忍領近辺から利根川を渡る橋は、太田方面から刀水橋、利根大堰、昭和橋、埼玉大橋、と続く。古河市内から日光街道国道4号を久喜方面に行くと渡るのが利根川橋だ。橋を渡るとすぐに鎮守の杜が見えてくる。栗橋総鎮守とされる八坂神社だ。利根川右岸の栗橋に入ってすぐに鎮座しているが、江戸初期には栗橋南東の権現堂川左岸の元栗橋にあったという。(茨城県猿島郡五霞村)口碑によれば慶長年間(1596-1615)、元栗橋が洪水に見舞われ、関東郡代伊奈忠次に従うものらによって開墾され、移住したと思われている。
寛永年間(16524-44)には伊奈忠治による利根川流路の改修が失敗し、元栗橋の地は洪水に襲われ荒廃し、日光街道の付け替えが行われ、宿場がこの地に移転した。これ以降日光街道栗橋宿総鎮守として崇敬されるようになったという。長い長い水との闘いの歴史があったのだろう。
御祭神は素戔嗚尊。天王様と呼ばれる夏祭りに、招福除災の祭りとして大変な賑わいを見せるという。元栗橋は中世から武州と奥州を結ぶ交通の要所であったことから、行き来する人々と共に疫病を追いやるために盛大な夏祭りを始めたと考えられている。
其の起源が『風土記稿』に読み取れる。利根川大洪水の際、当所の村人たちが総出で堤防の補強をしていたところ。川の波間に神輿が流れてきたという。またその神輿はたくさんの鯉と泥亀に囲まれていたといい、これを引き上げると元栗橋に祀られていた八坂神社の神輿であったという。村人はこの激しい流れに神輿が横転することなく流れ着いたことは神徳によるものと信じ、以来子の神輿を大切に祀ったという。この伝説は既に神輿渡御を伴う夏祭りが行われていたことを示すものだと考えられている。現在社殿の前には神使として鯉の象が御眷属として一対奉納されている。
こうした川からご神体などが流れてくる逸話はほかにも見られるようで、隣の加須市総願寺などにも見られ、不動様が羽生に流れ着いたと伝わっている。
また神輿は昭和45年の解体修理において、『天王宮神輿文久三亥十月』(1863)の棟札が発見され市指定文化財になっている。