小学校の校舎は戦前に建てられた古い木造で薄汚れた廊下は所々板がはがれていた
校舎は渡り廊下で古い講堂が繫がっていて講堂の隣が音楽室だった。
音楽室には古いピアノが一台置かれていていつも教師がへたくそな演奏をしていた
音楽室の裏は陽の射さない鬱蒼とした木立ちで子供達が立ち入るのを拒んでいた
渡り廊下と校舎の間に給食室があっていつも不味そうな匂いが漂っていた。
教師の誰かがお気に入りなのか給食の時間はいつも放送でペルシャの市場が流れていた。
低学年の頃は活発な明るい生徒だったと思う学芸会も目立った役を貰った
しかし進級につれ段々と性格も変わって来たように思う・・
小学校の4年生の時か
「けっ!このボケッ!~カス!」
「アホ!」
毎日、持ち前のだらしない性格と緊張感の無さから担任によくどやされた
どやされるだけじゃ無くげんこつをよく喰らった
年中忘れ物をして授業中はうわの空だったから目立ったんだろう
それにも増して教師がどやしやすい対象だったんだろう
「ええか~このボケ!そうやって年中しょーたれとれよ」と言われるたびに叩かれた
この担任は同じようにだらしがなく
対象が僕より大きかった同級生の‘かあ君,を叱る時には‘ケリ,を入れていた。
文字通り‘殴る蹴る,が無抵抗な生徒に対して教室の一角で行われていた
僕は年中、ボケカスと言われていたからあだ名が‘ボケカス,になった
その頃、国語の時間に教科書の朗読をするんだが
何人か順番に読んでいって最後に誰が一番上手だったか生徒の挙手の数で決めるんだが何度やっても僕が1番で
2番はいつもユミちゃんだった。
業を煮やした担任が一度こんな事を言った
「ユミちゃんはいつも家で練習してくるんだが、ひろ造は宿題もやらない、ひろ造に手を挙げるのはおかしいやろ?」
そんな道理を担任は押しつけて僕に手を挙げる同級生はいなくなった
勉強はやらなかった
こすっからい?性格だったので一度こんな事があった
算数のドリルのテストがあったので机の下にドリルの答えを隠しておいて
カンニングしながら答案を書いていたら隣りの席のユミちゃんに見つかった
そうしたらユミちゃんが手を挙げて
「先生、ひろ造君がカンニングしてます。」って言った
鬼のような形相の担任が近づいてきて何度も殴られた
涙が出て来た
そうしたら担任が
「そのツラ、くるっと一周回って皆に見せろ」って言うもんだから
涙と鼻水を流しながらくるっと一周回って皆に見せた
あんまし悔しかったもんだから画びょうを担任の座布団に仕込んだ
僕以上に担任に叱られて叩かれていた、かあ君はクラスのイジメの対象にもなっていた
かあ君はイジメられるといつもニコニコしていた。
かあ君に一度
「俺の子分になれ」と言ったら
「誰がお前の子分になるかい!」と反撃された
かあ君は算数がクラスで一番よくできた
僕はこれでいて社交的な才能があったように思う
そんなちっぽけな才能を伸ばす事は
あの古い木造校舎な中では出来なかった
ちょっとだけセンチな思い出やな
ふふふ
毎朝伺う神社の梅の花がほころびだしました。
屋根にはまだ残雪が残っていました。ひょっとして明日また雪かも・・
今朝は鶏肉が一杯残っていたんで親子丼にしました。
卵は2個です。朝からお腹がパンパンです。
数日前の朝ごはんです。いつもと変わらず麦が少し混ざったご飯に海藻?
・・・です。