年の瀬も押し迫った12月16日になって、最高裁大法廷で「家族制度」をめぐる2つの事案に司法判断が示された。女性にだけ180日間の再婚禁止期間を認めた民法の規定、夫婦同姓を強制することになっている民法の規定の合憲性が争われたものだ。
結果はご存じの通り、再婚禁止期間について100日を超える部分のみ「違憲」とした。100日以下の再婚禁止期間、夫婦同姓については合憲とするもの。判決文は以下に公開されているが、事前期待が大きかっただけに、原告、そして「選択的別姓」論者の落胆は大きかった。
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再婚禁止期間のうち100日を超える部分について違憲とした判決
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夫婦同姓を強制することについて、合憲とした判決
いずれも裁判所公式サイトから。
すでにこの問題については多くの解説記事が出ており、参考となるものも多いので、当ブログであえて繰り返すことはしないが、いくつか感想を書くとともに、今後、自分の姓とともに失われる女性の尊厳を回復するため、私たちにどのような闘い方があるかを、落胆しているであろう多くの人々のために示したいと思う。
選択的別姓派と同姓派、どちらの主張に理があるかは今さら比較などするまでもない。「同姓にしたい人は同姓を選び、別姓にしたい人も別姓を選ぶ」ことのできる選択制が、家族の多様化という時代の要請に最も見合うものであることは論を待たない。だが、この問題の論点はおそらくそこにあるのではない。あまりに頑迷な「同姓維持」派の主張を見ているとため息しか出ないし、同姓派が多くのネット民から「ひとつの考え方しか認めない全体主義者、ファシスト」と罵られていることも理解できる。率直に言えば当ブログもそう思う。「ひとつの民族、ひとつの国家、ひとりの総統」はナチスドイツのスローガンだが、さしずめ安倍政権とそれに連なる日本会議などの同姓派は「ひとつの民族、ひとつの国家、ひとつの与党、ひとつの姓、そしてひとりの安倍総裁」なのだろう。
「(耕論)「夫婦同姓」合憲、でも… クルム伊達公子さん、泉徳治さん、山田昌弘さん」と題した12月17日付の朝日新聞記事の中で、山田さんが「反対する人は「選択」が気に入らない」「問われているのは、皆と同じにしないのなら不利益を受けて当然、あるいは人と違うことを許容しない、という社会でこれからの日本は大丈夫なのか、ということ」「女性や若い人も含めだれもが活躍するには、多様性を認め、いろいろな選択肢を用意することです。その少なさ、社会の寛容性のなさが、日本経済の停滞感につながっている」「夫婦別姓の問題がずっと解決されずにきたことは、こうした社会の同調圧力の象徴」としていることに、当ブログは全面的に同意する。
そもそも、「選択的別姓が認められても、実際にそれを選ぶ人はさほど多くない」から選択制は不要というのは「少数派の意見など聞く必要はない」「少数派は踏みつぶされて当然」と主張していることになる。こうした主張を当ブログとして認めることはできない。
しかし、彼らにそんな議論をふっかけてもおそらく無駄だろう。日本で、一般庶民が姓を名乗るようになったのは明治以降であり、それ以前には庶民に姓がなかったことなど多くの人が指摘しているにもかかわらず、彼らは意に介さない。自分が信じたいものだけを信じ、自分たちの主義主張にとって都合のいい時代だけを切り出してそれを「伝統」と称するような反知性主義丸出しの連中に、いくら理や事実を説いても無駄である。
今回の最高裁判決は、過去100年で最も夫婦別姓に手が届きかけた瞬間だった。ここでの敗北は手痛く、法制度としての別姓実現は大きく遠のいた。当ブログ管理人の子ども世代では実現せず、孫の世代でも実現可能性は五分五分だろう。そして、彼ら「頑迷保守」を永遠に権力に就け続ける「自由選挙」システムも当面変わりそうにない。こうした中で、今後、どのように事態は動くだろうか。そして私たち、女性の尊厳を回復するために別姓実現を目指す人たちはどうすればいいのだろうか。
【1】今後の予想……事実婚カップルが増え、結婚制度は緩やかに瓦解に向かう
今後予想されることは、事実婚カップルが増加し、これにつれて結婚制度自体が緩やかに瓦解に向かう、という未来である。頑迷保守が権力を握り続け、前近代的「イエ」制度の残滓としての同姓制度の固守に成功した結果、必要な改革が進まず、かえって制度が瓦解する。改革すれば制度が維持できるのに、改革をしないため、かえって制度がなし崩し、骨抜きになるという「いつもの日本的解決方法」である。
このように予測するだけの根拠はある。事実婚が法律婚に比べて不利な点は、以前であれば、
1)戸籍や住民票の「続柄」欄の記載(嫡出子であれば「長男」「長女」等と記載されるのに、非嫡出子の場合「子」と記載される)
2)遺産相続の不利益(非嫡出子の場合、嫡出子に比べて法定存続分が少ない)
3)扶養手当、税法上の不利益(事実婚の場合、会社の家族手当・扶養手当や税法上の扶養控除・配偶者控除を受けられない)
……等があった。
しかし、事実婚カップルや支援者らの闘いで、(1)はすでに解決(嫡出子、非嫡出子にかかわらず、続柄は「子」記載に統一)。(2)も、2013年の違憲判決によって民法が改正され、法定相続は非嫡出子でも同一となった。残るは(3)だが、そもそも103万円、130万円の壁(所得税や社会保障)を超えて働く人は制度の対象とならず、夫婦共働きが主流である現状では大きな問題にならなくなっている(貧困のためこの制限を超えて働かざるを得ない人が大勢いることはもちろんである)。
今回、全面撤廃が実現しなかった再婚禁止期間にしても、初めから婚姻届を出さず事実婚にしていれば、そもそもこのような法的制限は問題になりようもなく、本人たちが好きなときにいつでも再婚できる。子どもには、両親が事実婚であることの不利益は既になく、親にとっても認知または養子縁組により実子と同様の法的保護の下に置くことが現状でも可能だ。こうなってくると、もはや法律婚をすることとしないこと、どちらのメリットが上回るかはかなり微妙といえる。事実婚の場合、子どもの認知などに余計な手間がかかる場合もあるが、一方で法律婚の場合も姓の変更によって各種証明書や通帳の姓を書き換えるなどの手間がかかる。夫婦共働きが前提なら、あるいは法律婚をしない方がメリットがあるかもしれない。
あとは、「憲法よりも上位の概念」として日本社会を事実上支配している「空気」(結婚はするもの、すれば女性が夫に合わせて姓を変えるものだという無言の圧力)に抗うことさえできれば、事実婚を選択するカップルはこれからかなり増えるのではないだろうか(実際には、この「空気」に抗うことこそ日本社会で最も難しいことのひとつだが)。
頑迷な同姓派は、合憲判決で勝利に酔っているようだが、おそらくその勝利は束の間に終わるだろう。おそらく、当ブログ管理人の子どもや孫の世代が大人になる頃には、結婚とは「どうしても法律上、同姓になりたい人だけが選択する特別な制度」という位置づけになり、結婚制度が事実上瓦解しそうな気がする。もっとも、フランスでは今、事実婚カップルから生まれる子どもの方が多くなっており、何らの社会的障害も軋轢も生じていない。オランド大統領自身も事実婚だ。日本も、緩やかにこの方向になりそうな気がするし、別にそれで構わないのではないか。
【2】今後、私たちが目指すべき道は
頑迷な保守派を権力から追放できず、司法での救済もかなわなかった以上、私たちは当面、法制度が変えられないことを前提に別の闘い方を模索しなければならない。「法制度には直接手を触れず、内部からなし崩し、骨抜きにしていく」といういつもの日本的解決方法を目指すより他はない。
第1に、事実婚カップルをできるだけ増やすことである。事実婚に、法律婚にないメリットがあり、一方、上で述べたようにデメリットは法律婚とさほど変わらないことを粘り強く説明していけば、事実婚を選ぶカップルは増えるだろう。また、既に法律婚をしてしまったカップルで、ペーパー離婚が可能な人には勧めるなどして、1日も早く結婚制度の瓦解を目指すべきである。
日本において、制度としての「結婚」がこれほどまでに同姓制度と一体不可分のものとして、分かちがたく結びつき、それ故に女性の尊厳を抑圧する装置としてしか機能し得ないのだとすれば、私たちの目指すべき第1の道は、その形骸化を勝ち取ることである。
第2は、「別姓での婚姻届は受理できないが、婚姻届の受理に代わるものとして、公的な結婚証明書を発行する」という地方自治体の事例を、ひとつでもいいから作り出すことである。これが実現すれば突破口が開ける。
実現はそれほど難しくないと当ブログは考えている。既に、同性婚カップルに公的な証明書を発給する制度を作った渋谷区、世田谷区の実例がある。法的には結婚すら許されなかった同性婚カップルの困難を突破する道が生まれたのだ。これに比べれば、別姓婚カップルへの証明書発行など取るに足らないレベルだと当ブログは思うのだ。
日本ではこれからますます少子高齢化が進行する。「地方自治体の4割が、若い女性の転出によって消滅危機を迎える」との日本創成会議の試算も既に発表されている。今後、生き残りを賭け、全国の自治体の間で妊娠、出産可能な若い女性の「奪い合い」が始まるだろう。そこにチャンスがある。若い女性欲しさに「もし我が市/町/村に移住してくれるのであれば、別姓でも公的結婚証明書を発行します」という地方自治体は必ず出てくると思う。
これは荒唐無稽な予測ではない。既に同性婚カップルの間で、渋谷区、世田谷区への住所移転の動きが出始めていることを考えれば、十分あり得ることである。「人口が少ない」ことは多数決を原理とする政治の世界では不利であっても、「供給量の少ない物の価格は上がり、供給量の多い物の価格は下がる」市場原理の世界では、少数派ほど自分を高く売りつけられることを意味する。実際、就職では「売り手市場」化が進行し、若者が有利になりつつある。結婚を「市場」と考え、女性が最大限自分の価値を吊り上げながら、別姓容認を各自治体に迫っていくしたたかさを見せるなら可能性はある。私たちの運動、闘いと消滅危機にある地方自治体の利害が一致すれば、おそらく地方から、このような形でなし崩し的に夫婦別姓が広がっていくこともあり得るだろう。
これが当ブログの将来予測である。行政・立法・司法の「三権」すべてで救済の道が閉ざされたとしても、別姓を目指す人々にとって、それほど落胆するような出来事ではないように思う。