50年も前に卒業した小学校は古い木造校舎で
校門を入ると校庭に子供が3人でも幹回りに手を繋げない程幹が太い栴檀の木が2本東西に植えられていた
朝礼代の後ろの花壇には二宮金次郎の銅像と白い百葉箱
道路に面した校舎の端に外便所があって便所の周りはこの時期金木犀の臭いがした
それでも金木犀の臭いより赤茶けた立ち小便用の便器に沁みついた小便の臭いが強かった
その頃、僕の出た小学校の生徒は誰も運動靴を履いて無かった
学校の行き帰りはゴム草履で校内と休み時間の校庭遊びの時は裸足だった
そして校舎に入るときは足洗い場と呼ばれた洗い場で足を洗って入った
話は違うけれど・・
現在、僕の職場周辺は東南アジアの方が多く住んでいてぱっと見日本人と区別がつかない方もいるんだけど
足元を見るとすぐ分かる彼女彼らはほとんどが草履履きなんだ
だから僕の小学校時代はほぼ東南アジア状態だったんだな・・
木造校舎から屋根の付いた渡り廊下を渡ると
やはり木造の講堂があってその先は音楽室だった
講堂には旅劇団が来て演劇を公演したりクラスごとの学芸会を開いたりしていた
音楽室にはピアノは無くて古いオルガンがあって
男先生や女先生がへたくそな童謡なんかを弾いていた
24の瞳かい!