安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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怖い夢の話

2005-12-12 23:57:48 | 日記
書くべきか、書かざるべきか、それが問題だ。

などとハムレットのように悩んでいても仕方がないので、ここに書いてしまう。

そもそも私は、夢自体めったに見ることがない。

たまに見ても、モノクロの訳のわからない夢でほとんど内容は覚えていない。カラーだったり、夢が記憶の中にはっきり残っているなんてことは、めったにない。

それが…先日(12月7日未明)、夢を見た。それも思いっきり恐ろしい夢を。

場所はどこかの山峡の温泉旅館らしきところ。スキー場が併設されているらしく、眼下にはゲレンデが見下ろせる。

そこで、夜の10時か11時くらいだろうか。私は旅館の風呂(温泉?)に入浴中。私の他に入浴客は1人だけらしい。ところがこの1人がくせ者だった。風呂に浸かりすぎて火照った身体を冷やすため、窓を開けて浴槽の縁に腰掛け、夜風に身体を当てていた私を、そのたった1人の客が前から突いたのである。

窓(ちなみに腰掛けていた私の背後が全部窓というくらいの大きな窓)を全開にしていたため、支えを失った私は窓から背中を下にして転落。2階にあるらしい風呂場からゲレンデに落下した私は、そのまま急斜面のゲレンデをごろごろと転がりながら下っていった。このスキー場は昼間のみの営業らしく、ゴンドラが止まった夜間のゲレンデは真っ暗で、転落の事実に誰も気付かない。
やがて、誰かが全裸の私の死体を収容しているシーンで、突然夢が終わったのだ(原因は転落死か凍死か判らないが…)。

夢が突然途切れたとき、私の周りは真っ暗やみで何が起きたのか判らなかった。夢か現実かも判らず、一瞬呆然となった。しばらくして、目の前に見慣れたテレビやタンスやテーブルが見え、ここが自分のいつもの部屋だと判った。ついさっきまで雪の上に素っ裸で投げ出されていたはずなのに寒くないことにも気付く。その時、ああこれは夢だったんだとようやく理解できた。生きているんだと思った。

時計を見るとちょうど午前3時半だった。その夜は、いろいろとやらなければならないことがあって床に入ったのは午前1時半頃である。人間が夢を見るのはレム睡眠(脳が活動し、身体だけが眠っている状態)の時だけであり、ノンレム睡眠(脳も身体も眠っており、身体維持機能だけが働いている状態)の時に夢を見ないことは科学的に実証されている。人が眠りに入った直後から90分くらいはノンレム睡眠状態で、それから90分ごとにレム睡眠とノンレム睡眠を交互に繰り返すことも知られている。私が目を覚ましたのは眠りに入ってから2時間ほど経った時であり、まさにレム睡眠のまっ最中だったことになる。

生きている安心感が芽生えると、とたんに今度は困ったことになったと思った。通勤時間の長い私はいつも午前7時過ぎには家を出なければならないため、目覚まし時計を5時半にセットし、30分くらい惰眠をむさぼりながら午前6時頃布団から出る、という生活パターンである。それが3時半に目が覚めてしまった。セットした目覚まし時計が鳴り始めるまで2時間。何かをするには長すぎ、寝直すには短すぎる時間である。

寝直すとまたあの恐ろしい夢の続きが始まるのではないかと怯え、一度は起きようと思った。しかし暖房のかかっていない冬の未明の室内は寒く、起きるのはおっくうだった。一方、いま寝直したとすると最初の90分は夢を見ないとされるノンレム睡眠だから、それからレム睡眠に移り始める頃には目覚ましが鳴る。そう考えて結局、寝直す方を選んだ。そのまま朝まで、再び夢を見ることはなかった。私の選択は正解だったのだ。

さて、夢の中身が怖くて夜中に目が覚めるなど私にとって初めての体験である。子供の時ですら記憶にない。異常事態といってもよかった。この夢が何かの予兆であるとするならあまりにも恐ろしすぎるし、ここ数日間は何かに警戒しなくてはならないかもしれない。

不安だったので、夢判断に関するサイトを検索して色々と回ってみることにした。もともと私は非科学的なものは信じないタチだが、夢は精神分析学のフロイトや、その弟子ユングといった世界的にも著名な学者が研究に取り組み、「その人の深層心理や、普段は意識によって抑圧されている感情が表現されるものが夢である」との分析結果もあるからである。その意味では、ある程度科学的な面からもアプローチされているといえるのであり、少なくとも何の科学的根拠もない星占いなどよりはよほど信用できるのではないか。

調べてみた結果だが、意外な事実が判明した。自分が死ぬ夢は、恐ろしい夢ではあるが夢判断としては決して悪くないという点でほとんどのサイトの見解が一致しているのである。実際に近い将来自分が死んだり、身の上に何か良くないことが起きる暗示ではない。むしろ意味するところは逆であり、夢の中での自分の死は、自分を束縛しているもの、悩ませ苦しめているものが古い自分とともに終末を迎え、新しい自分が始まることを意味するという。「新たな旅立ちが近づいています」とストレートな表現をしているサイトもあった。仏教用語で死者が生まれ変わることを「輪廻転生」というが、死を夢に見ることは生きながらにして輪廻転生するということなのだろうか。

人生の中で、死をもって表現しなければならないほどの激変はそうそうあるものではない。だとすればこの夢は何を表すのだろうか? もちろん人間は未来を予見する能力は持たないから一寸先は闇なのだが、拙い私の想像力で考えるなら、転勤か結婚くらいしか思い当たるものがない。

裸になっているのが夢としてはポピュラーな部類だということも調べてみてわかった。今回の私の夢は、風呂に入っているシーンから始まったのだから裸なのは当然とも言えるが、夢の中での裸には「異性からの人気上昇=恋」という意味と、「悩みや苦しみ(=夢の中では衣服に象徴される)からの解放」という2つの意味に解釈できるという。

うーむ。「裸=苦しみからの解放」「死=古い自分の終末」と判断するなら、何かと苦労ばかり多い今の職場環境からの脱却、転勤と読める。一方「裸=異性からの人気上昇、恋」「死=新たな旅立ち」と解釈すれば、これはもうズバリ「結婚」しかあり得ないが…しかし、ホンマかいな。

当たるも八卦、当たらぬも八卦。いずれにしても話半分程度に捉えていた方が良さそうである。

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(2006.12.3追記)

この怖い夢を見てから約半年後の2006年6月、当サイト管理者は結婚が決まり、その後10月に結婚しました。現在、当サイト管理人はこの夢が結婚の暗示だったものと解釈しています。でも、夢判断は素人がむやみに行うものではないと思いますので、この記事を参考にするのはほどほどにしていただくと幸いです。(管理者)

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