皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

彼岸とおはぎそして私

2019-03-20 22:21:01 | 風の習わし時を超え

 三途の川を挟んで今の私たちが住む世界を此岸、そして向こう側仏様の世界を彼岸という。現世の人々を苦しめる煩悩の無い悟りの世界、即ち極楽浄土のことを指す。中日を挟んで前後三日を彼岸とし、古来の風習や自然観祖先崇拝という風習が強く結びついて生まれた言葉だという。ましてや他の仏教国には彼岸という風習はないのだそうだ。

平安期に始まった彼岸会は浄土宗の影響といわれ極楽浄土は西の彼方にあると信じられていて、太陽が真東から昇り、真西に沈む春分と秋分の日には此岸と彼岸が最も通じる日と考えられてきた。一方仏教伝来以前より祖先や自然を崇拝してきた風習から、太陽信仰即ち「日願」が転じて「彼岸」と結びついた説もある。

 

彼岸のお供えといえば「おはぎ」今ではスーパーで手作りのおはぎが人気だが、本来は春は牡丹の花咲く季節であるから「牡丹餅」(ぼたもち)であり、あきは萩の季節で「お萩」といったようだ。但し武家の家では「牡丹餅」だと牡丹の花の散り様が首が落ちる様に似ていることからぼたもちをさけたという。(諸説あり)

 江戸時代に始まった牡丹餅、おはぎの風習は小豆の色に邪気を払う力があると考えられて、あくまでお供え物であったという。またお祝いで炊く赤飯は地域によっては小豆を使うと豆の腹の部分が割れて縁起が悪いので、地場でとれるササギを使うところもあるという。

明日は中日。昨日墓参りは済ませていて、自分は販売という本業に全力で当たる日だ。

 

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