最近、全然運動をしていない
おととしまでは人の何倍もやってた
これは、小さい頃からの自分の生きざまと言うか
もって生まれた性格と言うか
やる時は一生懸命やるんだけど
やらない時はまったくやらない
今は人生の分岐点なんだけど
全然、何もする気がしない
何もしない場合もいい時がある
何年前か副業に手を染めて
けっこうな投資と労力をして
えらい目におうた
何をするかだな
もう最悪な日々が続いている
長年うちに勤めて去年の今頃、退職したパートさんがさっき来て
うちの最近のお客様数を聞いて絶句してた
どうしよう・・
いつもお気楽な自分としてもこの先の考えが思いつかない
ええ~~ん
もう田舎に帰ろうかな
あのコンビニも無い最果ての町に
退屈で退屈でしょうがない町に
昨日、酒飲んでいて、何気にテレビを点けたら
ちっぽけな時間の止まったような漁村が出てた・・
我が故郷だ
古い家屋の鄙びた漁村
その魚村を見下ろすように大きな橋が架かっている
漁船、砂浜、潮騒、干物、猫
我が家は今だれも住んでいない
我が家も時間が止まったまま
玄関を入ると土間が続く
台所も庭も昔のまま
高校を卒業するまで僕が使っていた部屋もあの時のまま
それより前は姉が使っていた
ジュリーのポスターに古い電子オルガンに僕の机
本棚には兄弟3人が買いそろえた‘赤本,
大きなタンスの引き出しを開けると
百恵やひろみが表紙の明星に平凡がぎしぎしに入っている
窓を開けると山々と防風林の松林が見える
僕が18歳の時から時間が止まった部屋だ
帰省した時はこの部屋には入らなかった
もし、田舎に帰るとしたらこの部屋に住もう
この部屋で天井を見ながら横になると
たぶん、18歳の昔に戻るんじゃないだろうか・・
18歳から現在の僕までの出来事
大坂に出てそれから上京して
就職して結婚して子供が生まれ
そんな出来事がまるで幻であったかのような
錯覚を覚えるだろう
18歳で切れてしまった過去が
また現実として繋がるんだ
・・・
よう分からんが
何年前だか忘れたが
街のスポーツクラブの帰りに新規店舗の改築現場に出くわせた
たぶん、飲食店だ
その店の前で新店舗の店長らしき人が人相の悪い数人の幹部らしき男にハッパをかけられていた
新店長はひたすら頭をぺこぺこ下げていた
歩道の真ん中でだ
(うわー!こんなとこで働けんな)
その時、自分の境遇に感謝した事を覚えている
従業員をひたすら叱咤、命令、気合をかける、それも他人の目の前でだ
あの頃は買い手市場で仕事が無かった
特に正規社員の‘くち,が無かった
たぶん、いまの40代の人達
ただ、ひたすら耐え忍んだ年代・・
かな?
その飲食店は新進気鋭のチェーン店で上場も果たした
従業員を叩いて叩いて伸びたんだろうな
あの頃はこう言ったビジネスモデルが幅を利かしていた
そうしたところ、ここの会社の他所の店舗で従業員が事件を起こした
とんでもない事件だ
牛や馬じゃないんだから
ただ叩くだけじゃ従業員もやってられない
人間らしく
働きがいがある職場
職場環境が如いては人間関係もおだやかにする
まっ!こんな職場なんて無いだろうけど
それにしても最低、従業員に少しでも感謝される職場であるべきだな
金を払ってるんだからって人を物のように扱うところもあるのも事実だ
人間は感情の動物で雇用主や上司の言動で部下やバイトもどうにでもなる
間違っても
後ろで砂をかけられることが無いように
とか昨今のテレビニュースを見て思ったんよ
ほんまに、お客さん来ぃへんな
今日は近くの私立高校の卒業式だそうだ
僕もうん十年前に田舎の高校を卒業した
あの頃、人生に何の目標も目的も無くて
数打ちゃ一つぐらい受かるだろうと思っていた大学受験も失敗して
かと言ってまだ就職するのも嫌だったので
とりあえず専門学校に身を置いて大阪に出たんだ
大坂に出たけれ学校も行かず毎日パチンコを打っていた
たま~~にぃ2度目の受験を目指して予備校なんかにも行った
やはりと言うか案の定2度目の受験もスベリまくって
しょうがないんで人生初めてのバイトに行った
その頃、出たばかりの薄っぺらなアルバイトニュースの中から一番時給の高い所を選んだ
時給が高いのに
「簡単な軽作業」と書かれてた
(こんなに時給がええのに簡単かいな・・・)
世の中を知らない‘アホ,が食いついた
作業服に場所に寄っちゃヘルメットを被らされて
ビルの屋上のクーリングタワーの掃除やら
ビル地下の受水槽の掃除なんかもやらされて
簡単な軽作業は
危険な重労働だった事を知らされた
いつも先輩から罵声を浴びせられた
「こんな役に立たん奴初めてやな!」
「このアホ!ボケ!」
嫌、正直言ってあの頃の僕って
たぶん、何をやっても務まらない
ドジでまぬけな亀だった
そんな優男が海千山千のおっさん連中に苛められながらも数か月働いたのは
ただひたすら金が無かった
なんせその日の日当すべてをその頃、出始めたばかりのパチンコ台777に嵌って
毎日、文無しだったから嫌でもその仕事にしがみ付く以外に無かった
そして、不思議な事にその会社の連中も僕に文句は言ってもクビにはしなかった
たぶん、あー言った業種には必ず僕の様な‘役立たず,がどこにでもいるんだろう
計算ずくやな
そして一度、釜ヶ崎の現場で昼休みに荷物の見張りをしていたら
あやしい、おっさんが近づいて来て
「兄ぃちゃん!仕事にあぶれたんかいな、なんやったらうちの飯場に来ぃへんか?」
「ドヤに賄付きで月にこんだけ出すわ」
と一本だけ短くなった指を開いて見せた
「僕ぅ~遠慮しときまっさ」
僕は昔から危険な事・・
特にいじめっ子がこれから僕をいじめてやろうとする時とか
事前に危険を察しする予感に長けていて
この時も
(行っちゃいけない)
と言う危険信号が出ていた
後で先輩連中の聞いたら
山奥の‘タコ部屋,に送られるところだったそうだ
何でも着るものから食うもの皆、借金を背負わされて
死ぬまでこき使わされるんだそうな
ははは!
現代にこんなところは無いだろうが
ほんま、あの時‘タコ部屋,に入れられてたら
死んで無かったにしろ
どんな人生を歩んでいただろう
何の話やったっけ?
ああ
高校の卒業式か
さっき朝の6時にお参りに行きました。
ゴ~ンゴ~ンと遠くからお寺の鐘の音が聞こえ
境内に春を告げる小鳥たちが鳴いています。
昨日は我が家恒例のお祓いを受けました。
頭を下げ一生懸命に神さんにお参りしました
そうしたところ・・・
拝殿から神さんのご神託が聞こえたんです。
{一生懸命にお参りせんでええから、一生懸命働けよ!}
・・と
たぶん、30年以上前の25~6歳の頃
焼肉屋で一人で食べている時、急に胸が苦しくなって途中で食べられなくなった
呼吸が激しくなって・・
手も強張って来て
ひょっとして・・
(死ぬかも)
と思って
何とか支払いを済ませ
バイクに乗ってそこから1分程の救急病院にかけこんだ
そこは自分の勤めている病院でたまたま知り合いの心臓専門の内科の先生が診てくれた
もう胸はドキドキで冷や汗まで出て来る
先生が心電図を見て・・
「〇〇(僕の名前)これは‘あれ,だよ」
と言った
「あっ!‘あれ,ですか」
その頃は病院の技師でも事務当直というのがあって夜間の救急受付をしてたから
いろんな患者さんの救急現場にいたから‘あれ,で分かった
救急に非常に多い症例で
いわゆる‘過呼吸,
その他、‘パニック症,とも言われる
昨日、テレビでジャニーズの誰かがこれに罹っているニュースがあって
入院がどうのこうのとか出ていた
僕はあれ以来何度かパニックを起こしそうになった
起きたと言ってもいいのかな?
先生は(精神安定剤の)クスリもくれなかったが
僕は自分が罹る前にパニック症と言うのを知っていたから
軽く済んだのかも知れないが
トラウマとして
(またなるんじゃないか)
と思って
実際何度か経験した
あの頃、職場の人間関係ですごく悩んでいて
すごく嫌な奴がいたんだ
お客さんで同じような‘パニック症,を経験した人に聞くと
大体が人間関係が原因で
皆、嫌な奴がいたそうだ
たぶん、男ばかりの‘ジャニーズ,にも嫌な奴がおるんよ
わしの場合男ばかりの‘リハビリ,だったが
もうそうなったらその職場を辞める事が一番だろうな
がまんしようとか、がんばろうと思ったらダメだな
それと軽いクスリでも財布の中にお守りとして持っておく事も一計だ
また今度、この事を書こう
さっき忘れた漢字があって愛用の辞典を拡げた
そう言えばこの辞典、いつ頃からあるんだろう?
もう表紙の文字もわからない
開いて調べたら昭和41年とあった
僕の手元に来たのはそれ以降だとしても小学生以来使ってる
そう言えば十数年前に小学生以来使っている机を処分したが
僕と一緒に人生に付属しているのはもうこの辞典ぐらいだろう
それもちゃんと月に何度かは必要事があってちゃんと役立っている
辞典もボロボロだが
僕ももうボロボロだ
もう、他人の事が気になって、気になって、しょうがない人がいる
特に身近な人間、一挙手一投足が気になるんだ
それも気になる相手に悪い事が起きるとほっ!とするんだけど
ちょっとでもその相手が自分より良い目をしたりすると口惜しくてしょうがない
もう夜も寝れないくらいくやしいらしい
別に自分に災いが降りかかかってるわけじゃ無いんだが
昔はくやしいままで済んだんだが
きょうびは何とかして気になる相手を貶めようと考える
渡る世間は鬼ばかり
他人の不幸は蜜の味、他人の幸せ毒の味