に流される人
流された途端、石にぶち当たっている人
清らかで清流の流れに流される人は少ないだろうけど
人それぞれ違った流れに身をまかせている
えらい作家のセンセイは人は「他力」で生かされているんだから
じたばたすんな
・・・とおっしゃった。
他力と人それぞれの生まれてから死ぬまでの川の流れは
違うような気がする
他力と三世は結局は同一線上の者であって
他力と三世は個人の才覚で変える事が出来るが
生まれながらの川の流れは変える事が出来ない
まっ
へたれもんはどこまで行ってもへたれっちゅう事か
・・・
ナ~ンミョ~オホ~レンゲッキョ~♪
なんじゃ