今日、仕事中にお客様が・・・
「ボーナスの出る人が羨ましいわ」
それを聞いてうちのパートがポツリと・・
「わたしだって貰えないんだから・・」
(うちのこの状況でボーナスの話はタブーだろう・・)
僕が初めて給料なるものを貰ったのは19の歳の大阪だった
まだ発行されたばかりのアルバイトニュースが薄っぺらいページ数の頃
その中で一番、時給の高い仕事を選んだ
場所は天六の商店街に近い南森町の会社だった
まだ履歴書に何の職歴もない真っ白な時
記念すべき労働者の第一歩だ
その頃の僕は今と違って明るくさわやかな青年でどんな質問にも
「はいはい!」と
明るく爽やかに受け答えしていた。
だけど僕の頭の中に労働意識なるものはいっさい欠如していて
ただ時間を潰していれば給料を貰えると思っていた
仕事は水処理の仕事で水冷のクーラーの掃除や受水槽の掃除だった
毎朝、社員とペアになり現場に行って仕事をする
僕は一切自分から進んで仕事をせず
言われた事だけ
「はい!」
と明るく仕事をもたもたとやっていた
最初は社員も丁寧に接してくれたが
そのうち・・
「このボケ!カス!はよせんかい!」と
怒鳴るようになって来た
朝、会社に出勤するとホワイトボードにその日の現場とペア名が書かれていて
その日、僕とペアにさせられた社員が
「けっ!今日はひろ造とか!おらん方がマシやな」
とか言い出した
仕事は相変わらずもたもたしていて
「なんぼ言うたら分かるんじゃい!」
と怒られてばかりで
爽やかな笑顔も出なくなった
それでも会社は僕をクビにせず
僕自身、仕事を辞めなかった
何故かと言うと
その頃
パチンコのフィーバー台が登場して毎日、天六でフィーバーした
その日の日当を毎日パチンコにつぎ込んでいつも文無しだった
仕事に行きへすれば金は入るので辞めれなかった
バイトの中で一番できない奴のレッテルを貼られ
終いには
ボケカスも言われなくなり
社員も仕事先で僕の事を‘おらん,つもりでやっていた
一度、釜ヶ崎の三角公園近くに現場があった
僕に命じられた仕事は現場の‘見張り,だった
昼間っから酒を飲んで‘バクチ,に興じる公園の住人を見て
今でもすごく親近感が沸いたのを覚えている