HIROZOU

おっさんの夜明け

セピア色な記憶

2014-03-12 18:34:22 | メモリー

なんとなく最近‘運,から見放されているような・・・

だいたい運が良いだの悪いだのって
言う奴に限ってあまり努力して無いんだよな

自分の場合、今までが運が良すぎたのかな
もう人生の運を使い切っちゃったのかな・・

昔、10代最後の頃、大阪に住んでいた

阪急京都線の急行の止まらないちっちゃな駅は
ホームからエレベータ会社のカラフルな鉄塔が見え
行った事が無かったが古いお寺の門前駅だった


その頃、梅田の専門学校に通っていたが途中で学校なんか辞めちゃって
毎日のように駅前のパチンコ屋に入り浸っていた
チ~ンジャラジャラ煩くてタバコの煙が充満する店内に自分自身が埋没してた

将来や現実を考えたくなかったのかあるいは楽観してたのか
パチンコを打つその頃の自分の姿を思い浮かべると
玉に熱中する頭の悪そうな若者、決まりきった絵のような光景だな

その駅から河原町に出るのも便利だったから
たまに河原町のパチンコ屋にも出張してた
夏の加茂川、冬の銀閣、秋の清水
ふらふらしてたから大阪だけじゃなく京都の地理にも詳しくなった

駅前から続く狭い商店街を抜け

曲がりくねった細い路地の突き当りに古い木造アパートがあって
そのアパートの二階角部屋の三畳間に住んでいた
角部屋だったんで夏なんかパンツいっちょでドアを開け放して寝ていた

裏にはどぶ川が流れていて一度干していた布団が風で飛ばされてそのどぶ川に落ちた

隣は文化住宅だった
独身時代は四畳半、結婚したら文化住宅
正しい貧乏人の流れだな

路地にどぶ川、木造アパート、子供の泣き声、無職な若者
これも何だか絵になるな
(絵になるかな?)

お金が無くなって餓死しそうになると
新聞回収日に近所から新聞を集めて来てそれを古新聞屋に売った
確か30円か40円になった
それできんつるラーメンを買って餓死を回避した
屋根の下に住むホームレス状態だな

近所の貧乏人に疎まれた
貧乏人の中の貧乏人
キング、オブ貧乏人だ

アパートに三畳間はその部屋だけで部屋は台形をしていて
部屋代もそのアパートで一番安くって月8000円だった
部屋代は安かったが気が弱くてアパートの中で唯一NHKに受信料を払っていた

アパートの玄関に下駄箱があって廊下は木造だった
トイレは共同で共有の洗濯機があったように思う
それでも一階入り口に管理人が住んでいてトイレは綺麗だった

ほとんど部屋にいる事が多かったから電気代がバカ高かった
一度管理人に
「爆弾作ってるならやめた方がええよ」って言われた

部屋の入り口は引き戸でドアに窓は無かった

アパートの窓を開けると隣は広い空地で空地の向こうに阪急電車が走っていた
鉄格子が付いた隙間だらけの窓で風がピーピー入ってた
たぶんその頃の刑○所よりひどかったと思う
(入った事は無いけど)

初めての冬、寒くて眠れなくて朝気が付いたら部屋の中の台所が凍っていた
それでも隙間に目張りをしたら眠れるようになった

アパートに住人のほとんどは学生だった
同じアパートには友達が出来なかった

アパートの近くに安威川が流れていてよく土手でタバコを吹かした
土手からは対岸の茨木の工場の煙が見えた
川面に映るあかね色に染まった夕日を見て無職な若者はちょっとセンチになったりした

アパートと同じ名前の風呂屋があったが
たぶんあまり行かなかった
風呂代よりパチンコ代だった
風呂屋の親父が一度部屋に怒鳴り込んで来た
「お前やな、ゴミの日や無いのにゴミ出した奴は、ほれ!」
親父はゴミの中から取り出した自分あての郵便物を取り出した。

商店街を秋風が吹いて
肩を窄めて歩いているセピア色の風景がよみがえる

夜、三畳間に帰って裸電球を点ける
壁に掛かった岩崎宏美が笑いかける
回送電車がピーと警笛を鳴らす

炊飯器の飯は腐り
パンは黴ていた

万年床に潜り込み
夢を見る

あの頃、どんな夢を見ていたんだろう

コメント
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