HIROZOU

おっさんの夜明け

他になし

2019-09-10 18:24:05 | メモリー

先週、患っていた父がもうそんなに長く持たないと言われて数日後に家族で帰省の準備をしていたら

急に仕事の始業時間に姉から僕にすぐに帰るように言われてとりあえず持つものも持たずに飛行機に乗った

羽田まで電車の乗り継ぎが奇跡的にスムーズで空港から100キロのレンタカー移動もほとんどノンストップだった

帰路病院まで8時間、ほぼ最短時間でたどり着いて

僕が病室に着いて

「お父ちゃん」と声をかけたら10分後に息を引き取った

僕が帰るのを待っていたかのように

父の人生とはどうだったんだろう?

良い人生か

そんなに良くない人生か

たぶん平凡な人生だったろう

ただ、人並み以上に働き者だった事は事実だ

おかげで僕たち兄弟は随分満たされた学生時代を送らせてもらった

父の学生時代

父は成績が良かったので

わざわざ過疎の村から広島の中学に進学した

しかし、

中学二年の夏休みに広島市内に学徒動員中に被爆

その頃、南方に出征中の祖父は行方不明

実家からの仕送りの充ても無くなった父は学業を捨てそのまま過疎の村に帰り家業の漁師についた

父はその頃の事はあまり話したがらなかったが

「広島で原爆に会うて高知に帰る途中、徳島で汽車待つ間、眉山(びざん)に登ったんやが

徳島も焼け野原でどこもかしこも焼け跡ばかりやった」

この言葉がいつも脳裏に残っていて

今回も帰省の際

眉山が見えた時、この言葉を思い出した

90年近い父の生涯で過疎の村を出て暮らしたのはほんの数年で

その生涯をこの村で出来の悪い子供たちの学費の工面に追われた

漁師と並行して急峻な山肌にへばりつくようなみかん畑の仕事に追われ

板子一枚地獄の海と牛や馬のように地べたにとりつく山の仕事

自分自身に為に費やした時間はそんなに無かっただろう

晩酌はいつもビールの小瓶1本だけ

母が施設に入り一人暮らしになるとおかずは海苔の佃煮ばかり

唯一の楽しみは読書

他になし

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