ほんまに暇だな・・
まだ雨も降って無いのに
小さい頃、うちは兼業漁師?でみかんやらビワを作っていた
隣町の橋でつながった離島の夏祭り
あの頃、けっこう田舎の離島でもお祭りは賑やかで
おばあちゃんと二人でリヤカーをひいて
トロ箱の上に屋台を作ってビワを売った
祭りの客はけっこう出ていたけど
ビワは一つも売れなかった
そうしていると一人の綺麗なお姉さんが寄って来て
「おばさん、これは売り物ですか?」
と聞いて一つ買ってくれた
しゃがんでいた僕はお姉さんを見上げて
(綺麗な人だなー)
と思った記憶がある
遠い昔
お姉さんは今・・
お婆さんだろうな
10代最後の頃、パチンコのフィーバーに入れあげて
にっちもさっちも行かなくなって
生まれて初めてバイトに出た
世の中を知らない世間知らずのボンボン?の初めてのバイト先が釜ヶ崎の土方だった
バイトも初めて釜ヶ崎も初めて
釜ヶ崎はしょんべん臭かった
親方や先輩土方に殴る蹴るの制裁は一切受けなかったが
「あほ!ぼけ!かす!どたまかちわんぞ!」
叱咤激励?は四六時中受けた
僕みたいな普通の軟弱もんは
すぐ辞めてしまうんだろうけど
その日の食べもんを買う金も無かったから辞めれなかった
がたいの大きな吉田によくいびられた
頭は足らん男だったけど小さい頃から土方で鍛えた体には逆らえなかった
ある日監督が
「吉田は10日ばかり仕事に来いへんさかいな」
言った
「どないしたんですか」
「指、つめたんや」
僕はそれを聞いて
(怖っ~!日当4800円で指つめてしもうたらかなわんな)
と思った
そうしたら先輩土方が
「アホやな、さかづきなんぞ貰うさかいや」
「あいつ看板使うてタクシイの運転手にごろまいとったもんな」
吉田が指を詰めたのは仕事の現場じゃ無くてどっかの事務所だった
聞いたら吉田はどこぞの組?の非正規従業員?にしてもらっていた
そうしたら組は正規従業員になって営業?に出ろと言って来た
吉田は
「かんべんしてください」
言うた
組は
「かんべんならん」
言うた
(そりゃそうや、わしなんぞにさんざんいばりくさって)
吉田は背中一面にもんもんまで入れていた
「嫌やったら銭持ってくるか指つめえ!」
言われた
吉田は出刃で泣きながらつめた
僕は吉田が復活するまでに仕事を辞めた
後で聞いたら
吉田はその後性格が丸うなったらしい
この間まで暑い暑いと言っていたのに
朝晩、急に寒くなってもうすぐまた冬が来る
昔、大阪で初めて一人暮らしを始めた時
最初の冬
えらい寒い晩で
隙間風がぴゅーぴゅー部屋に入って来て
布団を被ってガタガタと震えていたら
あくる日、窓際の台所が凍っていた
こりゃあかん、部屋の中で凍死したら洒落にならんと思って
部屋中の隙間をビニールで目張りした
あの頃の暖房器具と言ったら炬燵か安もんの電気ストーブ
重いどてらを着て一冬を過ごした
肩を丸めて革ジャン風の黒いビニール製のジャンバーを着て歩いたな
閑散とした寒い寒い商店街
駅前の踏切の手前に立ち食いのうどん屋があって毎日通った
その時間、もう普通の人は学校に職場に出勤していて
今頃の時間、駅前をうろうろしているのはパチンコ屋の開店を待つあほうばかり
うどん屋で注文するのはいつも‘かやくご飯定食,
素うどんにかやくごはん、厚切りで真っ黄色なタクアン、確かそれで270円
うどん屋を出たらパチンコ屋から軍艦マーチが流れて来る
開店だ
馴染みの客が流れ込んでお気に入りの台に煙草の箱を置く
煙草の箱を置くと後の客は座れない
「いらっしゃい、いらっしゃい、土手の柳は風まかせ、かわいいあの子は銭まかせ、パチンコ台はあなたの腕まかせでっせ!」
店員がマイクを持ってがなりたてる
「はいはい、もう5番台はヒット~!」
軍艦マーチと店員の煽り立てるトークで客は皆ヒートアップして頭がどっかに行ってしまう
前後左右のパチンコ台に紙で作った白いバラが飾られる
777のフィーバーが一回揃う事にバラが一つ台に張られるんだ
タバコの煙とジャンジャンと鳴るパチンコ玉の音、BGMの流行歌が流れる
まくし立てる店員の声
頭はカッカカッカと熱くなるんだが
僕の座る台に白いバラは一向に張られる事が無かった
持ち金はあっという間に無くなり
またもと来た道をトボトボと帰る
風呂屋の前を通りコインランドリーのまえを通る
しかし、風呂に入る事も洗濯をする事も出来ない
皆、パチンコにつぎ込んだから
食べるもんもないな・・
ポツリと思って
冷えたアパートの部屋に帰る
こんな事を毎日繰り返していた