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第96回夏の全国高校野球大会講評

2014-08-27 21:53:02 | 芸能・スポーツ
大阪桐蔭、雑草魂4度目逆転勝ち!2年ぶり4度目全国制覇(スポーツ報知)

<夏の高校野球>総括…「打高投低」の傾向が顕著だった大会(毎日)

第96回夏の全国高校野球大会は、終わってみれば優勝候補の「本命」大阪桐蔭が2年ぶり4回目の優勝を成し遂げ閉幕した。今回も、グラウンド内外でいろいろあった大会だったが振り返っておこう。

今大会は悪天候に泣かされた大会だった。台風接近で開会式がいきなり2日間順延となった。開会式が2日続けて順延になったのは甲子園史上初の珍事で、波乱の予感を抱かせた。これ以降は、悪天候の中でグランド整備をしながら必死に日程を消化したが、球児たちには気の毒な大会だった。

悪天候の影響で8月9日(土)の試合がなくなり、16~17日の週末も大雨の中の試合となった。また、休養日もずれ込んで23日(土)に当たるなど、最も観客動員が見込める週末に試合がなかったり悪天候だったりすることが続いた。テレビ観戦している限り観客動員に大きな影響はなかったようだが、球場での物販の売り上げ等には大きな打撃だったのではないかと想像している。

毎日新聞の記事にある通り、打高投低の傾向が強く出た大会だった。甲子園大会は「春の投手力、夏の総合力」と言われ、夏の大会で打撃が勝負を決めるのは例年のことだが、とにかく今年は逆転試合が多かった。大垣日大×藤代戦で、0-8から逆転勝ちした大垣日大のように、大量得点差をも跳ね返す逆転試合が多かった。決勝戦も、先制点を奪われた大阪桐蔭が逆転勝ちするなど今大会を象徴する幕切れだった。調べたわけではないが、全試合の半分近くが逆転試合だったのではないか(あるいは半分以上かもしれない)。

こうした試合展開は、観戦している側にとってはスリリングでいいものだが、プレーしている球児たちには気が気ではなかったのではないか。「あまりに逆転試合が多すぎて、選手たちが先制点を奪うのに躊躇しなければいいが」と余計な心配をしてしまうほどの逆転劇の多さだった。

逆転劇が多かった大会を象徴するように、延長戦、サヨナラ試合も多かった。忘れられない光景だったのが、1回戦、鹿屋中央(鹿児島)×市和歌山戦だ。1-1の同点で迎えた延長12回裏、鹿屋中央の攻撃だった。1死1、3塁で打者が放ったのは二ゴロ。二塁手が捕球後、本塁に送球すべきところを誤って1塁に投球。打者走者は刺したものの、3塁走者が生還して鹿屋中央がサヨナラ勝ち…。

私は一瞬呆気にとられ、「ああ、アウトカウントを間違えたのだ」と事態を理解するのに少し時間を要した。二塁手は緊迫した場面で頭が真っ白になり、アウトカウントを含めすべてが飛んでしまったという。「甲子園には魔物が棲む」ということを改めて思い知らされた、あまりに残酷な瞬間だった。

こうした逆転試合の多さを受けて「投手力の整備が今後の課題」とする報道も一部にあったようだが、優れた投手を擁するチームがことごとく地方大会で敗れ、甲子園に出場できなかったことも打高投低の大会となった背景として挙げられる。昨年の第95回大会の講評で、当ブログは投手を中心に2年生に逸材が多い大会だったことを指摘、「プロ野球のスカウト陣には悩ましいところだが、来年に向け、楽しみが温存されたと肯定的に捉えよう」としていた。本来なら昨年の大会を沸かせた2年生たちが3年となり、甲子園を盛り上げてくれるはずだったが、そのほとんどが地方予選敗退で甲子園に出場できなかったことが、今大会をより一層打撃優位の大会へと変えたのである。

そのうえ、優勝候補と目された強豪・有名校が1回戦段階で次々と敗れる波乱もあった。開会式直後の初日の第1試合で、春のセンバツ覇者・龍谷大平安(京都)が春日部共栄(埼玉)に敗れたのがその象徴だったように思う。出場全49校の中で最初に甲子園を去るのがよもや春の覇者になるとは、一体誰が予想できただろうか。智弁学園(奈良)、広陵(広島)などの強豪校も1回戦で散った。戦国時代にふさわしい大会だった。

全体としては、東日本勢が今回も優勢だった。西日本勢が久しぶりに気を吐いた今年の選抜大会の講評で、当ブログは「東日本勢中心に展開してきたここ数年の大会の趨勢が、今年を境にまたかつてのような西日本勢中心に戻るのか、それとも再び東日本勢が勢いを盛り返すのか。夏に向け、これも楽しみな点」としたが、結果としては再び東日本勢優位に戻った感がある。特に、東北勢は角館(秋田)を除く5校が揃って1回戦を突破、山形中央は3回戦に進出した。

特筆すべきは東海・北信越勢5校が揃って1回戦を突破したこと。これは初の快挙だ。目を見張る強打で4強に残った敦賀気比(福井)を中心に、それぞれがきらりと光る個性に満ちた東海・北信越勢。三重の準優勝は、東海・北信越勢が活躍した今大会の象徴だ。日本文理(新潟)は、甲子園でも上位進出がすっかり定着した感がある。かつて言われた「雪国のハンディ」はすっかり過去のものとなった。

逆に、西日本勢はまた低迷した。大阪桐蔭が優勝して面目を保ったが、1回戦開催中、「近畿勢 全滅か」というツイッターのタイムラインが回るほど一時は全校敗退の危機に見舞われた。九州勢も沖縄尚学が8強に残り、鹿屋中央がなんとか初戦を突破したが、それが精いっぱいだった。準々決勝~決勝の顔ぶれを見る限り、表向きは西日本勢が頑張ったように思えるが、これは1回戦段階で西日本勢同士、東日本勢同士の対戦が多かったため、西日本勢も多く生き残れた影響が大きい。1回戦の対戦成績を注意深く見てみると、東西対決となった試合はほとんど東日本勢が勝っている。春のセンバツのように1回戦で東日本勢同士、西日本勢同士が対戦しないような組み合わせ抽選が行われていれば、西日本勢はもっと苦しい戦いを強いられていた可能性もある。打高投低と並び「東高西低」もここしばらくは続きそうだ。

今大会の大きな話題として、「機動破壊」をスローガンに掲げた健大高崎(群馬)の「大量リード下における盗塁」と、東海大四(南北海道)・西嶋亮太投手の超スローボールの是非が問われた。結論から言えば、当ブログはどちらも戦術、技術の一環として「問題なし」の立場だ。

健大高崎は、2011年の初出場から機動力野球を売り物にしており、今大会でもその機動力はひときわ目立った。みずから「機動破壊」のスローガンを掲げ、2回戦の利府(宮城)戦では11盗塁。合計では26盗塁となり、大会記録にあと3と迫った。準々決勝で大阪桐蔭に敗れたが、ここで4強に進出してもう1試合多く戦っていれば確実に大会記録更新だった。

こうした同校の姿勢に、「大量得点差でリードしているときは盗塁を控える」というメジャーリーグのマナー(?)を持ち出し、フェアプレー精神に反する、との指摘がなされた。しかし、そうしたマナーが存在するということを当ブログは初めて聞いた。20年以上前、自分の野球部時代にもそんな話は聞いたことがない。それに、8点差でも逆転されるような今大会の流れの中で、なぜ同校がみずからの最大の武器である「足」を封印しなければならないのか。勝利が野球のすべてではないとしても、それで逆転負けを喫したら誰か責任を取ってくれるのか。本塁打を打ちまくる野球もいいが、足を生かして走者が貪欲に次の塁をめざす野球のどこが悪いのか。「柔よく剛を制す」ということわざもある。健大高崎のようなチームがいることが、甲子園ファンにとって「スパイス」になっている。

西嶋投手の超スローボールについても、打者のタイミングを外し、打たれにくくする投球術のひとつであり、外野からとやかく言われる筋合いはない。それでストライクになれば大したものだし、外れればカウントを悪くして自滅するだけのことだ。

ところで、優れた投手を擁するチームがことごとく地方大会で敗れ、甲子園に出場できなかったことが打高投低の大会の背景であることは上ですでに触れたが、その象徴だったのが安楽智大投手を要する済美(愛媛)の地方大会での敗戦だ。安楽投手の投げ過ぎはすでに昨夏から問題とされており、「地方大会で負けたことが逆によかったのかもしれない」とする論調も一部にあった。私も安楽投手の今後を考えるならそれでよかったと思っている。

済美に関しては、野球部でいじめが発覚するという大変残念な出来事もあった。この影響で済美は対外試合禁止処分となり、安楽投手も高校日本代表の選考から外れるに至った。当ブログには、野球部でのいじめ問題と安楽投手の「使い潰し」の根は同じところにあるように思える。上甲正典監督はかねてから「高校生に投球制限は不要」が持論であり、安楽投手の連投を容認してきた。1991年の大会で投げ過ぎのため肘を壊し、プロに進んだものの野手転向を余儀なくされた結果、短期間で引退に追い込まれた大野倫投手(沖縄水産~巨人)の悲劇を、当時から宇和島東の監督として間近に見ているにもかかわらず、である。いじめ問題もこうした指導法が根底にあることは想像に難くない。

時代はとっくに変わり、甲子園では投手の連投を避けるため、複数のエースを擁し交代で投げさせるのが主流になっている。地方大会では今年からタイブレーク制(延長戦に入った場合、1死満塁から攻撃を始める制度)が導入された。より一層選手の体調に配慮した大会運営にすることはコンセンサスと言っていい。そうした中、昭和にタイムスリップしたかのような「根性論一辺倒」の前時代的、反科学的な指導法を取り続けた結果、投手の使い潰しも部内でのいじめの発生も防ぐことができなかった上甲監督には率直に言って疑問だし、もはや彼の時代は終わったと考える。当ブログは上甲監督に引退を勧告する。

最後に「場外戦」的話題として、春日部共栄高校の「おにぎりマネ」問題に触れておこう。ことの経緯は報道されている通りだが、春日部共栄高校の3年生女子マネージャーが、選手のためおにぎりを握り続け、そのために選抜クラスから普通クラスに転籍したとして話題を呼んだ件だ。マネージャーの高校野球における歴史は古く、選手と事実上一心同体の存在として、陰から選手たちを支えてきた。かつてはベンチ入りもできなかったが、96年の大会から「公式記録員」枠でマネージャーも1人に限りベンチ入りできるようになったことは、古い高校野球ファンにはよく知られている(監督同様、背番号がないため試合中のグラウンド上には出られず、いわゆる「伝令」もできない)。

こうした女子マネージャーの存在が、今頃になってクローズアップされた背景に、安倍政権の女性「活用」方針があることは想像に難くない。女性「活用」問題については、そのうち別エントリで論じたいと思っているが、この話題が出た当初、「ジェンダー論の観点から餌食になるな」と思ったら案の定、論争になった。「男性=表舞台に立つ人」「女性=陰から支える人」という構造がジェンダー論の観点から認めがたいと捉えられることは容易に予想できたし、古くは1975年、「あなた作るひと、わたし食べるひと」という食品会社のCMが、性別役割分業の観点から批判され放送休止に追い込まれた出来事を思い出した。

このことをどう捉えるかは当ブログにも判断は難しい。性別役割分業否定論を根拠とした反対論、「おにぎりを握ることが本人のキャリアに結びつかず、そのために選抜クラスを捨てることが社会的損失に当たる」とする反対論もあった。容認論の多くは「本人の選択だから」というものが多いが、当ブログにはどれもどうもすっきりしない。性別役割分業という観点でいえば、これが仮に「女子スポーツ部の男子マネージャー」という逆のパターンだったらどうかと考えると比較的すっきりするのではないか。「性別ゆえに表舞台に立つ道が初めから閉ざされている中で、表舞台に立つ選手を陰から支える」という存在を私たちの社会が容認するかしないか、という問題である。

本人の選択ならいいんではないの、と思う半面、「強制でなければなんでも容認なのか」と言われたらそうとも言えない。たとえば、生活のために性風俗産業で働くことを「本人の意思で選んだ」女性に対し、それを容認すべきかどうかと尋ねられたら、当ブログは明確に「否」と答える。生活のために女性がそのような事態を不本意ながら受け入れざるを得ない社会は改善されるべきなのだ。

もっとも、大人社会の性風俗産業と同一視するのはいささか極端かもしれない。「陰から支える」役割はどんな時代のどんな社会にも必要だし、日本社会のように「神輿に乗る人よりも、担ぐ人のほうが真の権力者」であるというケースも珍しくない。みずから望んで表舞台に立たず、誰かを支える「参謀」役となる場合もある。当ブログ管理人もその典型であり、組織のトップに立てる器ではないと思っているから、名参謀役ができるならそれが一番いいと思っている。ただ、その役割が性別で自動的に規定されるなら、それは本人の意思とは別のレベルで改められなければならない。

キャリアの毀損という観点でいえば、このマネージャーは普通クラスではなく特進クラスへの転籍とする一部報道もある。春日部共栄高校の選抜クラスは偏差値が70、特進は67であり、当ブログ管理人から見ても雲の上のような存在だ。実際、受験競争を生き抜いた世代である当ブログ管理人から見れば、偏差値など65を超えれば大勢に影響はなく、70でも67でもその後の人生は大きく変わらないような気がする。「レベルを落として67」の頭脳があれば、その後の人生は彼女次第ではないかとも思える。今後の彼女の人生に幸多くあることを願っている。

むしろ、当ブログが違和感を覚えたのは「上から目線」で、ジェンダー論だのキャリアだのを振りかざして説教を垂れる大人たちのほうだ。東京都議会で、少子化問題への取り組みを質した女性都議(塩村文夏さん)に対し、「お前が産め」という女性蔑視、人権侵害のヤジが飛んだのはついこの間の出来事である。この国の大人たちは、高校生の振る舞いをとやかく言う前に、自分の身の回りで起きている女性差別を根絶するほうが先だ。それすらもできない大人が高校生に対し、偉そうにジェンダーだのキャリアだのを説いても、当の高校生には響かないばかりか白けるだけであろうし、大人がこんなことをしている限り、女性の社会進出指数が世界105位の日本の惨状も変わることはないと思う。

今回もいろいろなことがあった高校野球大会だった。甲子園から高校球児が消えると、厳しかった夏も終わりが見えてくる。実際、ここ数日で朝晩は急激に涼しくなった。球児たちは冬に耐え、また来年の甲子園で美しい花を咲かせてほしい。

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【本の紹介】2014甲子園データバイブル

2014-08-26 20:04:43 | 書評・本の紹介
甲子園データバイブル 記憶が記録と重なる時 2014 第1回~第95回全試合完全網羅

本来なら甲子園大会開会前にご紹介できると良かったのだが、いろいろあって大会後になってしまった。

「第1回(1915(大正4)年)~第95回(2013(平成25)年)全試合完全網羅 必携保存版」の名にふさわしいデータ集。夏の甲子園大会、第1回からの全試合データが載っている。高校野球ファンには垂涎の1冊だ。

載っている主なデータは、各大会ごとの出場校一覧、全試合対戦成績、総本塁打数、総観客動員のほか、優勝チーム紹介、記憶に残る名選手、プロに進んだ主な選手など盛りだくさん。これが95回分載っていてお値段は1,620円という超破格。私ならたぶん5,000円でも買うと思う。それほどの価値がある。

当ブログのように、歴史的経緯まで踏まえた大会講評を書くのでなくとも、「過去にこんな大量得点試合、あったかな?」「あの学校はいつが初出場なんだろう?」といったような高校野球ファンの素朴な疑問の多くはこの1冊で解消される。今後の高校野球の楽しみ方がひとつ増えること請け合いだ。来年以降の大会のために今から入手しても決して遅くない。

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東電元経営陣3名に「起訴相当」議決 ~福島原発告訴団、原発事故刑事責任追及へ前進

2014-08-25 22:06:14 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2014年9月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 福島原発事故に伴う避難区域住民の避難中の死亡や被災地における広範な放射能被曝等の被害に関し、東京第5検察審査会は7月31日、勝俣恒久元東京電力会長及び武藤栄、武黒一郎の両元副社長の3名を業務上過失致死傷罪で「起訴相当」とする議決を行った。この他、小森明生元常務を「不起訴不当」とする判断が示された。皷紀男、榎本聰明の両前副社長は安全対策の決定権がなかったとして不起訴相当とした。

 福島原発告訴団が2012年6月、政府・東電関係者ら33人を業務上過失致死傷罪等で告訴・告発したのに対し、昨年9月、検察当局は「事故の予見は不可能だった」として全員を不起訴とした。今回の議決は、不起訴決定を受けて福島原発告訴団が東電旧経営陣6名に絞って検察審査会に審査を申し立てていたことに対するものだ。

 ●原子力ムラを断罪

 今回の議決は、市民感覚を反映し、市民にとって理解しやすい平易な表現で原発事故の本質に深く踏み込んだ。東電が2008年に東日本大震災と同じ規模の15・7メートルの高さの津波を試算しながら、有効な対策をとらなかったことを指摘。「地震や津波はいつどこで起きるか具体的に予測するのは不可能で巨大津波の試算がある以上、原発事業者としてはこれが襲来することを想定して対策を取ることが必要だった」「安全に対するリスクが示されても実際には津波は発生しないだろう、原発は大丈夫だろうという曖昧模糊とした雰囲気が存在した」とし、こうした態度は「本来あるべき姿から大きく逸脱しているし、一般常識からもずれている」「原発の安全神話の中にいたからといって責任を免れることはできない」と政府・東電を批判した。

また、危険を軽視する東電の企業体質について「安全に対するリスクが示されても、単なる数値と見るだけ」「何をするにも原発の稼働ありきを前提に動いている」として「命よりカネ」の原子力ムラを断罪した。

 さらに、勝俣元会長が検察の事情聴取でこうした重要な点の多くを知らなかったと供述したことに対しては、「当時の東京電力の最高責任者として、各部署に適切な対応策を取らせることも可能な地位にあった」「(知らないとの供述は)信用できない」とし、責任逃れに終始する元経営陣らの主張を退けた。

 議決を受け、福島原発告訴団の代理人の河合弘之弁護士が都内で記者会見。「古い形式論理にとらわれ、被害(の実態)などに一切立ち入らなかった検察の非常識な不起訴決定に鉄ついを加えた。非常に大きな意義がある」と述べた。

 また、福島原発告訴団の武藤類子団長が以下の声明を発表した。

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 福島原発告訴団が申立を行った6人全員ではありませんでしたが、特に重大な責任を問われる勝俣氏、武藤氏、武黒氏の3人に「起訴相当」、小森氏に「不起訴不当」の議決が出たことは、妥当な判断をして頂いたものと思っております。一般の東京都民からなる検察審査会が、被害者に寄り添った結論を出してくださったことを心から感謝いたします。

 議決書には、東電の役員には安全確保のために高度の注意義務があること、対策が必要な津波が来ることが認識できたこと、きちんと対策を取っていれば事故を防ぐか軽減できたと示されています。安全確保を第一にせず、経済性を優先していた姿勢を強く批判しています。

 検察庁はこの議決が、原発事故に対する国民の想いであることを理解し、直ちに強制捜査を含めた厳正なる捜査を開始して頂きたいと思います。

 福島の被害は今も形を変えながら拡大しています。一日も早く、この事故を引き起こした者が責任を取り、被害者が救済されること、そして二度とこのような悲劇が起きないことを願ってやみません。

 福島原発告訴団は、引き続き、責任追及を求める活動を続けます。これからもどうぞよろしくお願い致します。
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 今回の議決は、電力会社と一体となって原発を推進してきた政府・自民党にも大きな衝撃を与えたようだ。議決当日の記者会見で、菅義偉官房長官は「検察審査会の議決についてコメントは控えたい」と述べるのがやっとだった。

 一方、東京地検の中原亮一次席検事は「議決の内容を十分に検討し適切に対処したい」とのコメントを発表。捜査に関わった法務・検察の幹部の1人は「東日本大震災と同じ規模の巨大地震や津波を具体的に予測するのは難しく、捜査は尽くしていただけに今回の議決には驚いた。起訴相当の議決が出ることは想定しておらず見通しが甘かった」とする。

 だが、この法務・検察幹部の見解はあまりに被害者を愚弄している。そもそも検察は東電本社への強制捜査(家宅捜索)も逮捕・取り調べもせず、数人の関係者から任意で事情を聴いただけでいったい何が「捜査を尽くした」のか。昨年9月の不起訴決定直後、「誰がやっても結論は同じ。(捜査の)意欲は湧かなかった」「起訴は無理と示すための捜査。要は頭の体操」などとする検察幹部の無責任な「放言」がメディア報道されている(2013.9.11『北海道新聞』)。福島原発告訴団は、不起訴決定へ抗議するとともに「北海道新聞の報道に抗議する意思はないのか」と東京地検を質したが、その意思もないとの回答だった。

 不真面目な検察の捜査対応という意味で、触れておくべき事実がさらにある。昨年9月、不起訴決定のわずか数時間前になって、検察は突然、事件を告訴のあった福島地検から東京地検に「移送」(注1)するという暴挙に出た。検察審査会法では、移送後に「担当」となった検察官の所属する場所の検察審査会にしか審査申立ての手続きができないと定めている(同法第30条)。事件が東京地検に移送されたことで、福島原発告訴団は東京の検察審査会にしか審査申立てができないという事態になった。「自分たちも放射能汚染の中で被曝を強要されながら存在しなければならない矛盾、逃れられない厳しい現実を背負う福島の検察官」(注2)に事件を担当してほしいとの思いから告訴・告発先を福島地検とした被害者を踏みにじる決定だった。起訴相当の議決は、こうした検察の「事件潰し」を跳ね返したという意味でも大きな意味を持つ。

 さらに指摘しておかなければならないのは、大飯原発の運転差し止めを認めた今年5月の福井地裁判決と同様、今回の議決が「市民による法の創造」の意義を持つことである。「整理解雇の4要件」のように、市民・労働者の圧倒的な闘いの力に押され、司法が立法機関に先駆けて政府や企業を縛る判例を積み上げながら、事実上の法規範として機能させてきたもの(判例法)もある。国会が悪法製造装置となり、国民のための立法機関としての役割を放棄した今、市民と司法が手を取り合い「命よりカネ」の大企業を判例法で縛っていく試みとしての意味においても、福井地裁判決や今回の議決は輝く価値を持っている。成文法(文章に書き表された法)だけでなく、慣習法、判例法などの不文法(法律としての名称が与えられず、その形式的要件も満たしていないもの)もまた法規範であること、そして法規範は国会議員だけでなく、市民と司法との協働の中からも成立・発展させられるものであることを、いま一度確認しておきたい。

 ●改めて、検察審査会とは?

 これを機に、改めて、検察審査会についてまとめておこう。

 検察審査会は、一般の国民からくじで選ばれた11人の検察審査員によって構成される検察審査会が、検察官の行った不起訴処分の当否を審査する制度である。検察審査会法の制定・施行により1948年に発足した。戦後の民主化の中で、GHQ(連合国軍総司令部)が「検察の民主化のため、検察官を公選制にすべき」と強く主張。公選制に反対する日本側に対し、GHQは「公選制が不可能なら、何らかの形で国民が検察を統制する手段を講じる」よう求めた。また、「国民の代表より成る委員会の如きものを作ること」及び「検事が起訴す可(べ)き事件を起訴しなかつた時、検事をして起訴せしめる強制力を与えること」を検討するよう促した。検察審査会は、こうした要請の中、日本側がGHQと協議しながら立案した制度である(注3)。

 GHQは、引き続き検察審査会の議決に強制力を持たせるよう日本政府に要求したが、最終的には政治的妥協の結果、強制力が付与されないまま、不起訴不当の議決を受けても検察が不起訴の判断を変えなかった場合には刑事処罰の道が閉ざされる時代が続いた。1985年の日航機墜落事故でも、前橋地検の不起訴の判断を不服として遺族らが検察審査会に審査を申し立て、不起訴不当の議決を勝ち取ったが、前橋地検は不起訴の決定を変えず捜査は終了。520名もの死者を出した「単独機としては世界最大の航空機事故」にもかかわらず、運輸省も日本航空も誰ひとり責任を問われなかった。

 1999年に始まった一連の司法制度改革の中で、検察審査会の議決に強制力を付与する制度の導入が提言された。2004年4月、「起訴議決制度」の導入を柱とする検察審査会法改正案を審議していた第159通常国会で、野沢太三法相(当時)が次のように答弁している。

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 検察審査会の議決に基づき公訴が提起されるものとすることによりまして、公訴権の行使に国民の感覚をより直截に反映させることができると考えております。また、これによりまして、公訴権をゆだねられている検察官が独善に陥ることを防ぎまして、公訴権の行使をより適正なものとし、司法に対する国民の理解と信頼を深めることが期待できると考えております。
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 改正検察審査会法は2009年に施行され、検察審査会の審査員11人のうち8人以上が同意すれば起訴を相当とする議決(起訴議決)を出せるようになった。今回の東電経営陣3名に関する議決はこの改正法に基づくもので、検察は再捜査し、3ヶ月以内に起訴すべきかどうか結論を出すことになる。検察が再び不起訴の決定をするか3ヶ月以内に結論を出さなかった場合、再び検察審査会が審査し、二度目の「起訴相当」議決が出れば、3名は強制起訴され、裁判所が指定した弁護士を検察官として刑事裁判が始まる。

 起訴議決の先行例としては2005年、乗客ら107名が死亡したJR福知山線脱線事故がある。福知山線脱線事故では、神戸第1検察審査会が二度にわたって起訴相当の議決をした井手正敬、南谷昌二郎、垣内剛の歴代3社長が強制起訴され、指定弁護士を検察官として刑事裁判が行われた。昨年9月、神戸地裁が3社長全員を無罪としたため、指定弁護士が大阪高裁に控訴。今年10月10日に行われる予定の第1回公判で控訴審がスタートする。

 ●責任追及で原発廃止を

 先に見たように、日本ではこれまで政府や企業の巨大犯罪であればあるほど責任と権限が分散し、罪が問われることがなかった。このような無責任社会からの脱却へ向けた一歩を記したという意味でも今回の議決は画期的だ。

 こうした議決の背景に、福島原発告訴団に結集した被害者による集中的な被害申立ての活動がある。第1次告訴(2012年6月)に加わった福島県の被害者1324人の約半数に当たる約700名が、被害を訴える陳述書を任意とされ強制でないにもかかわらず提出するなど、原発事故のあらゆる被害とそれに対する怒りを表明した。第2次告訴(2012年11月)では全国の被害者もこれにならって被害実態を訴えた。今回、検察審査会が議決書の冒頭で「事故に遭われた方々の思いを感じる」と言及した背景に、被害者・市民による粘り強く幅広い「立証活動」があることは間違いない。

 議決翌日の8月1日、首相官邸前金曜行動に参加する市民からも議決を歓迎する声が上がった。杉並区の大学教員の男性は「起訴相当こそ市民感覚。3年以上経つのに誰も裁かれないのはおかしい。関係者は責任を取り、避難者への補償も充実すべきだ」と訴えた。

 福井地裁判決と併せ、刑事・民事の両面から原子力ムラの責任追及の態勢が整った。事故の際に電力会社が刑事・民事両面で責任を問われることになれば、国・規制委がいくら「基準に適合している」とお墨付きを与えても、電力会社は原発稼働をためらうようになる。川内原発の再稼働の準備を進める九州電力の瓜生道明社長が「再稼働は誰が判断するのか、法律を見たがどこにも書いていない。我々が原子炉のスイッチを押してもいいのではないかという気もするが、これまで国策として原子力を推進してきた経緯もある」と不安を表明しているのは責任追及への恐れの反映といえよう。

 原発事故を福島県内で迎えた当コラム筆者は、第1次告訴に加わった1324名の告訴人のひとりである。未曾有の被害を出した原発事故への責任の取り方、「落とし前の付け方」こそが今、まさに問われている。それは日本が真の文明社会に値するかどうかの試金石でもある。私たち、福島原発告訴団に結集した告訴人は、今後も引き続き東京地検に対し起訴を求め、検察が起訴しない場合は強制起訴を求めてあらゆる行動を強化する。無責任大国ニッポンに私たちの時代で終止符を打つ決意である。


注1)移送とは事件の管轄を移す手続きだが、過去には「事件潰し」の手段として使われたことがある。典型的なのが、1980年代に発覚した福岡県苅田町における住民税不正流用疑惑だ。町の収入役が、町民から徴収した住民税8000万円を町の財政に組み入れず裏口座にプール。国会議員に転出した元町長の選挙資金に充てられていたというもので、当初、東京地検特捜部が捜査に乗り出した。だが、元町長が自民党の尾形智矩代議士だとわかると突然、特捜部がなく捜査態勢も脆弱な地元・福岡地検に事件が「移送」。その後、不可解な形で捜査が打ち切られている。

注2)『福島原発事故の責任をただす! 告訴宣言』(2012.3.16)。

注3)『検察審査会制度の概要と課題』越田崇夫、国立国会図書館調査及び立法考査局『レファレンス』2012年2月号所収。

(2014.8.18 黒鉄好)

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レイバーコラム第19回 日航機事故から29年~フジテレビ特番を見て やはり解明されなかった「疑惑」

2014-08-21 21:47:54 | 鉄道・公共交通/安全問題
(この記事は、当ブログ管理人がレイバーネット日本に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 単独機の事故としては世界最悪の520人が犠牲となった1985年8月のJAL123便墜落事故から29年が経過した。月日の流れの速さを改めて感じるが、私の脳裏に焼き付いたあのむごたらしい酷暑の夏の記憶は今なお決して薄れることはない。「御巣鷹の尾根」は今なお私、そして安全問題研究会の原点だ。

 ところで、今年の8.12はいつもの年と少しばかり違った。フジテレビ系列の全国放送として、特別番組「8.12日航機墜落30回目の夏~生存者が今明かす“32分間の闘い”ボイスレコーダーの“新たな声”」が放送されたからだ。

 この番組の放送は8月10日の産経新聞で予告された。フジサンケイグループ内での「自画自賛的番組宣伝」であろうと自戒を込めつつも、その大々的な予告ぶりに、多くの人がいまだ謎に満ちたこの事故の「真相究明」に対するいくばくかの期待を抱いてこの番組を見たようだ。運輸省航空事故調査委員会(事故調、現在の運輸安全委員会の前身)が発表した「後部圧力隔壁崩壊説」に一度も納得できたことがない私ももちろんこの番組には注目していた。

 だが同時に私は、事故というより「事件」と呼ぶほうが適切かもしれない「御巣鷹の真相」は、おそらくこの番組でも明かされることはないだろうと思っていた。なにより30年近い歳月は短いようで長い。当時を知る関係者も少なくなり、遺族ですら高齢化で険しい御巣鷹の尾根への慰霊登山を断念する人が毎年増え続ける現実がある。今頃になって新事実が飛び出すくらいなら、とっくの昔に出ていて不思議はないし、圧力隔壁崩壊説に疑問を抱く人なんて日本全国に今なお数万人単位で存在する。

 ミサイル撃墜説、自衛隊「無人標的機」衝突説を初めとして、この間、ありとあらゆる言説が流されてきた。この事故のことを卒業論文のテーマにしようと考えた学生が教授に相談したところ「君の命が危ない。悪いことは言わないからやめなさい」と言われた、またある大物政治家が「私が首相になったらすべての真相を明らかにする」と漏らし、そのために政権中枢から遠ざけられた、など事故から数年は事実とも嘘ともつかない風説も乱れ飛んだ。だが、そのどれもが決定的な証拠を欠いたまま、事故原因に納得できない人たちが独自の真相究明を今なお続けようとしているのが、この事故の特異なところなのだ。

 そんなモヤモヤ感が払拭できないまま、歳月の流れによってそろそろ真相究明をあきらめざるを得ないのかと思っていた矢先のことだけに、この番組の大々的な予告はいやでも目を引く。私は「この事故に関して今さら怖いものなどあるか。何が来ても驚かないから、来るなら来い」と思いながら、放送開始を待った。

 ●事故調追随の「肩透かし」

 だが、2時間半にも及んだ番組の感想を一言でいうなら「とんだ肩透かし」だった。たった4人の生還組のひとり、吉崎博子さんの証言を掘り起こしたことは評価するが、救出活動に従事した人たちの人間ドラマに仕立てるのが目的の番組だったというほかなく、事故当時、焦点となっていた点はものの見事に言及されなかった。

 たとえば異常事態が発生した1985年8月12日18時24分35秒頃の「ドーン」という異常音の後のボイスレコーダーの会話内容はどう聞こえるか。急減圧はあったのか。事故現場の特定になぜ一晩もかかったのか。乗客を救助しようと米軍が事故現場上空に到着し、降下準備まで整えながら「日本政府が米軍の救援を拒否し、帰還命令が下された」とする米空軍アントヌッチ中尉(当時)の米軍準機関紙”Stars and Stripes”(星条旗)における証言は事実なのか…等々。

 こうした点にひとつでも肉薄できるなら、この番組は評価に値すると思っていたが、私を含め「事故調報告否定派」の人々が最も知りたかったこれらの論点を意図的に無視し、あろうことか、米国の音声分析会社まで持ち出した挙句に「原因は事故調報告通り圧力隔壁崩壊」というのだ。どう考えても、事故調報告への異論、疑問が依然として収まらない日本社会の現実に業を煮やした「誰か」が圧力隔壁崩壊説の正しさを宣伝するために仕組んだ番組としか思えない。見終わった後、私は思わず脱力してしまった。

 テレビ番組としてのインパクト、衝撃という意味では、事故20年後の2005年に放送されたTBS「ボイスレコーダー~残された声の記録~ジャンボ機墜落20年目の真実」に遠く及ばなかった。これと前後して、運輸省・事故調、日本航空がひた隠しにしていたボイスレコーダーが何者かの手によって流出したとのうわさが流れていたが、この番組ではボイスレコーダーの生音声が流れることによって流出が事実であることが裏付けられた。

 同時に、事故直後、「どーんといこうや」という機長の発言が記載されたボイスレコーダーの筆記録が事故調によって公表されて以降、「投げやりな態度で乗客を死に至らしめた」として社会的に糾弾されていた乗務員に対する社会的評価が180度変わった。墜落の最後の瞬間まで懸命に着陸を目指そうとしていた乗務員の奮闘が生音声によって明らかになり、慰霊登山で遺族から怒鳴られることがあった高浜機長の連れ合いが「生音声放送後は感謝されるようになった」と述懐していたことが印象に残っている。

 私自身は、操縦席が機体の先頭に位置している以上、事故が起これば真っ先に死ぬことになる乗務員が、乗客を救う以前の問題として、自分の命を捨てるような真似をするはずがないと信じていたから、「投げやりな態度で乗客を死に至らしめた」との批判に対しては、そんなことがあるはずがないと疑問を抱いていた。

 結果的に、ボイスレコーダーの生音声が流出したからといって、「加害者」であるはずの乗務員の遺族も「被害者」であるはずの乗客の遺族も誰も困らなかった。むしろ事故を起こした会社を手を携えて追及できる契機にさえなった。

 日航乗員組合の組合員で、同社の航空機関士(当時)だった芹沢直史氏は、事故の真相究明に取り組んでいたジャーナリスト角田四郎氏に対しこのように答えている。「過去、日航では自社機事故の後、返還されたボイス・レコーダーは必ず乗務員に公開され、その一部は訓練に供されています」「通常なら〔事故原因の〕調査中にボイス・レコーダーを聴かされ解読する手伝いをすることさえあったのに、今回は一切ノータッチです。組合からも再三、公開を要求してきましたが、今だ応じていません」(注1)。

 それでは、この事故に限ってボイスレコーダーはなぜ公開されず隠されたのか。別の言い方をすれば、ボイスレコーダーの生音声が流されることによって「困る」のは誰か。その点こそが事故原因のカギを握るといえる。

 ●小規模の減圧はあったが急減圧はなかった

 明らかにしてほしかった論点がいくつかある。その最大のものが、18時24分35秒頃に「ドーン、ドーン」という異常音が響き、警報が鳴動を始めた直後、ボイスレコーダーに記録された高浜正巳機長の声がどのように聞こえるかだ。事故調が発表したこの部分の筆記録は、1985年8月27日の第1次中間報告では「何かわかったの」だったのが、翌86年6月3日の「聴聞会報告」では「なんか・・・・」になり、87年6月の最終報告では「なんか爆発したぞ」になるなど二転三転している。

 事故調が航空工学の「専門家」を揃えながらこの程度の解析もできないという事実に驚かされた。後に、「なんか爆発したぞ」との筆記録の記載に対し、疑問の声が上がり始めた。この時点では、123便はまだ「スコーク77」(いわゆる非常事態)も宣言しておらず、この時点で「ドーン」音がなぜ「爆発」とわかるのか、というもっともな疑問だった。2005年のTBS「ボイスレコーダー~残された声の記録」による生音声の放送で、この部分が「なんかわかったの」であることがはっきりした。インターネット上に流出した生音声を拾って私は何度も聞き直したが、「なんか爆発したぞ」に聞こえたことは一度もない。

 事故直後、事故調委員の間で、また「圧力隔壁崩壊説」に批判的な有識者の間で最も鋭い論点になったのがこの部分の聞こえ方だった。「初めに爆発が起こって圧力隔壁が壊れ、続いて垂直尾翼が崩壊。与圧(注2)がなくなって急減圧が起きた」という事故調の描いたストーリー通りであるためには、この部分はどうしても「爆発したぞ」でなければならなかった。

 この部分に触れなかった時点で、私は「今回の番組はダメだな」と確信したが、その通りだった。生音声における高浜機長の声が実際には「爆発したぞ」でなく「なんかわかったの」にしか聞こえなかったからこそ、ボイスレコーダーは隠されなければならなかったのだ。

 圧力隔壁崩壊説が間違っていることを、私は、これまでに接したいくつもの証拠を挙げて証明することができる。そのひとつが下の写真だ。遺族の小川領一さんが公表したもので、撮影は事故で亡くなった父の哲さん(当時41歳)。この写真を掲載している「御巣鷹の謎を追う」(米田憲司著、宝島社、2005年)では領一さんによる写真の公表日時を「85年10月13日」としているのに対し、前述のジャーナリスト角田四郎氏の著書「疑惑 JAL123便墜落事故 このままでは520柱は瞑れない」(早稲田出版、1993年)では「事故の5年後に公表」としているなど、情報に混乱も見られるが、そのこと自体は写真の信頼性に傷をつけるものではないから、ご紹介する。



 この写真で注目すべき点は、なんといっても酸素マスクを着用していない乗客がいることだ。この日の123便は満席で、キャンセル待ちも回って来ず、搭乗をあきらめた人も多かったから、使われていない酸素マスクの座席に「主」がいなかったわけではない。

 この写真が撮影された時間、123便は少なくとも高度6000メートル以上を飛行していた。123便の高度変化は下の図の通りである(事故調発表のデータを基にしており、これも「御巣鷹の謎を追う」に掲載されている)。



 上空で、大気が存在するのは高度約10000メートルまでといわれる。私たちが生活している地上の気圧は、気象条件によっても変化するが概ね1000hPa(ヘクトパスカル)程度。高度1000メートル上るごとに気圧は約100hPaずつ減少するから、高度6000メートルより上を飛行しているこのときの123便の機外の気圧は約350~400hPa程度だ。富士山頂の約半分程度の気圧しかないことになる。こんな状態で、事故調報告通りに圧力隔壁が崩壊、垂直尾翼が機体から離脱して機体後部に大穴が開き、機内と機外の気圧が同じになるほどの急減圧が起きれば、まず酸素マスクなしで意識を保つことは無理だ。それなのに、123便の機内では乗務員はもとより一般乗客の中にさえ、酸素マスクを使用していない人が多くいるのがわかる(赤丸を付けたのが使われていない酸素マスク)。どうみても急減圧が起きている機内には見えない。

 さらに、これほどの高度を飛行しているにもかかわらず、操縦席では機長、副操縦士、航空機関士のだれも酸素マスクをしていないし、急減圧発生の際は直ちに「デコンプレッション(急減圧)!」と乗務員が称呼しなければならないとされているにもかかわらず、ボイスレコーダーの生音声にはそのような声はなかった。 

 圧力隔壁説が正しいとした場合に、機内で乗員乗客が酸素マスクをつけなくてよいほどの状況と整合性をとれる説明をするためには、少なくとも123便が発表よりかなり低高度を飛行していなければならない。たとえば、高度が3000メートル程度であれば圧力隔壁が壊れ、機体に大穴が開いたとしても、急減圧は起こらずに済むであろうから、矛盾なく圧力隔壁説を事故原因とできるであろう。ただし、今度は事故調が発表している高度図がおかしいという話になり、やはり事故調報告は全く信用できなくなる。

 私は、123便がこうした低高度を飛行していた可能性はほぼなかったと思っている。第一、発表された航路図によれば、123便は富士山のすぐ近くを飛行しており、これほどの低高度を飛行していたら、御巣鷹の尾根に到達する前にどこか他の山に激突していたであろう。そもそも低高度ほど気圧が大きいから空気抵抗も大きい。垂直尾翼を失い、油圧による操舵機能も失われていた123便がそのような大きな気圧に抗しながら飛行するのは困難を極めたはずである。操縦不能に陥りながら、墜落まで123便が30分以上も飛行を続けることができたのは、空気抵抗の少ない高高度だったからだと考えるのが自然である。それでは、急減圧は…? やはり「なかった」と判断せざるを得ない。

 事故調が圧力隔壁説にこだわるのは、事故を起こした機体番号JA8119号機がこの前年、大阪空港で起こした「しりもち事故」と関連づけたかったからだろう。事故がボーイング社の設計ミスによるものとなれば、日米航空業界の威信に傷がつく。JA8119号機特有の問題であり、ボーイング社の設計ミスでないとなれば、日米航空業界を打撃から守ることができる。不可解な事故調の姿勢、そして「起きていた事実からは全く導き出すことができない」矛盾だらけの圧力隔壁説に対する事故調の異常なこだわりの背景に、やはりこうした「政治決着」の臭いを感じざるを得ないのである。

 ●それでもわかった「いくつかの新事実」

 それでも、2時間半にわたったこの番組が全くの無駄だったわけではなく、いくつかの発見はあった。異常発生直後、羽田に帰ることを求めた123便は管制に対し右旋回を要求した。事故当時、「左旋回でUターンしていれば太平洋上に着水でき、もっと多くの生存者を残せたかもしれない。右旋回を要求したことが、迷走の果てに山に向かう原因となった」として乗務員を批判する論調があったが、今回の番組では、異常発生当時の気象データを基に、123便が飛行していた区域で南西から北東への風が吹いていたことを明らかにした。

 事故以来、長い間私を支配してきた「右旋回要求の謎」がこれにより氷解した。東京から大阪に向かっていた123便は東から西へ飛行していた。南西から北東へ風が吹いている状況で123便が左旋回を選んだ場合、瞬間的にではあるが、旋回途中で南西からの逆風を正面に受けなければならなくなる。油圧を失い、操縦不能となった123便にとって、それは受け入れられない危険きわまる賭けを意味する。一方、右旋回なら南西からの追い風に乗れ、難なくUターンできると操縦席が考えたとしても不思議ではない。旅客機の操縦席には、風向風力の状況は表示されていたはずであり、私は、右旋回を要求した高浜機長以下、当時の操縦席の判断を支持する。

 もうひとつ、123便に使用されていたボーイング747型機では、左右の主翼に2つずつ、計4つ付いているエンジンの出力を、各エンジンごとに個別にコントロールできると分かったことである。航空関係者は先刻承知であろうが、私を含め、こうした事情を知らない一般視聴者にこのことを明らかにした意味は大きい。ただ、今回の番組が、元パイロットを出演させたうえで「乗務員の手の癖により各エンジンの出力にばらつきが生まれたこと」を123便の迷走飛行の原因としていることには私は納得できない。

 なぜか。123便は油圧を失い、方向舵は利かなかった。操縦桿も重くなり操作できない状況だった。この状況で、123便の3人の乗務員は、32分間も墜落を免れながら、「操縦不能」のはずの機体をある程度コントロールすることに成功している。発表されている航路図とボイスレコーダーの生音声を聴きながら私が独自に書き下ろした筆記録を突き合わせると、たとえば18時47分ごろ、「コントロールとれ右、ライトターン」「山にぶつかるぞ」という高浜機長の声の後、航路図は実際に右に変化しているし、その後、18時48分ごろには「レフトターン・・・レフトターン」という高浜機長の声の後、左旋回こそできなかったが、航路図ではそれまで続いていた右旋回が止まり、直進に変化している。

 操縦桿が利かなくなり、「操縦不能」となっていたはずの機体をある程度、乗務員がコントロールできていたことは当時から知られていたが、どのようにして操縦席がそれを可能にしたのかにはこれまであまり言及されていなかった。4つのエンジンの出力を個別にコントロールできるとなれば、右旋回したいときは左側のエンジンの出力がより大きくなるようにし、左旋回の時はその逆にすれば、操縦桿が利かなくなってもある程度、機首を操縦席の望む方向に向けることができる。

 123便は、不時着を想定して車輪を降ろした影響で空気抵抗が増し、18時40分ごろから急速な降下が始まっていた。この極限状況の中でも、乗務員が左右思う方向に機首を向けられた背景として、私は、操縦席が左右のエンジン出力差を利用して機体を操縦していたのだと確信を持った。実際、あの状況ではそれくらいしか方法がないし、航空機のプロである乗務員はその程度のことには当然想像が及ぶと思う。それを、「乗務員の手の癖により各エンジンの出力にばらつきが生まれたこと」が123便の迷走飛行の原因とはなんたる言い草だろうか。高浜機長以下、3名の乗務員を愚弄するものであり、私は、フジテレビのこの見解には撤回を求めたいと思っている。

 たかが29年、されど29年。慰霊登山を続けていた遺族が高齢化のため引退し、子や孫の世代が慰霊登山を引き継ぐようになった。今年の御巣鷹には関越道バス事故の遺族なども登り、安全への誓いを新たにした。今年2月には、首都圏を襲った大雪の影響で、多数の墓標が倒壊し、日航社員が修復にあたった。8.12当日も、大雨の影響で登山道の脇の斜面が崩れ、一時通行止めになったが日航社員が応急処置をして復旧させた。「多くの人が命を散らさざるを得なかったこの場所を守りたい」というのが関係者の共通する思いだ。御巣鷹は今、安全を求める人たちの聖地となりつつある。日航社長も毎年、慰霊登山を続けている。そのことは評価するが、一方で日航ではこの1年間の整備ミスが16件に登り、御巣鷹事故以降では最大件数になったと報道されている。

 安全意識を持つのはいいとして、それが掛け声だけになっていないか。経営陣と現場との意思疎通がうまくいっていないのではないか。それ以前に、安全のため、声を上げ行動していた165名の労働者の解雇をなぜ見直さないのか。来年はいよいよ御巣鷹から30年になる。遺族たちは「みんながまとまって法要ができるのは33回忌が最後ではないか」と危機感を募らせる。30年は確かに節目だが通過点であり、幕引きを許してはならない。なにより事故原因すら究明されていないのだ。真の原因が明らかになり、無残な最期を遂げざるを得なかった520柱が安らかに眠れる状況になるまで、御巣鷹をめぐる安全問題研究会の活動に終わりはない。

注1)「疑惑 JAL123便墜落事故 このままでは520柱は瞑れない」(角田四郎著、早稲田出版、1993年)
注2)気圧の低い高高度で、機内の気圧を地上と同程度に維持するシステムのこと。

(黒鉄好・2014年8月20日)

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御巣鷹から29年・・・今ごろフジが特集番組を放送、その真意は?

2014-08-11 22:23:16 | 鉄道・公共交通/安全問題
「ドーン、ドーン、ドーン」日航機墜落30年目に判明した爆発音 フジが特番(産経)

まぁ、報道しているのが産経だし、フジサンケイグループによる宣伝、煽りの可能性もある。もちろん、当時の技術では解析できなかったボイスレコーダーの音声がわかるようになることは大切だが、やはり30年近い年月の流れは大きく重い。ボイスレコーダーの解析が進んでも、それだけで「圧力隔壁破壊説」を覆せるようほどの新事実が出るとはとても思えない。私は一応、録画予約をしてはいるが、冷静に見ようと思っている。

123便のボイスレコーダーの音声は、事故から15年後の2000年に流出、TBSテレビの番組でダイジェスト版が流された。殺人罪の時効がちょうど成立する「15年」でボイスレコーダーの音声がテレビ放送されたことを不審に思う声は当時、あちこちで聞かれた。

850812JAL123便ボイスレコーダー


この音源は当時、放送されたものと思われるが、爆発音が2~3回聞こえたことは周知の事実である。「ドカン、ドカン」という爆発音が冒頭、2回聞こえるが、聞きようによっては「ドン」「ドン」「ドーン」と3回であるように聞こえなくもない。それを今さら「衝撃音が3回確認できた」「新事実」と言われても釈然としないものがある。

上の音声ファイルを聞く方は、2回(あるいは3回)とされる衝撃音の直後の会話に注目してほしい。「ブーブーブー」と警報が鳴り始めた後、「まずい」「なんかわかったの」という声が聞こえないだろうか。

1985年の事故当時、運輸省航空機事故調査委員会(現在の運輸安全委員会の前身)が公表したボイスレコーダーの筆記録では、この部分が「なんか爆発したぞ」となっていた。この部分が「なんかわかったの」「なんか爆発したぞ」のどちらなのかを巡っては、事故調委員の間でも論議を呼んだし世間の大きな関心も集めた。事故調の発表に対して、一部の委員から「衝撃音の正体が何か、コックピットでまだ何もわかっておらず、123便がスコーク77(非常事態)も宣言する前の段階でなぜ爆発とわかるのか」と疑問が出された。当時、国が描いたシナリオである圧力隔壁崩壊説へ“誘導”するためには、この部分がどうしても「爆発したぞ」でなければならない事情があった、とされ、一気に事故調報告改ざん疑惑が噴出したのがこの部分を巡ってであったことを考えると、当ブログはまずこの部分がどのように「解明」されるのかに注目している。

12日にこの番組を見る方は、この部分に最も注目してほしいと思う。番組を見て、何か思うところがあれば、明日以降また追記したい。

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8月10日の青森県沖の地震について

2014-08-10 21:02:17 | 気象・地震
平成26年8月10日12時43分頃の青森県東方沖の地震について(気象庁報道発表)

報道発表を見ると、M6.1と地震の規模はやや大きめ(それでも、日本周辺では2~3か月に1回は起きている程度)、緊急地震速報が発表されたが、震度5弱は青森県七戸町のみで意外に地表の揺れは大きくなかった印象がある。発震機構は西北西-東南東方向に圧力軸を持つ逆断層型。この方から見て北米プレート内部の地震と考えられる。気象庁も会見で言及したとおり、震源は東日本大震災の震源域からは北に外れており、これを3.11の余震とするには無理がありすぎる。全く新たな地震と見てよいだろう。

最近、青森県沖~北海道胆振・日高・十勝地方あたりが騒がしくなってきたような気がする。地震の頻度は明らかに増えてきたし、プレート境界より西側の北米プレート内部での地震が増えた。3.11の2~3年前頃から、今回と同じようなプレート内部の地震が東北地方で相次いだ時期もある。この規模の地震発生がなぜか週末に多いことも、3.11直前数年間の東北の状況を思い出させる。青森県東方沖から十勝地方沿岸付近を震源に、M7~8クラスの地震が遠くない将来、起きるのではないかという気がする。




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【コメント】東京電力旧経営陣3名への「起訴相当」議決を歓迎する~検察は直ちに再捜査し起訴を~

2014-08-01 22:46:24 | 原発問題/一般
当ブログ管理人も告訴人として加わっている「福島原発告訴団」の告訴・告発に関し、検察当局が政府・東電関係者らを不起訴にしたことに対する審査申立てについて、東京第5検察審査会が東京電力旧経営陣3人を「起訴すべき」と議決しました。この議決に対し、当ブログ管理人が以下のとおりコメントを発表しました。

なお、このコメントは私個人の立場で発表したものであり、福島原発告訴団としての公式のコメントではありませんので、ご承知ください。

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【コメント】東京電力旧経営陣3名への「起訴相当」議決を歓迎する~検察は直ちに再捜査し起訴を~

 福島原発事故に伴う避難区域住民の避難中の死亡や福島県内外における広範な放射能被ばく等の被害に関して行われた告訴・告発に対し、検察当局が不起訴としたことを受けて全国の被害者が申し立てていた審査申立てで、2014年7月31日、東京第5検察審査会は、申立てを受けた東京電力旧経営陣6名のうち、勝俣恒久元社長及び武藤栄、武黒一郎の両元副社長の3名を業務上過失致死傷罪で「起訴相当」とする議決を行った。この他、小森明生元常務を「不起訴不当」とする判断が示された。私たちの求めた6名全員に対する起訴相当の議決を得られなかったことは残念だが、この議決は告訴・告発以来2年あまりにわたって粘り強く続けられてきた市民による立証活動の巨大な成果であり、「誰も責任を取らないのが当たり前」だった悪しき日本からの脱却へ向けた一歩となるものだ。政府、検察、原子力ムラ一体となった妨害に屈することなく、この勇気ある議決を示した東京第5検察審査会とその審査委員、関係者に大きな敬意を表する。

 議決書は、市民感覚を反映し、市民にとって読解しやすい平明な表現で原発事故の本質に深く踏み込んだ。起訴相当となった3名の経営陣が地震と津波の可能性を予測させるに足る情報に接しながら、原発停止を恐れるあまり抜本的対策を行わなかった事実を浮かび上がらせた。同時に「安全に対するリスクが示されても、単なる数値と見るだけ」「何をするにも原発の稼働ありきを前提に動いている」として、「命よりカネ」の政府・東電・原子力ムラを断罪した。大飯原発運転差し止めを認めた福井地裁判決と併せ、刑事・民事の両面から原発ノーの意思表示だ。

 私たちは、先の福井地裁判決や今回の起訴相当議決の中に「市民による法の創造」意識の飛躍的前進を見ることができる。「整理解雇の4要件」のように、市民・労働者の圧倒的な闘いの力に押され、司法が立法機関に先駆けて政府や企業を縛る判例を積み上げながら、事実上の法規範として機能させてきた歴史もある。国会が悪法製造装置となり、国民のための立法機関としての役割を放棄した今、市民と司法が手を取り合い「命よりカネ」の大企業を判例法で縛っていく試みとしての意味においても、先の福井地裁判決や今回の起訴相当議決は輝く価値を持っている。成文法(文章に書き表された法)だけが法律ではないことを改めて確認しておきたい。

 私たち、福島原発告訴団に結集した告訴人は、無責任大国ニッポンに私たちの時代で終止符を打つ決意である。今後も引き続き東京地検に対し起訴を求め、検察が起訴しない場合は強制起訴を求めてあらゆる行動を強化する。

 2014年8月1日

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