夏の全国高校野球は、今日決勝戦が行われ、前橋育英(群馬)が4-3で延岡学園(宮崎)を破り初出場で優勝の快挙を成し遂げた。群馬県勢の優勝は1999年の桐生第一以来2度目。一方、宮崎県は過去の優勝経験がない。当ブログ管理人は九州出身者として、また優勝経験のない県の代表である延岡学園の優勝に期待したが、かなわなかった。
いつも、春夏の高校野球の講評記事ではいろいろ書いている当ブログだが(今年春は引越の忙しさで書けないまま終わってしまったが)、今大会はとりわけ言いたいことが多くある。とりあえず、それらは最後に主張することにし、まずは、いつも通り、今大会を振り返ろう。
今大会を振り返って特徴的に言えることは、
(1)3回戦までは攻撃に「ビッグイニング」ができて大量得点差となる試合が多かった一方、準々決勝以後は投手戦にせよ打撃戦にせよ、1点を争う好ゲームが多かった
(2)大会全体を通し、悪送球が大変多く、守備に課題を残した
(3)2年生に逸材が多かった(特に投手)
(4)関東・東北勢を軸に大会が展開する新しい時代に入った
(5)特定の強豪校、特定の「スーパースター」に依存する旧来型のスタイルより、地域の野球力全体の底上げ、チーム力での勝利を意識する新しいスタイルの優位性がますますはっきりした
…等々である。このうち、一見相互関連性がないように思える(4)と(5)は密接につながっているのでまとめて述べる。
(1)については改めて繰り返すまでもないだろう。特に大量得点差となったのは、大会3日目(8月10日)、作新学院(栃木)が桜井(奈良)に17対5で勝利した試合。そして、大会10日目(8月17日)の3回戦、鳴門(徳島)が常葉菊川(静岡)に17対1で勝利した試合である。ただ、準々決勝以降の7試合に限れば、1点差の試合が5試合、2点差が1試合と大変締まった展開。準々決勝は4試合のうち2試合が延長戦となり、スタンドと全国の高校野球ファンを湧かせた。
ただ、大会全体を通して悪送球が目についた。とりわけ、得点された後に追加点を阻止するため、塁上に残った走者を刺しに行って悪送球となり、かえって追加点を与えたりピンチを広げたりするケースが目立った。焦る気持ちは分かるが、こうした場面でこそ精神面を含めた基礎的な守備力が問われる。ピンチの時こそ落ち着き、野手がグラブを構えているところをめがけて送球するという基本に忠実なプレーをできるようにするためには、実践形式での練習を数多く積むことが必要だ。各代表校が守備練習をきちんとしているのか疑問に思わざるを得ない。
投手に限って言えば、2年生に逸材が多い大会だった。大会屈指の好投手といわれた安楽智大(済美)を初め、優勝投手となった高橋光成(前橋育英)、伊藤将司(横浜)等々。野手でも、並み居る3年生を抑えてレギュラー入りした2年生が多かった。プロ野球のスカウト陣には悩ましいところだが、来年に向け、楽しみが温存されたと肯定的に捉えよう。
ただ、安楽は敗れた花巻東(岩手)との3回戦だけは別人のように不調だった。本人も監督も否定するが、背景に米国メディアも指摘した投げすぎ、疲れもあることは間違いないだろう。
今回の大会は、関東・東北勢がとにかく強かった。特に東北6県(青森、秋田、岩手、宮城、山形、福島)の代表のうち、秋田商を除く5校がすべて初戦を突破した(秋田商は1回戦が不戦勝で初戦が2回戦だったので、記録上は6校すべてが1回戦を突破したことになる)。これは高校野球史上初めてであり、まさに快挙だ。しかも花巻東と日大山形は4強入りした。4強のうち2校が東北勢というのも私の記憶にない。花巻東は、菊池雄星投手(現・西武)を擁した2009年の実績もあり4強入りに驚きはなかったが、日大山形は予想外で嬉しかった。山形県民は、かつて1985年の大会で、東海大山形がPL学園(大阪)に29対7で敗れたことがトラウマになっているといわれる。そのマイナスの記憶を一気に払拭する日大山形の躍進は、山形県民を勇気づけたに違いない。
東北勢の躍進については、
なぜ東北野球は強くなったか 花巻東・日大山形が4強入り(産経)が詳しく報じている。かつて、東北勢は関西圏の中学から入学したよそ者ばかり、と批判を受けた時期もあったが、リンク先の産経の記事にあるように今はほとんど地元出身者だ。冬場の練習不足を補うためリーグ戦を創設するなどの努力が、地域全体の「野球力」の底上げにつながったと報じられている。こうした実践形式の練習を多く積むことは、上述した「ピンチでの悪送球」のようなミスを減らす精神力をも養ってくれる。
総じて、甲子園は関東・東北勢を軸に大会が展開する新しい時代に入ったと思う。対照的に、九州勢は8強に残ったのが延岡学園1校だったが、その延岡学園が決勝に残りひとり気を吐いた。四国勢は8強に2校が残るなど健闘した。残念だったのは近畿勢で、最後まで残った大阪桐蔭が3回戦で敗れ、8強に1校も残れなかった。
なぜ西日本勢が甲子園で勝てなくなってきているのか。東北勢躍進を伝える上述の産経の記事にヒントがあるように思う。東北勢と対照的に、近畿勢は圧倒的な力を持つ強豪校が1校あって、その学校に県全体が依存する構造になっている(その強豪校の代表が、かつてはPL学園であり、最近では履正社や大阪桐蔭であろう)。
特に典型的なのは奈良県だ。今年、奈良からは桜井が初出場したが、奈良代表は40年以上にわたって智弁学園、天理、郡山の3校が独占しており、この3校以外が夏の甲子園に代表として出場したのは1971年以来、実に42年ぶりのことになる。その桜井は、冒頭に記したとおり、初戦で作新学院に大量得点差で敗れた。
奈良、大阪、兵庫などの代表は、特定の強豪校が出場したときは強いが、それ以外の学校が出場したときは1~2回戦で敗れることも多い。これは、地域全体の「野球力」の底上げができていない証拠だ。過去の成功体験に拘り、特定の強豪校に依存する構造を変えられなかったことが、地域全体で強くなってきた東北勢に比べ、近畿勢が甲子園で勝てなくなってきた背景にあると考えられる。
このことは選手起用にも言える。安楽投手に依存しすぎた済美が結局、8強に残れなかったように、スーパースター依存型のチームが甲子園で勝つことはかつてと比べ次第に難しくなってきている。複数の投手を擁し、適度に継投させながら負担を分散させる近代的チームプレー型の学校が優勢になってきたことは、長い目で見れば好ましい。
この点に関しては、米国メディアが安楽投手の登板過多、投げすぎを「狂気的」と評したことから、大会中であるにもかかわらず、投手起用のあり方について一部で熱い議論が交わされた。安楽投手本人は投げすぎを否定、済美の上甲監督も「高校生に投球制限はふさわしくない」と意に介さなかった。だが、かつて1991年の大会で、県予選から甲子園の決勝戦までひとりで投げ抜いた大野倫投手(沖縄水産)が決勝戦で肘を壊し、巨人にドラフト指名されたものの、プロ入りと同時に野手に転向を余儀なくされ、結果として短期間で引退に追い込まれるという悲劇もあった。宇和島東の監督として1980年代から指導的地位にあった上甲監督は、当時の大野投手の悲劇も知っているはずだ。にもかかわらず、かつての精神主義的な投手起用のスタイルを引きずっているのには率直に言って疑問を感じる。
今年の甲子園では、初の試みとして、準々決勝と準決勝の間に1日の休養日が設けられた。選手を消耗品として使い潰す甲子園から、世界に通用する一流選手の登竜門として、選手の限られたリソースを保全しつつ上手に活用する新しい甲子園へ…一進一退を続けているように見えても、時代は確実に変わっているのだ。
最後に、熱中症対策と大会運営で感じた点を述べて本記事を終えることにしよう。
今年の夏は、高知県四万十市で41度を記録するなど、観測史上最も暑い記録を更新することが確実な情勢だ。通常の年でも甲子園のグランドは50度近くに達すると言われるだけに、今年の甲子園はひょっとすると55度くらいあったかもしれない。このような環境の下で昼間にプレーさせるのがよいかどうかは今後に向けた検討課題として考えるべきだろう。実際、今年は観客も10人以上が熱中症で搬送された。選手に目を転じても、前橋育英×常総学院(茨城)戦で、常総のエース・飯田晴海投手が熱中症に起因すると思われる足のけいれんに見舞われ降板、その直後に2-0から追いつかれ、逆転負けを喫するという「事件」もあった。常総学院にしてみれば、相手チームのほかに猛暑という思わぬ敵がいた格好だが、これを「根性と気合で乗り越えろ」というのはあまりに酷だ。気温が一定以上となったら試合を中断する、最も暑い時間帯の試合は避け、大胆にナイターを導入するなど新しい取り組みがあってもよいと思われる。
全体的に、記念大会にふさわしいよい大会だったと総括できるが、後味の悪さを残したのは、高野連・審判部によって行われた花巻東・千葉翔太選手に対する不可解な「行政指導」だ。ひとつは2塁走者が相手捕手のサインを盗み打者に伝達する行為があったとして指導を受けたこと。もうひとつは不可解な「
カット打法禁止令」だ。詳細はリンク先の記事をご覧いただきたいが、プロ野球をはじめ他の野球ではいずれも(推奨される行為ではないが)ルール上、少なくとも禁止されていないこれらの行為について、「カット打法を行った場合、バントとみなすことがあり得る」という高校野球だけのローカルルールを根拠として事実上の自粛を求めたのは、審判部による、公認野球規則に基づかない恣意的な権力の行使であり慎まなければならなかった。
高野連・審判部がこうした不可解な行政指導を行った理由は推測の域を出ないが、「選手を消耗品として使い潰す甲子園から、世界に通用する一流選手の登竜門として、選手の限られたリソースを保全しつつ上手に活用する新しい甲子園への転換」あたりが理由だろうと思う。高校野球も教育活動である以上、選手の健康と成長を保持するように大会を運営することには大義があり社会的合意も得られるであろうから、審判部はきちんと理由を明示すべきだったし、さらに言えば、投手の身体を壊さないようファウルの球数に制限を設ける独自規定を置いてもよいと思う(一例として、「2ストライクに達した後、8回ファウルを打った打者は三振とする」といった形でルール化すればよい)。そうした努力もせず、時と場合により、審判部の胸先三寸でカット打法による打球をバントとみなしたり、みなさなかったりすることができるような恣意的な運用の余地を残したことは高野連の怠慢といわれても反論できないだろう。千葉のような器用な選手が出てくることが想定外だったことは否めないとしても、今後のために体制を整備すべきだ。
3年ぶりに決勝戦を午後開催に戻したことにも当ブログは異議を唱えたい。福島第1原発事故に伴う電力不足という社会的要因があるとしても、気温の比較的低い午前中に決勝戦を移したことは、選手・観客の熱中症対策にも有効だとして、当ブログは支持を表明してきた。今回、高野連・大会本部は、電力危機が去ったと見たのか、3年ぶりに決勝戦を午後に戻した。しかし、折からの猛暑ともあいまって、今日の午後、全国的に電力需要が逼迫し、電力使用率が97%に達した関西電力が他の電力会社から緊急に電力融通を受ける事態になった。決勝戦が昨年までと同様、午前中であればこの事態は避けられた。
なぜこのような判断をしたのか。高野連・大会本部の判断は批判的に検証されるべきと当ブログは考える。こうした無理・無駄を重ね、選手にも観客にも不必要な負担をかけた挙げ句のはてに、電力不足だから原発再稼働というのでは言語道断である。福島で今なお原発事故のため15万人が帰宅できず、汚染水が漏れ続け収束の糸口さえつかめない状況を認識するならば、決勝戦は昨年までの午前開催に戻すべきだ。高野連・大会本部に猛省を促したい。