人生チャレンジ20000km~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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ローカル鉄道に国・自治体・住民はどう向き合うべきか(月刊『住民と自治』 2022年8月号掲載)
核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

今年も1年、お世話になりました。

2015-12-31 14:55:44 | 日記
今年も残り数時間となりました。当ブログ管理人は携帯回線を使ってインターネットにアクセスしており、年越し前後は回線が混雑するおそれもありますので、少し早いですがここでご挨拶を申し上げます。

内外ともに激動の2015年も終わろうとしています。国内情勢については相も変わらずの安倍自民1強、国際情勢はテロ→軍事行動→テロの繰り返しという、夢も希望もない1年でしたが、その厳しさの中にも、JR問題で講師の要請を受けるなど、引き続き当ブログと安全問題研究会のこれまでの活動が評価され、またそれをしっかりと未来に向け、つなげる一歩を記すことのできた、多忙の中にも充実の1年でした。

来年も引き続き厳しい年であり、そして内外ともに先行きの見通せない不安定な情勢が続くと思います。大胆に予測するならば、国内は米国の利上げによりアベノミクス(安倍政権のインフレターゲット政策)が破たん、デフレに回帰し経済低迷の中で参院選を迎えるでしょう。安倍政権は「消費税引き上げの凍結」を訴え参院選を戦うことになると予想します(軽減税率の適用範囲をめぐる協議がグダグダのまま、まとまらない状態を放置したのは、ずばり「来年夏には軽減税率の適用範囲なんて関係なくなるから」以外にありません)。

野党共闘は一部の選挙区(全国で10選挙区程度)で限定的にまとまるものの、大部分の選挙区では結局、野党はまとまらないまま参院選を迎え、自民が現状維持、公明微減、共産躍進、その他は全滅と予想します。

当ブログ管理人は、2年ぶりに帰省した実家で年越しを迎えます。来年に備え、心も身体もしっかり休んでおきたいと思っています。

では、みなさま、よいお年をお迎えください。

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2015年 当ブログ・安全問題研究会10大ニュース

2015-12-31 14:05:29 | その他社会・時事
さて、2015年も残すところあとわずかとなった。そこで、昨年に引き続き今年も「当ブログ・安全問題研究会2015年10大ニュース」を発表する。選考基準は、2015年中に起きた出来事であること。当ブログで取り上げていないニュースも含むが、「原稿アーカイブ」「書評・本の紹介」「日記」「福島原発事故に伴う放射能測定値」「運営方針・お知らせ」カテゴリからは原則として選定しないものとする。なお、ニュースタイトルの後の< >内はカテゴリを示す。

1位  北陸新幹線開業。日本海側を縦断する初の新幹線で日本海側の交通網新時代へ。一方「北斗星」廃止で戦後のブルートレインの歴史に幕<鉄道・公共交通政策>

2位  安倍政権、安全保障関連法案を衆参相次ぐ強行採決で「成立」させる。一方、若者グループ“SEALDS”中心に60年安保闘争以来の大反対運動が高揚<社会・時事>

3位  JR福知山線脱線事故で、JR歴代3社長に大阪高裁も無罪判決。指定弁護士側が上告し、最高裁へ<鉄道・公共交通政策>

4位  福島第1原発事故で、東京第5検察審査会が勝俣恒久・元東京電力会長ら元経営陣3人を再び「起訴相当」と議決。3経営陣の強制起訴が決定<原発問題>

5位  青函トンネルで特急列車火災事故、乗客が初めてトンネル内から避難。一昨年から相次いだ函館線での貨物列車脱線事故など一連の事故で、JR北海道及び関係者を道警が書類送検<鉄道・公共交通安全問題>

6位  JR北海道再生推進会議「選択と集中」提言を受け、ローカル線問題が深刻に。JR北海道が留萌本線一部区間を正式に廃止表明したほか、JR北海道全線の11%に当たる5線区で廃止危機が表面化<鉄道・公共交通政策>

7位  スカイマークが経営破たん。外資含む熾烈な経営権獲得争いの結果、ANAグループ傘下で経営再建へ<鉄道・公共交通政策>

8位  イスラム世界を風刺した仏の「シャルリー・エブド」でテロが発生したほか、パリでもテロで多数の死者。「イスラム国」が日本人ジャーナリスト後藤健二さんらを殺害するなどテロ相次ぐ<社会・時事>

9位  沖縄で辺野古新基地工事強行する安倍政権に翁長県政が全面対決。辺野古ゲート前での座り込みの他、本土でも支援集会など「戦争法案廃案」目指す闘いと連動し反対運動も継続<社会・時事>

10位  TPP「大筋合意」で農業崩壊、ISD条項導入へ不安相次ぐ。発効にはハードル高く、今後の反対運動も<農業・農政>

【選外で特に重要なニュース】
・東海道新幹線車内で、生活苦訴えた高齢男性が灯油かぶり焼身自殺。「下流老人」がクローズアップされるなど貧困の深刻化背景に<社会・時事>

・箱根や沖永良部島など各地で噴火災害が相次ぐ<気象・地震>

・リニア、南アルプストンネルなど難工事区間を中心に工事本格化<鉄道・公共交通政策>

・福井地裁が高浜原発3、4号機について初の運転差し止めの仮処分決定。法的に原発の運転不能状態を初めて作り出したが、関西電力の異議申し立てにより決定取り消し<原発問題>

【番外編】
・1985年の日航機墜落事故から30年、2005年のJR福知山線脱線事故、羽越線脱線事故から10年の節目の年。安全問題研究会が日航機墜落事故の現場「御巣鷹の尾根」への慰霊登山を実施<鉄道・公共交通安全問題>

・当ブログ管理人、JR北海道問題に関連し新ひだか町、浦河町、東京「団結まつり」で3回にわたり学習会講師を務めるなどローカル線廃止反対運動を強化<鉄道・公共交通政策>

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改めて今年を振り返ってみると、10大ニュースでは枠が足りないほど内外ともに重大事件の多い騒然とした1年だった。15大ニュースに枠を拡大する考えが何度も頭をよぎったが、最終的にきりがないので見送った。

【選外で特に重要なニュース】に分類したニュースも、今年でなければ10大ニュースにランクインできた。高浜原発に関する福井地裁の仮処分決定は、反原発運動に重要な足跡を残した司法判断であり、年の瀬に異議審で取り消しが決定しなければ10大ニュースだった。

海外でのテロと報復戦争の連鎖、国内での戦争法案・沖縄新基地強行の動きは一体のものである。世界史の時計の針が100年逆戻りしたかのような帝国主義による領土拡張戦争の時代が再来しつつある。この間、人類が努力してきた平和への努力とはいったいなんだったのかと思わされるが、あきらめることなく戦争根絶と平和への努力を続けなければならない。

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2015年 鉄道全線完乗達成状況まとめ

2015-12-30 22:12:02 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
27日の四国2社5線の完乗を終え、年内に新たな鉄道乗車予定もないので、ここで例年通り今年の鉄道全線完乗達成状況をまとめる。

1)完乗達成路線
【5月】石北本線、釧網本線、根室本線(帯広~根室)、阪急今津線、箕面線
【9月】函館本線(桑園~長万部、森~大沼(渡島沼尻経由))
【12月】札幌市交通局(札幌市電、奪還)、徳島線、鳴門線、琴電琴平線、長尾線、志度線

2)完乗記録を喪失した路線
【3月】北陸新幹線(長野~金沢間延長開業のため)

以上、合計5社12線となった。内訳は以下の通り。

【JR】2社6線
【公営】1社1線(奪還)
【大手私鉄】1社2線
【中小私鉄】1社3線

奪還とは、当ブログの用語。いったん完乗達成後、延長開業、線路付け替えなどの理由で未乗車区間が発生した路線を、未乗車の全区間に乗車することで再び全線完乗の記録を奪還したものをいう。公営の奪還は札幌市交通局(札幌市電)で、西4丁目~すすきの間の延長開業(及びこれに伴うループ化)区間を乗車したものである。

現廃新の別では、新規開業路線/区間が1(札幌市電)の他はすべて現有路線。廃止(予定)線の乗車はなかった。

2015年の新年目標では、JR北海道を完全乗車することを掲げていたが、5月、9月の乗車で達成。これ以外の目標は掲げていなかったので、今年に関しては超過達成となった。割とよく乗ったと思っている。

この結果、現在、未乗車(及び乗り直し対象)となっているJR線の路線、区間は以下の通りとなる。

【北海道】なし(完乗達成)
【東日本】北陸新幹線(長野~上越妙高)、仙石線(松島~高城町、陸前大塚~陸前小野)、吾妻線(岩島~長野原草津口)、中央本線(岡谷~塩尻(みどり湖経由))
【東海】なし(完乗達成)
【西日本】北陸新幹線(上越妙高~金沢)
【四国】予讃線(向井原~内子、新谷~伊予大洲)、内子線
【九州】肥薩線(人吉~隼人)、吉都線、日南線、指宿枕崎線

計10線。来年は北海道新幹線が3月に開業するので、この時点で未乗車路線は11線となる。新幹線以外は、いよいよ北海道在住の当ブログ管理人にとって乗りにくい路線ばかりとなる。未乗車及び乗り直し対象路線を1桁台に持って行きたいが、なかなか厳しいのではないかと個人的には思っている。新年目標は、また年明け後に発表する予定。

ところで、完乗とは関係ないが、当ブログ管理人は、読者の皆さまに大変恥ずかしいご報告をしておかなければならない。それは、今年、2015年の年間新幹線乗車回数が、わずか3回で終わってしまったことである。

この3回とは、8月に日航機墜落事故の現場である「御巣鷹の尾根」を訪れるために、東京~高崎間を往復乗車したのと、本日、実家帰省のため、福岡空港着陸後、博多~小倉間を片道乗車。たったこれだけである。新幹線のない北海道に住み、道内の移動は在来線であることと、本州各地との移動が飛行機ばかりであることが理由だが、それにしても……。

学生時代まで遡っても、1989年に全線乗車活動を初めて以来、年間新幹線乗車回数としては27年間で最も少なくなってしまった。鉄でありながら、これはいかがなものかと我ながら思う。

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今年最後の乗りつぶし、そして地方駅前の「食」事情について

2015-12-27 22:01:43 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
年末年始に入り、当ブログ管理人は年内の仕事を25日で終え、これから実家帰省の予定だ。

その前、26日に大阪で会議があったのでそれに参加し、家事を済ませた妻が28日午後、大阪入りして合流するまで、1日半、空き時間ができたので、今年最後の乗りつぶしに来ている。

2009年に四国を訪れた際、乗れなかった四国の東側2路線(鳴門線、徳島線)に加え、琴電にも1日半あれば乗れるかもしれないと思い、計画を立ててみたところ、予想通り、ぎりぎりだが乗れることがわかったのだ。

そこで、会議を終えた昨夜は大阪市内のホテルに泊まり、今朝出発。朝8:30、大阪駅発の高速バス「阿波エクスプレス大阪・神戸」に乗る。明石海峡大橋を通るのも淡路島を通過するのも今回が初めてで、新鮮だった。

当初の計画では、高速バスを徳島駅前まで乗る予定だった。ただ、帰りの乗車が高速鳴門からの予定で、これでは往復割引が適用されない。予約センターの係員からは、大阪駅~高速鳴門間の往復割引適用とし、行きの高速鳴門~鳴門駅前間は乗り越し精算した方が安いので、そうするようしきりに勧められた。結局、係員に従い、大阪駅~高速鳴門間のJR高速バス往復乗車券を購入、行きは高速鳴門から徳島駅まで乗り越しする予定だったが、時刻表を見ると、高速鳴門で降りてもうまく鳴門線に乗り継げそうだ。どちらにしても運賃支払いがあるなら、ここで鳴門線に乗ろうと思い、高速バスを高速鳴門で降り、鳴門駅に向かった。

結果的に、10:53発の徳島行き鳴門線列車に上手く乗り継ぐことができた。徳島からは「剣山5号」で阿波池田へ。いきなり鳴門線、徳島線を全線乗る。幸先のいいスタートだ。

阿波池田からは土讃線の岡山行き「南風14号」で琴平へ。琴電琴平までは徒歩でもわずか。琴平は温泉街で、途中の神社ともども初詣の準備が進んでいるのがわかる。琴電琴平では「1日フリーきっぷ」(1,230円)を購入。まずは琴平線を14:13発の列車で瓦町(15:08着)まで乗り、15:13発の列車で折り返して長尾線へ。15:46、長尾着。

ここで、16:08発の長尾線列車まで待つつもりだったが、長尾駅が住宅地の中の静かな駅で、手持ち無沙汰だと思った私は結局、1本早い15:48発列車で折り返す。高松築港(16:25着)まで乗った後、瓦町へ折り返し、残る志度線へ。16:46発の瓦町発の列車で踏み出す。琴電志度には17:20着。これで琴電の全線完乗を達成した。

この日は、高徳線特急「うずしお」で池谷まで走った後、再び鳴門線へ。すっかり日が暮れて暗くなり、景色はまったく見えない。こうなることがわかっていたので、行きの予定を変更して鳴門線に乗っておいてよかったと思った。鳴門駅前のホテルに投宿。

【完乗達成】鳴門線、徳島線、琴電琴平線、長尾線、志度線

なお、これで年内の全線完乗活動は終了した。今年の達成状況は、また別の記事で報告する。

ところで最近思うのが、地方の駅前における「食」事情の悪化である。完乗活動を始めてから約四半世紀、食事情が悪くなっていくのは年を追うごとに感じていたが、とうとうここ数年は地方都市の中心クラスの駅前でも、軽く酒を飲みながら小腹を満たせる飲食店に出会うことはほとんどなくなってしまった。決まってあるのは、ブラック企業で名高い某チェーン店系列の居酒屋ばかり。酒の肴やつまみ程度のメニューしかなく、腹を満たすには量が足りない場合が多い。

この日の鳴門駅周辺でも事情は同じだった。ホテルのロビーで周辺の飲食店マップをもらって出かけたものの、営業しているのは焼き肉店と寿司屋が各2店舗のみ。地図に掲載されているはずなのにラーメン屋は営業していない。寿司屋は満員で入れず、焼き肉屋はひとりで行く場所ではないような気がして、結局足が向かなかった。年末の、しかも日曜という悪条件が重なっているとしても、あまりに寂しい。

その代わり、最近は地方の駅前に地元資本の食品スーパーが営業しているのを見かけることが多くなった。おそらく古くからある店に違いないが、飲食店が減った分、存在が目立つようになったのだ。夜もよほど遅い時間でなければ営業していることが多く、鳴門駅前でも地元資本の「ショーエイ」が営業していた。先日出かけた北海道・新得駅前でも地元資本の「フクハラ」が営業しており、総菜などを閉店寸前に特売価格で安く買うことができた。

旅の楽しみは何と言っても地元産の新鮮なものを食べることにあるが、最近はこれでも仕方ないかな、と思うようになった。どこに行ってもスーパーの同じような総菜しか食べられないのは寂しいことこの上ないが、それだけ駅前が地盤沈下し、ファミリーレストランなども郊外の国道沿いに移転していった結果、このような状況になってしまったのだ。それはすなわち地方における鉄道の地盤沈下をそのまま反映している。

ただ、この日は昼も駅前に適当な飲食店がなく、駅地下街のお店で購入した弁当で腹を満たした。温かい食事をしたのが朝、大阪駅での1回だけというのは恨めしいが、飲食店の減少と反比例するように、近年、弁当・総菜の充実ぶりは目を見張るものがある。この上、消費税増税時に外食の税率が10%に引き上げ、弁当・総菜・テイクアウトは8%据え置きとなればますますこの傾向に拍車がかかるだろう。外食から総菜などの「中食」に時代は確実にシフトしていることを、改めて突きつけられた。

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粉飾決算で危機続く東芝問題から見えてきた原子力の「終わりの始まり」

2015-12-25 20:52:20 | 原発問題/一般
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2016年1月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 日本国民でその名を知らない人はまずいない「製造業ニッポン」の代表企業、東芝が創業140年の歴史で最大の危機に揺れている。初めは単なる帳簿上の会計処理のミスに過ぎないとみられていた「不適正処理」は、東芝の中核である原子力事業を発端とした大規模で意図的な「粉飾決算」へとその姿を変えつつある。問題発覚以来はや半年。その問題を追っていく中で、図らずも見えてきたのは世界的な原子力事業の「終わりの始まり」だった――。

 ●難解な会計用語、本質は?

 初めは業績悪化に苦しむ名門企業が、株主からの批判をかわすと同時に、自分たちの保身をもはかるため、2015年3月期の決算で数千億円規模の利益を不正に水増ししたのが東芝問題の本質と考えられていた。いわゆる乱脈経営や粉飾決算を引き起こす会社にありがちな、あまたある不正経理事件に過ぎないと思われた。この段階でも、多くの番組のスポンサーとして大きな影響力を持つ東芝に遠慮してか、メディアのこの問題に関する歯切れは悪かった。こうした状況に対し、例えば、2005年のライブドア事件では不正経理が50億円規模にもかかわらず粉飾決算と認定され、堀江貴文社長(当時)が逮捕されているのに、それより2ケタも大きな東芝の利益水増し行為が粉飾決算という正しい会計用語で報道されず、誰の責任も問われないのはおかしい、という類の批判は出されていた。しかし、それでも問題とされているのは経理の不正であるとともに株主や顧客に対する「裏切り」であり、原子力事業の不正がその背後に潜んでいるとは思われていなかった。

 しかし、7月に入ると事態は急変する。2006年に東芝が買収した米国の原発メーカー、ウエスチングハウス(WH)社の買収の際、計上した「のれん代」が不当に高いとみられていることや、原子力事業の将来性に疑問符がつく事態になったことにより、東芝が行った原子力事業をめぐる会計処理自体に疑惑が向けられることになったのである。

 長い歴史を誇る老舗企業で起きた不正経理問題だけに、メディアでもそれなりに時間を割いた報道が行われてきた。だが、大手メディアはどこも核心に迫る報道を避けているように見え、また減損処理やのれん代といった難解な会計用語(経理や財務が専門の会社員にはおなじみだが)が、きちんとした用語解説もされないまま飛び交うことで、多くの人々がこの問題に対する本質的理解を欠いているように見える。本稿ではこうした点にも触れながら、東芝問題の闇を追ってみることにする。

 ●時代に翻弄された東芝の「主力事業」

 時代の推移とともに、栄枯盛衰は世の習わしだが、東芝では、半導体事業と並んで原子力事業を「主力事業」に位置づけ強化を図っていた最中であった。地球温暖化防止という国際的な流れの中で、原子力発電が「温暖化の原因であるCO2を排出しないクリーンエネルギー」との宣伝が政府・原子力ムラ一体となって行われ、それは3.11前の日本ではある程度の説得力も持って受け止められた(もっとも、CO2が地球温暖化の原因ではないことや、原発が海に温排水を出すことから地球温暖化防止に寄与しないとの有力な反論が、広瀬隆氏らによって当時から行われていた)。2009年に「歴史的政権交代」によって成立した鳩山民主党政権が、温暖化防止のため「原子力ルネサンス」を掲げたことも原発への追い風になっていた。

 こうした流れの中、2006年に東芝は業績不振に陥った米WH社の買収に乗り出す。この際、買収には東芝の他に三菱重工も名乗りを上げたといわれ、ある程度の買収額を示さなければ買収レースで競り負ける恐れがあるとの危機感が社内にみなぎったとされる。東芝は何とか買収レースに勝利、WH社を手中に収めたものの、その買収額は6千億円を超えた。東芝に敗れた三菱重工幹部ですら「その半分でも高すぎる」と唖然とするほどの高額だった。

 東芝では「原子力ルネサンス」の中、今後5~6年で30基程度の原発新規受注が見込めるとして、その総額を3500億円と皮算用。この額がWH社の「無形固定資産」に該当すると判断して、のれん代に計上したのである。

 東芝が何を根拠に30基、3500億円程度の原発新規受注が可能と判断したのかはあえて問わないでおこう。ここで読者に注意していただきたいのは、「6千億円の半分でも高すぎる」という三菱重工幹部の見立てが正しければ、そもそも3500億円の「新規受注見込み」は全くの「捕らぬ狸の皮算用」だったのではないかということである。実際、WH社が経営危機に陥ったのも、スリーマイル島原発事故(1981年)以降、米国で1基の原発新設もできないまま、この時点で四半世紀が経過していたという事情によるものであった。そうしたWH社の本家・米国での原子力事業の暗い見通しを、専門家である東芝が知らなかったはずがない。

 東芝としては、そうした事情を一切無視した巨大な買収額との帳尻を合わせるため、本来あるべき買収額(2500億円程度?)を超過する金額に合わせる形で机上の「新規受注見込み」を作り出し、それを無形固定資産に計上したことが今回の不正経理のスタートだったのではないか。そう考えると辻褄が合うし、そう思わせるだけの状況証拠は揃っている。

 ●「のれん代」「減損処理」とは?

 しかし、こうした小手先の経理操作も長くは続かなかった。東芝の会計処理がまったくデタラメであることを証明する驚愕すべき情報が報道により明らかになったからである。当のWH社自身が、原子力事業について「減損処理」を行っていたというのだ。

 本題に入る前に、本誌読者は企業会計に詳しくない人が大半であろうから、ここで企業会計制度の中でのれん代や減損処理という用語が何を示しているのか解説しておこう。

 「のれん代」は、2005年に会社法が成立・施行されるまでは「営業権」と呼ばれていた。土地や建物などの「有形固定資産」に対し、特許権などとともに具体的な形を持たない「無形固定資産」の一種とされる。もともとは「江戸時代から数百年続く屋号や商標」などのように、その「物」があるだけで競合他社との差別化ができ、自社の事業にとっての信用・信頼につながるような事情がある場合に、そのブランドとしての価値を「営業権」として貸借対照表の「無形固定資産」に計上できる、とされている。このことは、企業が会計処理に当たって依拠しなければならない基本的ルールのひとつである企業会計原則にも規定されている(「営業権、特許権、地上権、商標権等は、無形固定資産に属するものとする」と定められている)。企業会計原則はさらに「無形固定資産については、減価償却額を控除した未償却残高を記載する」と具体的な貸借対照表への記載方法についても規定しており、有形固定資産同様、減価償却が行われるべきものであることが謳われている(ただし、有形固定資産でも土地については減価償却を適用しない)。

 使用すればするほど、あるいは時間が経過すればするほど老朽化して資産価値が低下する有形固定資産に減価償却が適用されるのは当然としても、使用や時間の経過によって必ずしも老朽化するとは限らない無形固定資産に減価償却が適用されることに対しては違和感を持つ人もいるかもしれない。これについて、例えば特許権の場合、発明の時点では最新のアイデア・技法であったとしても、時間の経過とともにそれを超えるような新たなアイデア・技法が生まれる可能性が高まるにつれて、特許も陳腐化していくから、それに対して減価償却を適用するのは適切であるというのが制度設計者の主張である。

 企業会計原則は、のれん代(旧営業権)の資産価値の算定方法までは定めていないが、一般的には、他の企業を買収した際、買収価格が被買収企業の資産総額を上回っている場合、その差額をのれん代として計上する運用が主流である。このことだけを考えるなら、東芝のWH社に関する会計処理は適法で、批判されるいわれはない。

 次に「減損処理」である。こちらはいわゆる時価会計の導入によって、日本でも2006年度から強制適用となった比較的新しい制度である。それまで日本では、減価償却が適切に行われてさえいれば、帳簿上の資産価格を実勢価格と同一であると見なして、それが固定資産税や法人税の賦課・徴収、資産売却や企業買収時の資産価値の算定根拠となってきた。しかし、経済のグローバル化に伴って国境を越えた企業買収(いわゆるM&A)が盛んになるにつれ、買収の狙いを定めた企業が現在、市場でどの程度の価値を持つのかを正確に評価する必要が生まれた。そのためには、企業価値をその時点における実勢価格で評価する必要があり、企業資産を決算期ごとに時価で評価する制度へ切り替えようとする国際的趨勢となった。日本で時価会計が導入されたのもこうした国際的趨勢を踏まえてのことである。

 この際、時価会計に併せて導入されたのが減損会計だ。企業が決算期ごとに各資産を査定。実勢価格が著しく低下し回復の見込みがない企業資産や、廃止を決定した事業に使用されていた企業資産で、他の事業への転用も見込めないものについては、帳簿価格をゼロにする、あるいは実勢価格に合わせて引き下げることを義務づけたのである。

 時価会計が導入される以前にも、使用見込みがなくなったものの、売却や取り壊しなどの処分が行われないままになっている資産を帳簿から除外する「有姿除却(ゆうしじょきゃく)」制度があるにはあった。だが、時価会計導入以前は企業資産の「帳簿価格を実勢価格とみなす」考え方であったのに対し、時価会計では「帳簿価格を実勢価格に合わせて適時適切に見直す」ことを基本としており、その考え方は正反対に変わったのである。

 当時は日本経済が低迷していた時期であり、時価会計を導入すれば多くの企業で資産価値が下がることは必至とみられていた。それは経済界にとっては企業の価値が低下することを意味するとともに、日本政府(特に財務省)にとっては固定資産税の課税ベースとなる固定資産価格の低下によって税収が減少することを意味していたから、日本政府も経済界も本音では導入に消極的であった。だが、国境を越えた企業買収がよりしやすくなる方向への国際化の流れに沿った制度改正として、渋々受け入れざるを得ないものであった。

 ここで読者の皆さまには、WH社が自社の原子力事業について減損処理を行っていたという事実を再度想起していただきたいと思う。減損会計の下では、一度減損処理をした資産について減損処理を取り消すことは認めておらず、減損処理を行うと決めたとき、その判断は最終的なものである。このことは、WH社が自社の原子力事業を「将来性がなく、資産価値を減額するかまたはゼロにすべき事業」であると判断したことを意味する。つまり、WH社として原子力事業からは撤退するという意思表示に他ならない。

 ●親会社と子会社で正反対の判断

 WH社自身が自社の原子力事業について減損処理を行っているのに、親会社の東芝はその原子力事業を含むWH社全体について、のれん代を計上していた。子会社が「将来性がなく撤退すべき」と判断した原子力事業を、親会社は自社の企業価値を高める「無形固定資産」と判断していたことになる。連結決算を行わなければならない親子の関係にある両社にとってこうした会計処理が致命的であり、また株主や顧客に対する完全な背信行為であることは今さら言うまでもない。もっとも、青森県六ヶ所村での再処理事業にまったく見通しが立たないにもかかわらず、それがいつか可能になるであろうという希望的観測に基づいて、現状では単なる核のごみに過ぎない使用済み核燃料を「資産」に計上するようなバカげた会計処理を恥ずかしげもなく実行できる原子力ムラにとって、この程度のごまかしはごまかしのうちにも入らないのだろう。読者の皆さまには、こうした原子力ムラ独特の会計処理の手法が、企業会計原則からも一般企業の会計処理の実態からも大きく逸脱した異常なものであるとともに、国際的な会計ルールにも大きくもとるものであるとだけ指摘しておこう。

 このような信じられない事態が現実となった今、読者に対する責任として、本稿筆者は親会社・東芝と子会社・WH社の会計処理のうちいずれが妥当であるかについての考えを表明しておかなければならないが、その答えはすでに明らかであろう。米国ではスリーマイル島原発事故以降、すでに四半世紀以上にわたって原発の新増設の実績はなく、それどころか近年はバーモント・ヤンキー原発のように経済的に折り合わず事業者みずから廃炉を決めたものさえある。東芝にとって頼みの綱だった日本でも、それまで市民の間で沈殿していた原発への漠然とした不安は、2011年の福島第1原発事故以降はっきりとした拒否・反対へと変わった。原発依存度75%の原子力大国・フランスでさえ、オランド政権が原発依存度を50%に引き下げると表明、国営原発メーカー・アレバ社は2014年1~6月期決算で6億9400万ユーロ(約1010億円)という巨額の負債を抱えている。巨額(数百億~数千億単位)の赤字決算は4期連続であり、国営でなければとっくに倒産していただろう。

 こうした状況の中で、いかに「原発大好き安倍政権」であったとしても、30基もの原発の新規受注が、何らの障害もなくすんなりと実現すると考える方がどうかしている。先進国では原発は斜陽産業であり、撤退を前提に減損処理をしたWH社の経営判断こそが正しいのである。ごまかしと詭弁に満ちた日本の原子力ムラの「内向きの論理」は日本国内では通用しても、国際的にはまったく通用しないことを明らかにしたのが東芝問題だったといえよう。

 福島原発事故後の新「規制基準」(もちろん彼らが言うような世界最高水準などでは全くない)によって、今後、原子力規制委員会の「安全審査」いかんによっては、運転開始から40年を待たず廃炉に追い込まれる原発も出る。経産省は、そうした事態を見越して電気事業会計規則の改定を画策しているが、その内容たるや、本来であれば廃炉が確定した時点で減損処理すべきであるところ、10年以上の期間に分割しての償却を認める方向だというから呆れる。

 一例として、建設に40億円をかけた原発を40年間で、定額法によって減価償却した場合、30年経過の時点では40分の30が償却されるから、この原発の資産価値は10億円である。ここで廃炉が決定した場合、残り10億円を一気に減損処理するのが時価会計下における会計処理の大原則だが、それでは電力会社が大損をするから減損処理をせず、減価償却の「延長戦」を認めろというのが経産省の主張である。この方法であれば、残る10億円の資産価値を10年で償却すればよいから電力会社は楽になるが、事実上「電力会社には減損会計を適用しない」と宣言するのと同じである。

 リストラで工場を閉鎖したパナソニックが、一気に除却損を出して財務が大きく傷ついたとしても、会計基準に従って閉鎖工場の減損処理をしたことと比べてあまりに不公平といわざるを得ず、経産省はどこまで電力会社を甘やかせば気が済むのか。これでは経産省みずから主導する「官製粉飾決算」だとの批判を受けても仕方ないであろう。

 経産省よ、当コラムはあえて問う。原発が「最も安価なエネルギー源」という経産省の主張が事実であるなら、会計処理のルールを曲げてまで原発を特別扱いしなければならない理由は何か。最も安いエネルギー源であるはずの原発の事業について「将来性なし、撤退が妥当」として減損処理をしたWH社の経営判断は間違っているのか。本当に原発が最も安価なエネルギー源であるなら、世界一市場原理を重視するはずの米国で、なぜ原発からの撤退が相次いでいるのか。

 経産省からの真摯な回答を待ちたい。

(黒鉄好・2015年12月14日)

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笹子トンネル天井板崩落事故、中日本高速に5億円賠償命令

2015-12-22 23:54:12 | 鉄道・公共交通/安全問題
笹子トンネル事故4億円賠償命令=中日本高速の過失認める―横浜地裁(時事)

笹子トンネル崩落訴訟判決 遺族「組織罰に道」(神戸)

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 笹子トンネル天井板崩落事故で松本玲さん=当時(28)、兵庫県芦屋市出身=を亡くした父邦夫さん(64)は「分厚い判決文を娘の遺影に供えたい」と中日本高速道路側の過失を認めた横浜地裁判決を評価。だが、家族を失った痛みは癒えず、母和代さん(64)は「娘の声は聞かれない。メールも来ない。遺族は死ぬまで遺族」と涙ぐんだ。(1面参照)

 判決後、原告ら遺族5人が横浜市内で会見。邦夫さんは「判決にはびっくりした。同じような事故の裁判で原告に有利な判決は少ない。期待はあまりしていなかった」と打ち明けた。

 夫妻は結審まで15回に上った口頭弁論にほぼ出席。自宅の芦屋市から横浜地裁に通い続けた。これまでの裁判で会社側は「工作物責任は認めるが、検査しても事故は予見できなかった」と一貫して過失を否定してきた。

 娘のペンダントを着けて地裁に赴いた和代さんは「私たち一般市民と、安全管理のプロであるはずの会社の感覚に大きな違いがあることを知り、痛めつけられた裁判だった。でも、きょうの判決には感謝の気持ちでいっぱい」と語った。

 事故後、夫妻は日本の刑法では企業の刑事責任を問えないことを知り、尼崎JR脱線事故の遺族らと組織罰を考える勉強会にも参加してきた。邦夫さんは「日本での組織罰に道を開いた歴史的な判決」と力を込めた。(藤森恵一郎)
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2012年12月の中央自動車道・笹子トンネル天井板崩落事故をめぐって、亡くなった9人の遺族が道路管理に当たっていた中日本高速道路(株)(NEXCO中日本)などに対して損害賠償を求めていた民事訴訟で、横浜地裁が今日、NEXCO中日本とその道路保守子会社の2社に対し、4億円の賠償を命ずる判決を出した。この種の事故としては異例の高額賠償であり、当ブログと安全問題研究会はある意味で驚きをもって受け止めている。

旧日本道路公団から民営化された他の高速道路会社(NEXCO東日本、西日本)では行われていたトンネル天井や壁面の打音検査などの義務を果たさず、目視のみの検査態勢で老朽化したトンネルを放置してきたNEXCO中日本。責任認定のハードルは、常識的に考えればかなり低いと考えられたものの、最近は企業側が「予見不可能」と主張すれば何でも責任が否定されるのが既定路線になりつつあり、当ブログは判決の行方を危惧していた。不通となっていたトンネルの通行再開を控えた2013年2月には、インターネットメディアの記者として事故現場の取材も行っている。

死者ひとりあたり約4,900万円という今回の賠償額は、1991年の信楽高原鉄道事故(死者42人)において裁判で確定した賠償額の約5億円(死者ひとりあたり換算で約1,200万円。参考記事)と比較しても4倍に相当する高額賠償となった。

こうした背景には、犠牲者が若者だったこともあり、逸失利益(その人が寿命まで生きていた場合にいくらの収入を得られたか)相当分が大きく認定されたという可能性はある。しかし一方でこのところ日本企業の責任体制やガバナンス(企業統治)のあり方に対する批判がかつてなく高まっていることも併せて指摘しておく必要がある。この手の事故では例のない高額賠償が認められた背景に、このような日本企業の「総無責任体制」に一石を投じたいという司法の問題意識が反映した結果と評価できるだろう。

引用した神戸新聞の記事は、JR福知山線脱線事故が起きた兵庫県の地元紙らしく組織罰に言及している。福知山線事故の遺族と交流し、組織罰の学習を続けてきた遺族は今回の判決を「日本での組織罰に道を開いた歴史的な判決」としている。当ブログと安全問題研究会は、早くから英国の法人故殺法の例にならい、日本でも同様の組織に対する刑事罰制度を整備するよう呼びかけてきた。だが、刑事裁判では過失認定のハードルが高すぎ、裁判は企業優位になりやすい。また、経済界の代理人である自民党が圧倒的多数を占める現在の国会の議席構成では、組織罰法制の整備の見通しは立たない。当面は、刑事訴訟に比べれば過失認定のハードルの低い民事訴訟の場で、米国に見られるような「懲罰的高額賠償」の判例・裁判例を積み上げながら、過失による事故を引き起こした大企業を包囲していく闘いが重要だ。

このように考えるなら、この種の事故では前例のない高額賠償を勝ち取った今回の判決は、日本における企業への「懲罰的賠償」を実現する最初の入口に立ったと積極的に評価できるものだ。NEXCO中日本は控訴することなく、今回の判決に従って速やかな賠償を行うべきである。

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【訃報】ドイツを代表する指揮者、クルト・マズアさん死去

2015-12-20 18:00:46 | その他社会・時事
ドイツを代表する指揮者、クルト・マズアさん死去(朝日)

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 ドイツを代表する指揮者で、日本でも人気の高いクルト・マズアさんが19日、自宅のある米国で死去した。88歳だった。日本にいる家族に連絡が入った。妻は声楽家のマズア偕子(ともこ)さん。

 ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団やライプチヒ・ゲバントハウス管弦楽団など、ドイツの名門楽団で要職を歴任。ブルックナーやブラームスなどで、重厚さとぬくもりを感じさせる名演を数多く率いた。1991年からニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督に。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者やフランス国立管弦楽団の音楽監督も務めた。

 社会的活動にも積極的で、東西ドイツ対立の平和的解決を目指して奔走。ベルリンの壁崩壊後も「東ドイツ子供基金」を創設したほか、日本にも支部がある「フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ基金」名誉会長を務めた。
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ドイツを代表する指揮者クルト・マズアさんが死去した。日本でも有名とのことだが、クラシック界に造詣の深くない私は妻が日本人であることも含め、知らなかった。ただ、この人物に関しては、歴史上、どうしても記しておきたいことがある。

旧東ドイツで、ベルリンの壁が崩壊する直前の1989年10月、社会主義統一党(共産党、現在のドイツ左翼党)による一党独裁体制の下で、長く独裁体制を敷いてきたエーリッヒ・ホーネッカー国家評議会議長兼社会主義統一党書記長に対し、東ドイツ第2の都市ライプチヒでの民主化要求デモが7万人規模にふくれあがり、デモ隊と軍・警官隊が衝突直前にまで至った。この際、地元、ライプチヒの党委員会書記らとともに、ホーネッカーらベルリンの党中央委員会とデモ隊の橋渡し役となって7万人デモを成功に導き、その後のホーネッカー失脚とベルリンの壁崩壊につなげた立役者のひとりが、国立ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者のマズアであったことはよく知られている。

なお、マズアが残した功績については、当ブログ2012年7月8日付け記事「官邸前金曜行動が進めた新しい社会への偉大な一歩」を参照いただきたい。

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書き残しておきたい原発推進派の暴言 渡部恒三「原発作れば作るほど健康増進、国民長生き」

2015-12-19 22:26:11 | 原発問題/一般
12月19日(土)午後6時56分から放送された「池上彰そうだったのか」。この番組中の「今年あった政治家のお騒がせ騒動…昔と今」コーナーで、昔と今の政治家の暴言・失言が取り上げられたが、この中で渡部恒三氏(福島選出)が、中曽根内閣で厚生大臣在任中の1984年1月に発した失言が取り上げられていた。貴重な暴露なので、ここに忘れないよう記しておく。

「原発を作れば作るほど、健康増進になり、日本国民は長生きする」

ちなみに、この渡部恒三氏の甥っ子に当たるのが佐藤雄平前福島県知事である。福島第1原発が事故で放射能を吐き散らしているさなかにも、県民の県外流出を防ぐため、「福島は安全」との宣伝に努め、自主避難を妨害するありとあらゆる政策を取った。未確認だが、日本の法律で定められている日本の一般市民の年間外部被曝量、1ミリシーベルトの20倍に当たる年20ミリシーベルトでも学校の再開を認めるよう政府に進言したのが佐藤前知事だとの噂は今なお福島県民の間にくすぶり続けている(佐藤前知事は、事実無根だというなら公の場で反論すべきだが、一度もそうしていない)。「原発で健康増進、国民長生き」の渡部イズムだけは、甥っ子にしっかり継承されているようだ。

なお、この「暴言」は1984年1月6日付けの「毎日」など各紙に掲載されているとのこと。当ブログは、近々、各新聞の縮刷版でこの暴言に関する記事を確認する予定だ。

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それでも超えられなかった「夫婦同姓」の壁……女性の尊厳を回復するため、私たちにできること

2015-12-18 21:45:51 | その他社会・時事
年の瀬も押し迫った12月16日になって、最高裁大法廷で「家族制度」をめぐる2つの事案に司法判断が示された。女性にだけ180日間の再婚禁止期間を認めた民法の規定、夫婦同姓を強制することになっている民法の規定の合憲性が争われたものだ。

結果はご存じの通り、再婚禁止期間について100日を超える部分のみ「違憲」とした。100日以下の再婚禁止期間、夫婦同姓については合憲とするもの。判決文は以下に公開されているが、事前期待が大きかっただけに、原告、そして「選択的別姓」論者の落胆は大きかった。

再婚禁止期間のうち100日を超える部分について違憲とした判決

夫婦同姓を強制することについて、合憲とした判決

いずれも裁判所公式サイトから。

すでにこの問題については多くの解説記事が出ており、参考となるものも多いので、当ブログであえて繰り返すことはしないが、いくつか感想を書くとともに、今後、自分の姓とともに失われる女性の尊厳を回復するため、私たちにどのような闘い方があるかを、落胆しているであろう多くの人々のために示したいと思う。

選択的別姓派と同姓派、どちらの主張に理があるかは今さら比較などするまでもない。「同姓にしたい人は同姓を選び、別姓にしたい人も別姓を選ぶ」ことのできる選択制が、家族の多様化という時代の要請に最も見合うものであることは論を待たない。だが、この問題の論点はおそらくそこにあるのではない。あまりに頑迷な「同姓維持」派の主張を見ているとため息しか出ないし、同姓派が多くのネット民から「ひとつの考え方しか認めない全体主義者、ファシスト」と罵られていることも理解できる。率直に言えば当ブログもそう思う。「ひとつの民族、ひとつの国家、ひとりの総統」はナチスドイツのスローガンだが、さしずめ安倍政権とそれに連なる日本会議などの同姓派は「ひとつの民族、ひとつの国家、ひとつの与党、ひとつの姓、そしてひとりの安倍総裁」なのだろう。

「(耕論)「夫婦同姓」合憲、でも… クルム伊達公子さん、泉徳治さん、山田昌弘さん」と題した12月17日付の朝日新聞記事の中で、山田さんが「反対する人は「選択」が気に入らない」「問われているのは、皆と同じにしないのなら不利益を受けて当然、あるいは人と違うことを許容しない、という社会でこれからの日本は大丈夫なのか、ということ」「女性や若い人も含めだれもが活躍するには、多様性を認め、いろいろな選択肢を用意することです。その少なさ、社会の寛容性のなさが、日本経済の停滞感につながっている」「夫婦別姓の問題がずっと解決されずにきたことは、こうした社会の同調圧力の象徴」としていることに、当ブログは全面的に同意する。

そもそも、「選択的別姓が認められても、実際にそれを選ぶ人はさほど多くない」から選択制は不要というのは「少数派の意見など聞く必要はない」「少数派は踏みつぶされて当然」と主張していることになる。こうした主張を当ブログとして認めることはできない。

しかし、彼らにそんな議論をふっかけてもおそらく無駄だろう。日本で、一般庶民が姓を名乗るようになったのは明治以降であり、それ以前には庶民に姓がなかったことなど多くの人が指摘しているにもかかわらず、彼らは意に介さない。自分が信じたいものだけを信じ、自分たちの主義主張にとって都合のいい時代だけを切り出してそれを「伝統」と称するような反知性主義丸出しの連中に、いくら理や事実を説いても無駄である。

今回の最高裁判決は、過去100年で最も夫婦別姓に手が届きかけた瞬間だった。ここでの敗北は手痛く、法制度としての別姓実現は大きく遠のいた。当ブログ管理人の子ども世代では実現せず、孫の世代でも実現可能性は五分五分だろう。そして、彼ら「頑迷保守」を永遠に権力に就け続ける「自由選挙」システムも当面変わりそうにない。こうした中で、今後、どのように事態は動くだろうか。そして私たち、女性の尊厳を回復するために別姓実現を目指す人たちはどうすればいいのだろうか。

【1】今後の予想……事実婚カップルが増え、結婚制度は緩やかに瓦解に向かう

今後予想されることは、事実婚カップルが増加し、これにつれて結婚制度自体が緩やかに瓦解に向かう、という未来である。頑迷保守が権力を握り続け、前近代的「イエ」制度の残滓としての同姓制度の固守に成功した結果、必要な改革が進まず、かえって制度が瓦解する。改革すれば制度が維持できるのに、改革をしないため、かえって制度がなし崩し、骨抜きになるという「いつもの日本的解決方法」である。

このように予測するだけの根拠はある。事実婚が法律婚に比べて不利な点は、以前であれば、

1)戸籍や住民票の「続柄」欄の記載(嫡出子であれば「長男」「長女」等と記載されるのに、非嫡出子の場合「子」と記載される)
2)遺産相続の不利益(非嫡出子の場合、嫡出子に比べて法定存続分が少ない)
3)扶養手当、税法上の不利益(事実婚の場合、会社の家族手当・扶養手当や税法上の扶養控除・配偶者控除を受けられない)

……等があった。

しかし、事実婚カップルや支援者らの闘いで、(1)はすでに解決(嫡出子、非嫡出子にかかわらず、続柄は「子」記載に統一)。(2)も、2013年の違憲判決によって民法が改正され、法定相続は非嫡出子でも同一となった。残るは(3)だが、そもそも103万円、130万円の壁(所得税や社会保障)を超えて働く人は制度の対象とならず、夫婦共働きが主流である現状では大きな問題にならなくなっている(貧困のためこの制限を超えて働かざるを得ない人が大勢いることはもちろんである)。

今回、全面撤廃が実現しなかった再婚禁止期間にしても、初めから婚姻届を出さず事実婚にしていれば、そもそもこのような法的制限は問題になりようもなく、本人たちが好きなときにいつでも再婚できる。子どもには、両親が事実婚であることの不利益は既になく、親にとっても認知または養子縁組により実子と同様の法的保護の下に置くことが現状でも可能だ。こうなってくると、もはや法律婚をすることとしないこと、どちらのメリットが上回るかはかなり微妙といえる。事実婚の場合、子どもの認知などに余計な手間がかかる場合もあるが、一方で法律婚の場合も姓の変更によって各種証明書や通帳の姓を書き換えるなどの手間がかかる。夫婦共働きが前提なら、あるいは法律婚をしない方がメリットがあるかもしれない。

あとは、「憲法よりも上位の概念」として日本社会を事実上支配している「空気」(結婚はするもの、すれば女性が夫に合わせて姓を変えるものだという無言の圧力)に抗うことさえできれば、事実婚を選択するカップルはこれからかなり増えるのではないだろうか(実際には、この「空気」に抗うことこそ日本社会で最も難しいことのひとつだが)。

頑迷な同姓派は、合憲判決で勝利に酔っているようだが、おそらくその勝利は束の間に終わるだろう。おそらく、当ブログ管理人の子どもや孫の世代が大人になる頃には、結婚とは「どうしても法律上、同姓になりたい人だけが選択する特別な制度」という位置づけになり、結婚制度が事実上瓦解しそうな気がする。もっとも、フランスでは今、事実婚カップルから生まれる子どもの方が多くなっており、何らの社会的障害も軋轢も生じていない。オランド大統領自身も事実婚だ。日本も、緩やかにこの方向になりそうな気がするし、別にそれで構わないのではないか。

【2】今後、私たちが目指すべき道は

頑迷な保守派を権力から追放できず、司法での救済もかなわなかった以上、私たちは当面、法制度が変えられないことを前提に別の闘い方を模索しなければならない。「法制度には直接手を触れず、内部からなし崩し、骨抜きにしていく」といういつもの日本的解決方法を目指すより他はない。

第1に、事実婚カップルをできるだけ増やすことである。事実婚に、法律婚にないメリットがあり、一方、上で述べたようにデメリットは法律婚とさほど変わらないことを粘り強く説明していけば、事実婚を選ぶカップルは増えるだろう。また、既に法律婚をしてしまったカップルで、ペーパー離婚が可能な人には勧めるなどして、1日も早く結婚制度の瓦解を目指すべきである。

日本において、制度としての「結婚」がこれほどまでに同姓制度と一体不可分のものとして、分かちがたく結びつき、それ故に女性の尊厳を抑圧する装置としてしか機能し得ないのだとすれば、私たちの目指すべき第1の道は、その形骸化を勝ち取ることである。

第2は、「別姓での婚姻届は受理できないが、婚姻届の受理に代わるものとして、公的な結婚証明書を発行する」という地方自治体の事例を、ひとつでもいいから作り出すことである。これが実現すれば突破口が開ける。

実現はそれほど難しくないと当ブログは考えている。既に、同性婚カップルに公的な証明書を発給する制度を作った渋谷区、世田谷区の実例がある。法的には結婚すら許されなかった同性婚カップルの困難を突破する道が生まれたのだ。これに比べれば、別姓婚カップルへの証明書発行など取るに足らないレベルだと当ブログは思うのだ。

日本ではこれからますます少子高齢化が進行する。「地方自治体の4割が、若い女性の転出によって消滅危機を迎える」との日本創成会議の試算も既に発表されている。今後、生き残りを賭け、全国の自治体の間で妊娠、出産可能な若い女性の「奪い合い」が始まるだろう。そこにチャンスがある。若い女性欲しさに「もし我が市/町/村に移住してくれるのであれば、別姓でも公的結婚証明書を発行します」という地方自治体は必ず出てくると思う。

これは荒唐無稽な予測ではない。既に同性婚カップルの間で、渋谷区、世田谷区への住所移転の動きが出始めていることを考えれば、十分あり得ることである。「人口が少ない」ことは多数決を原理とする政治の世界では不利であっても、「供給量の少ない物の価格は上がり、供給量の多い物の価格は下がる」市場原理の世界では、少数派ほど自分を高く売りつけられることを意味する。実際、就職では「売り手市場」化が進行し、若者が有利になりつつある。結婚を「市場」と考え、女性が最大限自分の価値を吊り上げながら、別姓容認を各自治体に迫っていくしたたかさを見せるなら可能性はある。私たちの運動、闘いと消滅危機にある地方自治体の利害が一致すれば、おそらく地方から、このような形でなし崩し的に夫婦別姓が広がっていくこともあり得るだろう。

これが当ブログの将来予測である。行政・立法・司法の「三権」すべてで救済の道が閉ざされたとしても、別姓を目指す人々にとって、それほど落胆するような出来事ではないように思う。

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福島はこんなことでいいのだろうか? ~県議選結果に見る「政経東北」誌の懸念

2015-12-10 23:28:00 | 原発問題/一般
揺らぎ始めた第二原発廃炉(月刊「政経東北」12月号「巻頭言」)

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 再稼働のブレーキ役となるのは、原発事故で実際に被害を受けた県民となるわけだが、その県民の関心も年月が経つにつれて薄れつつある。

 11月15日、県議選の投開票が行われたが「原発廃炉」はすべての候補に共通した意見のため、選挙の争点にならなかった。とりわけその傾向が強かったのがいわき市選挙区で、脱原発団体の世話人を務める候補者ですら、選挙告示日直後の第一声ではまずコメ農家の窮状について話したほどだ。

 ただ、次頁からの富岡町関連の記事で触れている通り、楢葉町の避難指示区域が解除となり、富岡町でも解除されることになれば、今後、第二原発再稼働の話が浮上するのは間違いない。

 不安なのは、県議選で争点にならなかったのをいいことに、「第二原発再稼働について県民からの異論はないようだ」と国や東電に拡大解釈されることだ。そうならないためにも、県を挙げて第二原発廃炉を主張し続けていく必要があろう。
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11月15日の福島県議選は、覚悟していたとはいえ惨憺たる結果に終わった。自民が過半数に2議席及ばず、改選前より後退したかに思われたが、保守系無所属(55年体制時代の用語でいうところの「隠れ自民」)を4人追加公認し、終わってみれば単独過半数を回復。原発事故で未曾有の被害を受けた福島で、なぜ原発推進の自民が改選前より前進するのか、当ブログには皆目理解できない。「政経東北」誌が、12月号の社説に当たる「巻頭言」で疑問を呈したのも当然のことであろう。

原発事故風化が選挙結果に特に顕著に表れたのがいわき市選挙区だった、とする同誌の見解には当ブログも同意する。引用した記事中の「脱原発団体の世話人を務める候補者」とは、福島原発告訴団の副団長を務める佐藤和良・前いわき市議のことだ。当ブログ管理人も告訴人のひとりとして、親しくはないが1~2度お目にかかったことがある。

いわき市議を任期中で退職して、背水の陣で選挙に臨んだ佐藤さんも結局、落選した。最下位当選者との間で激しく争った末の「最高位落選」。よく戦ったとは言え負けは負けだ。おまけに、佐藤さんを僅差で破って最下位で初当選したのは坂本竜太郎氏。いわきを地盤とし、自民党の原発推進派議員連盟「電力安定供給推進議員連盟」の副会長を事故後も変わらず務める坂本剛二前衆院議員(参考記事:政経東北2014年3月号)の長男だ。しかも、酒気帯び運転での逮捕歴まである。佐藤さんの敗戦の事実そのものももちろん悔しいが、福島原発告訴団の副団長を務める佐藤さんほどの人物が、「原発事故の被害を受けた福島で、事故後も原発推進派議員連盟の副会長を変わらず続けるような人物の息子で逮捕歴あり」という、文字通り究極のクズ候補に負けたという事実にやりきれない思いがする。1年前の衆院総選挙でようやく坂本剛二氏を落選に追い込むことができ、やれやれと思っていたのにこれでは元の木阿弥だ。

「福島県内全原発廃炉は県民の総意。今さら賛成か反対かと問うこと自体がおかしく、選挙で争点にならなくても問題ない」と多くの福島県民が考えているなら、重大な政治的誤りだと当ブログは警告しなければならない。当ブログの主張が理解できない人は、昨年の総選挙の結果、何が起こったか見てみればいい。「勝ったことで自分たちの主張がすべて支持され、白紙委任された」として、安倍自民政権も橋下維新もやりたい放題ではないか。「反対と言わない者は同意」と考え、これからも彼らは「自分のやりたいこと」を勝手にどんどん進めてくるだろう。

福島県内の状況がどうあれ、「安全が確認された原発は再稼働する」と宣言した自民党を勝たせた以上、彼らはいずれかの段階で必ず「俺たちを選んだのはお前らだ。再稼働を受け入れろ」と言い出すに決まっている。高木復興相はそのような「議会制民主主義」の原理を正直に説明しただけのことだ。

やはり、まともに県の将来を考え憂えていた人ほど、避難して県を去ってしまったに違いない。避難者がせめて、もっといわき市に残っていてくれればこんな結果にならなかったのではないかと思うと、やはりやりきれない。

すでに過去ログでも述べているとおり、当ブログは「富者も貧者も平等に1票」のいわゆる「自由選挙」はすでに歴史的使命を終えたと思っている。何度でも繰り返すが、そもそもロシア革命という人類史に残る偉業を成し遂げたレーニン率いるロシア社会民主労働党(後のロシア共産党)ですら、革命後の1918年に実施された制憲議会選挙で第2党にとどまった。第1党になったのは、帝政打倒後の2月臨時政府を支えた改良主義政党、社会革命党であった。「自由選挙」が最も優れた選挙制度かどうかは、すでにこのときに決着がついている。自由選挙とは、リベラル派、市民派を勝たせないための装置であり、特に日本では保守政党を永遠に権力に就け続けるための装置に過ぎない。当ブログのこの主張が信じられない人は、表面上は「平等」に見え、多数派である貧者に有利そうなこのシステムを、なぜ自民党と財界がこれほど有り難がり、この制度にしがみついているのか考えてみるといい。その答えはこの制度が彼らにとって「有利でおいしい」からだ。

私たち市民派、リベラル派は、このような馬鹿げた制度はさっさと廃棄し、よりよい制度を目指すべきなのである。たとえ一時的に市民派、リベラル派が勝利することがあったとしても、この制度で貧困層に利益がもたらされることなどあり得ないと当ブログは断言できる。可及的速やかに、日本は「自由選挙」をやめ、社会主義国家でかつて行われていたような「労働者代表のみに立候補者を限定」した選挙制度に移行すべきと考える。

このようなことを主張すると、「それでは労働者代表と認定されなかった人に対する立候補権の侵害」だというつまらない反論が返ってきそうだが、現状でも世界的に類例のないバカ高い供託金のせいで貧困層には初めから立候補の道が閉ざされている。これを仮に「労働者階級しか立候補できない選挙制度」に変えたとしても、現在の「ある層に対する立候補権の侵害」が、別のある層に対する立候補権の侵害に変わるだけであり、現状より後退することはない。少なくとも、(富裕層よりは)社会の多数派を占める貧困層が自由に立候補できるようになれば、それだけでも社会は私たちの望む方向へ、大きく変わるだろう。

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