今から30数年前、めずらしく大阪に雪が降った、所々の残雪を避けながら
僕はなだらかな坂道を上っていた。
その日は大学の合格発表があってその大学は丘の上にあった
2度目の受験だったが受験勉強はほとんどしていなかった。パチンコに明け暮れる毎日だった
それでもランクを落として臨んだので期待していた。大学に入って勉強がしたいとかこれっぽちも考えていなかったとりあえず4年間は働きたくなかった。
それに大学に入ったらおしゃれな生活が出来ると思っていた
掲示板にたどり着き受験番号を確認したらやはり無かった
(やっぱりあかんかったか)
またもと来た坂道を歩いてトボトボと帰路についた、その時もパチンコに負けてバスに乗る金も無かった
夢遊病者のように帰り道を歩いていたら生意気そうな高校生3人ぐらいが立ち止って僕の方に向かってにやにや笑ってる
(なんやこいつら、こんな時に)
僕はこう言う時はけっして怯まないがその時の状況が悪かった。
その内の一人が僕に向かってこう言った
「兄ぃちゃん、チャック開いとるで」
たぶん、その時は2月の中頃だったろうかその年の3月4月は何をしていたのかさっぱり覚えが無い
就職をしないし受験も失敗となった現状、結局バイトぐらいしか選択肢は無かった
心の底ではもう1年や2年ぐらいなら親が面倒を見てくれるだろうと言う甘い考えがあった事は確かだ
しょんべん臭い三角公園近くで汚いドカチンのかっこうして立ってたらガラの悪そうなオッサンが寄って来て話かけて来た。
「にぃちゃん何してんねん、仕事世話したろか?」
「いや、今仕事してますねん」
「何の仕事やねん」
「他の連中が今、昼飯食いに行ってるさかい、お前残って現場で見張りしとけ言うもんやから・・」
「見張ってないと道具を盗まれるからって」
「そんなもん盗むやつおるかいな、この辺は紳士淑女ばっかりや、それよりええ仕事紹介したるわ」
「住み込みで三食賄付きでいちんち5千円や、半年もおったら倉建つでぇ~どや?」
「僕ぅ・・いいですわぁ~」
「それやったら・・事務仕事どうや?電話番やけど掃除はせなあかんけどな」
「僕ぅ・・ええですわぁ~」
とかなんとか話をしていたら先輩のハゲのシゲやんが戻って来た。
おっさんはどっかへ行った
シゲやんが
「お前あんな話に乗ったらタコ部屋に売り飛ばされるかヤ○ザの事務所で電話番させられるとこやったぞ」とか言った
職場にはいろんな人間がいた
ハゲのシゲやんは仕事を覚えて独立した。いろんな奴をひっぱって行ったが僕には声がかからなかった
吉原さんはすごく人が良くて皆に好かれていた。気が小さな人だったが給料を貰うと皆に奢って一晩で無くした。
お金がなくなると皆、知らん顔してた
ある日、夜逃げをしていなくなった。
正社員で入ったキシ君は頭が良かった。愛想もいいし身なりもきちっとして公務員向きだなっと思ったが彼には欠点があった
上司や先輩に頭が下げられなかった。必然あいつは生意気やと言う事でイジメを受けだした。キシ君はとっとと仕事を辞めた
親の仕事の後を継ぐとの事だったキシ君の親は大きな組の○長だった
在日のとうはら君は間寛平似で女好きだった。
「ミナミにひっかけに行こうや」って言うんで
よく戎橋に一緒にでかけたがひっかけた例が無かった
「キタの方がええんちゃうか」とか言っていたが
たぶん、キタでもミナミでも同じだった二人とも貧乏人丸出しだったから
同じバイトに同い年のウメがいた
彼は関大の二部学生だった。
彼と二人してこの仕事を辞めて後に一緒に和歌山のホテルに住み込みのバイトに行った
一つ上の正社員にオシタニさんがいた
彼とはアパートも近かったので何かとお世話になった
このあくる年レンタカーを借りて彼の運転で大阪を出て東京に向かった
僕がアルバイトをしていたその会社はその後、一流企業になって今は大卒しか採用してないらしい、あの頃の人達はたぶん今は誰もいないだろう
その頃この歌が流行っていた