季刊「旅と鉄道」誌(年4回発行)に、レイルウェイ・ライター種村直樹さんが連載している「汽車旅相談室」というコーナーがある。最新号(3月15日発売)の汽車旅相談室ではJRの運賃とキロ数に関する質問が取り上げられている。「JRの運賃に幹線、地方交通線があるのはなぜですか?」「営業キロ、換算キロ、擬制キロという用語はどのように違うのですか?」質問者は平成生まれの中学生。「国鉄を知らない鉄道ファン」世代だから、幹線と地方交通線の区別が生まれた国鉄再建法制定当時の事情など知るべくもないし、営業キロ、換算キロ、擬制キロの用語にしても、市販の時刻表にはこれらを使った運賃計算方法がただ載っているだけで、その語源や意味などは説明もされていないのだから戸惑うのも無理はない。
種村さんもこの質問に対して詳細な回答を行っており興味深いが、雑誌記事という関係上全文を引用することはできそうもない。とはいえ、JRの線路の長さがどのように決まり、どのように運用されているかはJRの営業政策の根幹に関わる問題でもあるから、きょうはその歴史も含め、一部種村さんとも違った視点から、JRの運賃とキロ数をめぐる話をしてみよう(以下、手元に時刻表を置き、確認しながら読んでいただくとより解りやすいと思う)。
そもそも、戦後「国民の国鉄」として日本国有鉄道が再出発した経緯から、国鉄の運賃には厳格なルールがあった。国鉄運賃の基準を定めた旧「国有鉄道運賃法」(現在は廃止)は、その第1条において「公正妥当なものであること」「原価を償うものであること」「産業の発達に資すること」「賃金及び物価の安定に寄与すること」という4原則を定め、運賃決定に際してはこの4原則に従うべきことを国鉄に対して求めている。このコラムは法令の逐条解説ではないから、この4原則にこれ以上深く立ち入ることは避けるが、ともかくも戦後の国鉄は「公正妥当の原則」に従い、距離の算定に当たっては実測キロ数によることが適当であるとして、頑ななまでに実キロ主義に拘った運用をしてきた。遠回りしていた幹線がトンネルによって短絡された場合、莫大な建設費をかけたにもかかわらず、距離が短くなったことを理由に運賃を値下げしてきたのが国鉄という官僚組織だったのである。
この時代、幹線と地方交通線の区別はまだなかった。国鉄の運賃計算はすこぶる簡単で、乗り継ぐ線区のキロ数を合計して運賃表に当てはめるのみ。足し算さえわかれば誰でも計算ができる、単純明快な運賃体系だったのだ。
しかし、1980年代に入ると、この単純明快な運賃体系に転機が訪れる。国鉄再建法の制定によって、1977年度の営業成績を基に全国の国鉄線を幹線、地方交通線、特定地方交通線(廃止対象線)に分類することが決められ、併せて収益性の悪い地方交通線・特定地方交通線に1割増の運賃を設けることになったからである。
当時の国鉄として、考えられる割増運賃の設定方法は2つあった。ひとつは地方交通線に割増した運賃表を設け、運賃表を2本立てとする方法である。この方法の長所は実キロ主義に基づいた運賃設定であること(この方法では、幹線と地方交通線の運賃の違いはキロあたり賃率の違いから生まれる)。欠点は幹線と地方交通線を乗り継ぐ場合の運賃計算方法が複雑化することだった。
もうひとつの方法は、運賃表を1つに固定し、地方交通線のキロ数を1割分「水増し」する方法だ。この方法は前者とは逆に運賃計算が楽である反面、実キロ主義から逸脱してしまうという問題点を抱えていた。
結局、国鉄は前者を採用、あくまでも実キロ主義に拘る道を選んだ。実はちょうどこの時期、国鉄をよりいっそう実キロ主義に傾斜させることになる、ある「事件」が起こるのだが、それは後述するとして、この結果、国鉄運賃は、わかりやすさの面からは明らかに後退した複雑なものとなったのである。
平成生まれの若き質問者が投げかけた2番目の疑問…「換算キロ」は、こうした背景から生まれてきた。幹線と地方交通線とで別々の運賃表を使うといっても、両者を乗り継いで運賃を通算する場合には結局、どちらか片方の運賃表に依拠するしかないから、全区間の合計キロ数を幹線の運賃表に当てはめ、地方交通線の区間だけ距離を1割増にする方法が採られることになった。この1割増のキロ数こそが「換算キロ」の正体である。
「擬制キロ」は、1996年、いわゆる「3島会社」(JR北海道・四国・九州)が本州3社と同一の運賃から離れ、割増運賃を導入したときに生まれた。このとき、JR北海道は国鉄時代の2本立て運賃表体制を維持したが、四国・九州の2社は、幹線と地方交通線の運賃表を一本化し、地方交通線の区間のみ乗車する場合でも常時、キロ数を1割増する「擬制キロ制」に転換したのである。擬制キロの数値それ自体は旧換算キロの数値と同じだから、利用者サイドからは一見、両者の間にたいした違いはないように見えるが、換算キロから擬制キロへの転換は、これら両社が事実上、実キロ主義を捨てたことを意味するわけで、重大な運賃政策の変更というべき出来事だったのである。
換算キロから擬制キロへの転換によって、グループ内の2社が実キロ主義を放棄したJRだが、それでもなお残り4社は実キロ主義に基づいた幹線・地方交通線の2本立て運賃表体制を維持している。頑ななまでに実キロ主義に拘ってきた旧国鉄を、利用者にとっての「わかりやすさ」を犠牲にしてまでよりいっそう頑なに実キロ主義へと追いやる原因となった1980年代初めの「事件」とはいったい何だったのだろうか?
実は、国鉄再建法制定の数年前、東海道新幹線の運賃をめぐってひとつの訴訟が起こされていた。新幹線の実測距離は並行在来線と比べて短く、東京~博多間ではその差はなんと100kmを超えるのだが、東海道新幹線が、もともと輸送力の限界に達した東海道本線の「複々線化」事業として建設された経緯から、国鉄は新幹線を「新たに増設された東海道本線の一部」と考え、なんのためらいもなく東海道本線のキロ数をそのまま当てはめて運用していたのだ。この点に着目した利用客が「実測距離の短い新幹線に、並行在来線のキロ数をそのまま当てはめるのはキロ数の勝手な水増しであり、実キロ主義に反し違法」だとして、国鉄に対し、取られ過ぎ運賃の差額返還を求めたのである。
この訴訟で、当時の東京地裁民事30部が利用客の訴えを認め、国鉄敗訴の判決を言い渡したことは国鉄に大きな衝撃を与えた。本当のことを言えば、当時の国有鉄道運賃法には、国鉄運賃が「公正妥当」でなければならないとは書かれていたが、実キロ主義によらなければならないとはひとことも書かれていなかったからだ。結局、運輸省・国鉄はこの問題を打開するため、国有鉄道運賃法の改正を決意した。そして、1978年の改正法に、新たにこのような条文が設けられたのである。その条文、国有鉄道運賃法第7条の2…
「営業キロは、運輸省令で定めるところにより、営業線の線路又は航路(以下「線路等」という。)における隣接する駅の区間ごとに、その距離を基礎として日本国有鉄道が定めるキロ数による。ただし、既設の線路等に接近し、又は並行して新設され、又は増設された線路等における隣接する駅の区間については、当該既設の線路等において相当する駅の区間がある場合には、その相当する駅の区間の距離を基礎として日本国有鉄道が運輸大臣の承認を受けて定めるキロ数によることができる。」…
改正法は、国鉄線の距離算定が原則として実キロ主義によらなければならないことを、「その距離を基礎として」という表現によって明確にした。一方で、一定の合理性がある場合に行政の認可を得ることによってそれ以外の方法を採ることをも同時に認めるものとなった。新幹線のキロ数水増しはこの改正によって「追認」され、これ以降、一部の区間で営業キロ数の設定されていない貨物線等を経由する列車についてもキロ数を設定する根拠が与えられ、現在に至っている。
ひとくちに鉄道の線路の長さといってもこれだけ複雑な歴史がある。国鉄を知らない「平成っ子鉄道ファン」の素朴な疑問が、私にこの文章を書かせるきっかけとなった。自分たちにとって当たり前のことでも、若い目、成長途上の小さな目で見て不思議に思うことは多い。いろいろな歴史的経緯や各社ごとの「お家の事情」を抱え、極端に複雑化したJRの運賃制度は明らかな曲がり角に来ている。今こそ、利用客本位のわかりやすい運賃体系への見直しが急務ではないだろうか。
(2004/3/24・特急たから)