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倶知安町・文字一志町長への辞任勧告

2024-11-29 22:34:15 | 鉄道・公共交通/交通政策
倶知安町長の最近の態度には腹が立ち、もはや我慢も限界だ。以下の文章は知人に書き送ったものである。以下の2つの理由により、私は倶知安町長に「辞職勧告」する。
 
理由1:函館本線(小樽~余市~長万部)のバス転換が不可能とわかっているのに、倶知安町長だけ頑なに「廃線バス転換」を変えないこと
 
北海道新幹線札幌延伸は、建設主体の鉄道・運輸機構ですら「2030年開業は不可能」と白旗を揚げている。2035年に開業できるかどうかも厳しく「2040年くらいになるんじゃないの?」と冗談のつもりで言っていたのが本当になりそうな状況だ。私の生きているうちに札幌開業を見られるかどうかすら怪しくなっている(ついでに言えば、リニア中央新幹線も、北陸新幹線の敦賀から先=関西までの延伸も総崩れ状態で、下手をすると、新幹線の路線図が現在(2024年)から私の生きているうちはまったく変わらないままの可能性すら出てきた)。
 
バス転換協議会にバス会社を呼ぶという基本的なことすらしないまま勝手に転換を決めた道庁に、北海道中央バスなど転換バスを押しつけられる予定のバス会社が猛反発し「既存の路線を維持するだけでも精一杯。どんどん運転手が辞めているのに函館本線の転換バスなど出せない」という状況だ。こうした状況を知って、沿線自治体はバス転換協議を中断。余市町の斉藤啓輔町長に至っては「このままならバス転換協議からは離脱する」とまで言っている。
 
こうした状況なのに、1人で函館本線の廃線バス転換の旗を下ろさないのが倶知安町の文字町長である。「新幹線倶知安駅を建設するのに既存の在来線駅が邪魔だから」という身勝手きわまりない理由だ。
 
しかも、倶知安町ホームページ「町長室」に、文字氏はこのように書いている。『我が町に「比羅夫」という字名、JRの駅名がありますが、実は阿倍比羅夫の蝦夷遠征伝説に由来するものです。』
 
町内にあるJRの駅名をさんざん観光アピールに使っておきながら、代替交通機関の協議もできない状態なのに廃線を主張する。ご都合主義にもほどがある。
 
理由2:道が2026年度から導入予定の「観光税」にも倶知安町だけが反対している
 
道新の最近の報道によると、道は2026年度から「観光税」を導入するため、道議会に関連条例を提出するという。ホテルの宿泊料金に課税し、それを予算の穴埋めに使う。観光税については賛否両論あると思うが、私は、道民と違って住民税を落としてくれるわけでもなく、北海道に数日間来て「いいとこ取り」だけして帰って行く観光客にも応分の負担を求めることは、道民合意の上であれば、観光地の自治体として1つのアイデアだと考える。
 
倶知安町は、道に先行してすでに観光税を導入しているが、定率制(ホテル代×○%という方式)だ。これに対し、道の観光税は定額制(一律○円方式)を予定しており、二重課税になる上、定率制と定額制が混在するのは観光施設が混乱するというのが反対理由である。
 
自分たちが道より先に観光税を導入した倶知安町としては「時代を読む目があった」との自負もあろう。道が似たような税制を導入するなら、それに一本化するのも1つの手法だと思う。倶知安町は「二重課税になる上、定率制と定額制が混在するのは観光施設が混乱する」を表向きの反対理由にしているが、「先に制度を作った私たちがなぜ後発の道庁ごときに手柄も税収も横取りされなければならないのか」が隠れた本音であることは容易に想像できる。
 
道新の報道によれば、道内ホテル宿泊者の25%(4人に1人)が「観光税を道内交通の整備に使ってほしい」と回答している。ホテルや観光施設がピカピカに整備されても「そこに行くまでの足がない」道内の貧弱な交通事情が「よそ者」ゆえに道民よりもよく見えているのだと思う。道外からの観光客がそのように思っているのであれば、それこそJR北海道が白旗を揚げかけている鉄道の維持強化に観光税を使えばいい。
 
●「全体の奉仕者」公務員のあるべき姿とは
 
古い話になるが、私は2008年、新潟県十日町市を訪れたことがある。JR東日本は、十日町市内の信濃川に自前のダムを持っており、首都圏の電車を動かすための電力の一部を水力発電で賄っている。そこで2008年頃から、信濃川がほとんど涸れてしまうという出来事が起きた。
 
原因はJR東日本による超過取水だった。国交省から許可されているよりはるかに多くの水を信濃川から取ったため、涸れるはずのない「日本一の大河」が涸れてしまったのだ。しかもJR東日本は、国交省から許可された範囲の量しか取水していないように装うため、水量計が許可された数値を超えないように「改ざん」まで行っていた。このことが発覚し、JR東日本は国交省北陸地方整備局から「取水禁止」の処分を受ける。
 
東京で、「不当解雇の国鉄労働者1047名」の支援をしていた労働組合・市民の間で「JR東日本許すまじ」の声が高まり、JR東日本が不正取水をした現場を見に行こうとツアーが組まれた。十日町市を訪れたのはこれがきっかけだ。訪問当日、十日町市役所幹部との懇談がセッティングされた。
 
東京から「どんな過激な活動家が押しかけてくるのか」と身構えているのではないかと思っていた私たちの心配は杞憂に終わった。応対してくれた十日町市役所総務課課長補佐・G氏の言葉を、私は今も忘れない。
 
「JRがそんなファッショ的な体質だとは思っていませんでした。そのような事実があるなら、正していかなければなりません。私は、十日町市役所で働く公務員ですが、自分の市とその市民だけが幸せになればいいとは思っていません。市内にダムがあることを誇りに思っており、首都圏のみなさんの交通機関のために電力を供給していくこと、それを通じて我が市だけでなく、東京のみなさんに幸せになっていただくことも、十日町市役所職員として当然の責務だと思っています」
 
私は、「国民全体の奉仕者」のひとつの理想をG氏の姿勢の中に見た。公務員かくあるべしと思った。「自分の町さえ良ければそれでいい」「自分に投票してくれる支持者の声さえ聴いていればいい」という首長・役人ばかりのこのご時世にあって、「自分に投票しなかった住民を含め全体を代表し、全体の利益のために行動する」--これこそが国民全体の奉仕者、"Public Servant"でなければならない。
 
●翻って、倶知安町長は……?
 
この高潔なG氏の姿勢と比べて、倶知安町長はどうだろうか。「新幹線の駅を作るのに在来線の駅が邪魔だから函館本線など廃線でいい。他の町やその住民がどうなろうが知ったことではない」「先に観光税制度を作ったのは我々なのに、なぜ後発の道庁ごときに手柄も税収も横取りされなければならないのか」--倶知安町長の姿勢からは全体の奉仕者としての姿勢がかけらも感じられない。自分さえ良ければいい、他の町のことなど知ったことではないという態度むき出しで、およそ「公僕」にはふさわしくない。
 
以上の理由から、私は倶知安町長、文字一志氏に対し辞任を求める。

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裏金問題と生活苦が招いた自公政権への「審判」 「宙吊り議会」の下で私たちはどう闘うべきか

2024-11-26 22:33:36 | その他社会・時事

(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2024年12月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 第50回衆院総選挙(10月15日公示、10月27日投票)は、その名が示すとおり「50回の節目」にふさわしい結果となった。結論から先に言えば、ひとつの時代の区切りになりそうな気配を漂わせている。

 ●過去、最も出足が鈍かった期日前投票

 今回の総選挙で「大乱の予感」を抱かせる最初の兆候は、公示6日目の10月21日に総務省が行った発表にすでに現れていた。公示翌日(10月16日)~10月20日までの最初の5日間で、有権者の4.48%に当たる計467万1503人が期日前投票を終えたというものだった。発表自体は平凡なものだが、前回、2021年衆院選の同時期には566万6485人が期日前投票を終えており、それとの比較で見ると約100万人、率にして17.56%もの減少である。

 期日前投票制度は、2003年の公選法改正で導入され、2004年参院選から実施された。「期日前投票制度と投票率」(松林哲也、「選挙研究」33巻2号掲載)によれば、期日前投票利用者は右肩上がりで推移してきた。「よくわかる投票率」(総務省選挙部発行)16ページ掲載資料「9 期日前投票及び不在者投票の状況」によれば、2021(令和3)年総選挙では期日前投票率が減少に転じている。

 公示から5日以内という早い時期に投票に行くのは、日頃から投票先が決まっている人が多い。支持政党がある人である。特定政党の強固な支持者か、そうでなければいわゆる「組織票」だ。業界団体、労働組合、宗教関係など公示前から投票先が決まっている人たちがこれに当たる。

 この組織票が多いのが、組織が強固で結党からの歴史も長い自民党、共産党、公明党であることも、これまでの研究でわかっている。ちなみに、結党は共産党が1922年、自民党が1955年、そして公明党の前身に当たる公明政治連盟が1961年。現在、日本で歴史の長い方からトップ3の政党である。

 前回比で、期日前投票の6分の1に当たる票数が、今回、公示後5日目までの早い段階では動かなかったことを意味する。どのセクターの票が動かなかったのかは別途、詳細な検証が必要だと思うが、さしあたり、次の程度のことは言及しても差し支えないだろう。

 自民党から仕事をもらっている、いわゆる業界団体票はそれなりに動いていたと考えられる。仮にここが動いていなかったとすれば、減少幅100万人、17%はあまりに少なすぎるからである。裏金問題や、長引く物価高、生活苦に不満はあるが、背に腹は替えられない人たちだろう。

 共産党と一心同体の関係にある「民主団体」も、高齢化著しいものの、やはり動いていたと考えられる。そもそも前回総選挙と比べても、動かない理由がないからだ。共産党の支持率から考えると、ここが動いていないとした場合、100万人、17%は逆に減りすぎであり、これを減少の根拠とするなら、他の要因も併せて示す必要がある。

 当てはまらないものを消していくと、最後まで消えずに残るものがある。ずばり「宗教票」である。ここが初動段階で動かなかったのではないかというのが私の推測だ。

 旧統一教会は、この間さんざん集中砲火を浴びたあげく、宗教法人としての解散命令請求を国に申し立てられた。創価学会は、池田大作名誉会長の死去後に迎える初の国政選だった。そして保守票を取りまとめてきた「幸福の科学」にとっても大川隆法総裁が死去して初の国政選だった。ここまで、政治活動を積極的に行ってきた各宗教勢力が、揃いもそろってかつてのような動きができない状況に置かれていたのである。

 もし、私のこの見立てが正しいなら、宗教票の17%もの極端な減少が自公両党を直撃したことは想像に難くない。2012年に民主党・野田佳彦政権を倒して政権復帰した安倍内閣以降、盤石だと思っていた自公両党体制が、まさかこんなところから崩れることになるとは夢にも思っていなかった。安倍晋三元首相殺害事件が影響していることはもちろんである。

 ●組織型政党の退潮に見られる日本の選挙の転機

 選挙結果は「大乱の予感」の通りとなった。自公両党は公示前の計279議席から大きく減らし、過半数(233議席)を大きく割り込む215議席。選挙前から比べ、両党で実に64議席も減らした。

 自民党の獲得票数は1458万票で、前回総選挙の1991万票から533万票(26%)も減らした。前回、自民党に投票した有権者4人に1人が離反したことになる。月刊誌「文藝春秋」は総選挙特集号の記事に「自民党壊滅」との見出しを掲げたが、実際の議席数の減少幅以上に、この票の減り方を見れば決して誇大表現ではない。

 公明党も596万票で前回衆院選(711万票)から114万票も減らした。この得票数は1996年に現行制度(小選挙区比例代表並立制)による総選挙が始まって以降、公明党として最低の得票数となった。公示後5日目の時点で100万票も減った組織票の正体が宗教票ではないかという私の推測が、ある程度裏付けられたと思っている。

 自公両党では647万票もの大幅減少となった。自民党が強いことは確かだが、議席数の推移で見ると、291議席(2014年総選挙)→284議席(2017年総選挙、7議席減)→261議席(2021年総選挙、23議席減)→191議席(今回、70議席減)と着実に減らしている。安倍政権下で頂点に立った2014年総選挙から、10年でちょうど100議席減らしたことになる。

 組織として弱体化が着実に進行している。党員・党友の高齢化に加え、業界団体が票を取りまとめるのも難しくなってきている。宗教票については前述したが、創価学会員の2世、3世には学会に加入しない人も多いという。「幸福の科学」も大川総裁死去後、政治活動を継続するかどうか以前の問題として、後継者すら決められないでいる。宗教法人として岐路に立たされていると見るべきだろう。

 維新の後退については説明を要しない。覇権を握る大阪で、万博誘致をめぐってあらゆる失態が明らかになっているからである。万博後に予定されるIR(統合型リゾート=カジノ)誘致は、目的地・夢洲の悪条件で応募する事業者があるかどうかも不透明になっている。こんな状況で今まで「1強」状態を続けてこられたことのほうがむしろ異常というべきだ。

 日本共産党も得票数を減らし、改選前10議席から8議席へまさかの後退となったが、これについては後述する。

 これら後退した政党には一見すると共通点がないように見えるが、有権者から「上からの締め付け」「上意下達」のイメージで見られているという共通点がある(実際の姿がどうあれ、組織外部の一般市民からどのように見られているかというイメージ上の問題である)。この意味では、党首公選制を求めた党員に対する日本共産党の除名・除籍処分は、明らかにマイナスになっている。「下級は上級に従う」という従来型組織論が市民の明らかな拒絶に遭い、曲がり角に来ていることは明らかだ。

 これら組織型政党とは逆に、結党から日が浅く、従来は「ガバナンス(統治)不在」「党内がバラバラ」「浮動票頼み」などとマイナス評価を受けることの多かった立憲民主党、国民民主党、れいわ新選組などの諸政党が大きく議席を伸ばした。

 ただ、その内実を見ると、立憲民主党とそれ以外の政党には大きな違いがある。立憲民主党は148議席を獲得し、公示前に比べて50議席上積みした。今回総選挙最大の勝者であることは事実だが、比例区における得票数は1156万票で、前回衆院選の1149万票からわずか7万票(0.6%)増やしたに過ぎない。統計学上は誤差の範囲とされ「横ばい」と結論づけられても仕方ないだろう。

 自公両党が大幅に得票数を減らしたために、相対的に立憲民主党候補が1位となる小選挙区が多かったことに加え、全国政党化を目指して、維新が関西以外の多くの小選挙区で候補者を擁立したことも隠れた影響として見逃すことができない。自公と維新の候補の得票を合計すると立憲候補の得票を上回っていた選挙区が多かったのである。

 さらに、自民党が、安倍政権成立以降、最大勢力にして「岩盤保守層」の求心力となってきた清和会(旧安倍派)切り捨てに動いたことに反発した作家・百田尚樹氏らの勢力が「日本保守党」を結成し候補者を擁立したこと、コロナワクチン強制接種に反対して結成された参政党が本格参加する初の衆院選だったことも立憲民主党にとって追い風になった。前回衆院選では、300小選挙区のほとんどで成立していた野党共闘が解体し、ごくわずかの小選挙区でしか実現しなかったにもかかわらず、立憲民主党は、従来であれば自民党が独占していた保守票の「四分五裂」に助けられ大勝したのである。「自分たちの政策が評価されたわけでも、実力による勝利でもない」とした立憲民主党の選挙総括は、その意味では正しい。

 もうひとつ指摘しておきたいことがある。組織型政党の退潮は、議席数減少という形での表面化はしていなかったものの、得票数の減少という意味ではここ10年来のトレンドだった。それが、前回総選挙あたりから議席数減少に直結する形で顕在化してきたことである。

 企業や商店街、地元の祭りなどをこまめに回り、有権者と顔を合わせ、会話を交わし、握手して1票1票獲得していく「どぶ板」選挙は、組織型政党が得意とする選挙戦術である。前回総選挙はコロナ禍の2021年に行われたが、緊急事態宣言や「まん延防止等重点措置」が採られて人と人との接触が制限された「空白の3年間」が、このような組織型政党に大きな打撃を与えたであろうことは想像に難くない。

 一方、コロナ禍で対面による選挙運動が思うようにできず、苦しむ組織型政党をしり目にこの間、急伸してきたのがネット選挙運動に長けた政党である。この類型に当てはまる政党として、保守陣営では日本保守党、参政党、そして今回、議席数を4倍に増やした国民民主党も挙げておくべきだろう。対して、リベラル陣営でこの類型に明らかに該当すると認められるのは、れいわ新選組だけである。

 コロナ禍は、従来型選挙運動のあり方にも大きな変化をもたらした。一方で、ネットとの親和性の高い保守陣営が総じて健闘しているのに対し、それとの親和性の低いリベラル陣営が打撃を受け後退していることは憂慮すべき事態と言わなければならない。

 ●日本共産党の後退原因は?

 自民党が「裏金」(政治資金収支報告書へのパーティー収入不記載)問題に関与したため公認しなかった結果、無所属での出馬を余儀なくされた議員が支部長を務める選挙区支部に対しても、公認議員が支部長となっている各選挙区自民党支部に対するものと同じ2千万円の資金を交付していたことを、総選挙期間中に日本共産党機関紙「しんぶん赤旗」が報じた。選挙期間中にもかかわらず、この報道にマスメディアも追随したことは選挙戦最終盤で情勢に大きな転換をもたらした。もともと不利な状況だった自公与党に大打撃となったことは想像に難くない。

 だが、こうした「華々しい戦果」にもかかわらず、日本共産党は前述の通り得票数、議席数とも減らした。とりわけ得票数は、前回総選挙の416万票から336万票へ、80万票もの大幅な減少だった。

 組織型政党が総じて退潮傾向にあることは前述したとおりだが、日本共産党には自民、公明、維新と1つだけ異なる点がある。自公は中央で与党、維新は中央では野党だが、大阪では圧倒的な与党であるのに対し、日本共産党は中央でも地方でも野党であることだ。自公維3党の退潮は「政権運営実績」でマイナス評価を受けたことも理由であり、特に自公両党はそれだけが敗因であると断言してもいい。だとすると、政権運営実績でマイナス評価を受けることのない日本共産党の後退の理由は別にあるということになる。

 これについても、当てはまらないものを消していくと、最後まで消えずに残るものがある。京都の古参党員・松竹伸幸氏による党首公選制要求に端を発する「除名問題」である。

 選挙直前の8月には、同じく党首公選制を求めた古参党員・神谷貴行氏が、所属する党福岡県委員会から除籍され、専従職員としても解雇されるという出来事もあった。神谷氏は、党首公選制要求後の2023年5月に自宅待機を命じられるまで、党福岡市議会議員団事務局長の要職にあり、みずからも2018年の福岡市長選に党公認で出馬経験を持つ。

 「今日はご飯を食べましたか」という質問が、食事をしたかという意味であるのに対し、実際はパンを食べているのに「米飯」を食べていないことをもって「食べていない」と回答する安倍元首相や閣僚らの不誠実な答弁を「ご飯論法」と名付けたことで、2018年の「新語大賞2018次点」「新語・流行語大賞トップテン」を、上西充子法政大教授と共同受賞した人物でもある。漫画を含む読書が趣味であり、「紙屋高雪」のペンネームで執筆してきたブログ「紙屋研究所」は現役日本共産党員が運営する漫画評・書評ブログとしては異例の人気を誇ってきた。ここで「漫画などにおける性的表現を規制すべき」とする日本共産党中央の方針に異を唱えたことも除籍の背景にあるかもしれない。

 いずれにしても、こうした党の姿勢が有権者の不評を買い大幅な得票減につながった可能性がある。ただ、「永遠の政権政党」自民党に鉄槌を加えたいときに、有権者がその最も効果的な方法として野党第1党に批判票を集中させる投票行動は、55年体制当時からしばしば見られた。この「自民党政権批判票の野党第1党への集中」のあおりを日本共産党が受けることも、55年体制当時にはよく見られる現象であった。

 今回の日本共産党の後退が「党内民主主義の欠如」によるものか、「自民党政権批判票の立憲1極集中」のあおりによるものかは、次回参院選などを通じてもう少し推移を見る必要がある。ただ、私は現在のところ前者の見方に傾いている。立憲民主党の得票数が前回衆院選から誤差の範囲(7万票)でしか増えていないことはすでに指摘したとおりであり、自民党批判票が共産党から転移したと見るにはあまりに少なすぎるからである。むしろ、日本共産党の強権体質を嫌った有権者が、共産党かられいわ新選組に流れたとする評価のほうに納得感がある。

 実際、「共産党はもう支える価値もない。投票先を今回かられいわに変えました」という声は、多くはないが私の耳にも届いている。日本共産党に対して、党員除名・除籍問題への有権者の批判の声を軽視しないほうがいいと、私はあえて忠告しておきたい。

 ●自民1強体制の終わり?~今後の闘いは

 安倍政権成立後、12年間続いた「自民1強」は、インフレ→物価高→生活苦→裏金問題への怒り→保守票の「自民以外への流出」という意外な形で今回、終わりを告げた。今回の選挙は、10年後に振り返ったときに「いま思えば、あれが自民1強体制の終わりの始まりだった」と総括されることになるかもしれない。

 従来は「保守層たるもの、自民党支持であるべきだ」と思われてきたが、それが大都市住民には見えない形で地方から崩れてきていることは、私にはすでに見えていた。地方選挙、とりわけ地方の自治体首長選挙の多くが近年、保守分裂選挙となっていることにそれが端的に表れている。自民党が弱体化によって地方の保守層をまとめきれなくなっており、地方選挙が次々と保守分裂に陥っていた流れが、今回、ついに中央に波及してきたと評価することもできる。

 衆院で過半数割れし、少数与党となった自公両党は一部野党の抱き込みを狙うが、来年夏に参院選を控えているという事情もあり難しそうだ。下手に連立政権の一員となることで、落ち目の自公政権の補完勢力と見られれば、自公両党とともに「政権運営評価」に巻き込まれ、参院選後に空中分解しかねない。

 どの勢力も過半数を取れない議会構成は、英国ではしばしば出現しており「ハング・パーラメント」(宙吊り議会)と呼ばれる。1955年の保守合同で自民党が結党して以降、自民党政権下では初めて出現した事態である。2000年代終盤、福田康夫~麻生太郎政権当時にも、衆参で多数派が異なる「ねじれ国会」が出現したことがあるが、このとき与党少数となったのは内閣不信任権を持たない参院だった。

 内閣不信任権を持つ衆院で与党が少数になったことが持つインパクトは当時の比ではなく、石破政権は、歴代自民党政権の中で最も困難な「茨の道」を歩むことになる。国会開会中は常に内閣不信任案可決の危機にさらされ、「自分の内閣は今日で終わりかもしれない」と思いながら、薄氷状態で政権運営を続けなければならないという経験を、歴代自民党総裁の誰ひとりとしてしたことがないからである。

 政権交代が実現しなかったからといって悲観する必要はない。少数与党のため、予算案、法律案、条約承認案をはじめ、衆参両院で可決されることが必要な「国会同意人事」(日銀総裁、会計検査院検査官など)に至るまで、あらゆる議案が与党だけでは成立しない。福田、麻生政権当時は参院が与党少数、衆院は与党多数(しかも3分の2以上)だったため、首相指名、予算、条約は「衆院の優越」により衆院で可決すれば自然成立が可能だった。参院が否決した法案を、3分の2以上による衆院での再可決で成立させることもできた。しかし、今回は「優越的地位」にある衆院が少数与党となった。首相指名、予算案、条約案もすべて野党の協力を得る必要がある。参院先議で可決し、衆院に送られた後に否決された法案は、そのまま廃案となり再可決もできない。

 自民党が従来、過剰ともいえるほどの「政権担当能力」神話の下に、優位政党の立場を維持できたのは、ひとえに優越的地位にある衆院での安定多数によるものであった。その最大の拠り所を失った今、自民党の「政権担当能力」神話が崩壊するのは時間の問題だろう。来年7月の参院選でも自公が半数を大きく割ることになれば、「部分連合」で協力していた国民民主党が自公から離れ、政権交代も視野に入る。その先にはこれまで自民党の妨害で進まなかった政策(「選択的」夫婦別姓や同性婚の法制化など)の実現にも大きく道が開かれる。

 本誌読者のみなさんには、これから数年間の政治状況は過去十数年間とは根本的に異なることを念頭に置いていただきたいと思う。これまでの十数年は、自公の安定多数の下で、私たちの要求が政治の場に届くことは基本的になかった。「どうせ何を言っても自公は聞く耳など持たないのだから、自分たちにとって納得感のあるやり方で進める」という方針で動いてきた市民運動も多いと思う。だが、こうしたスタイルでは、自分たちの要求が政治の場に届く可能性がある十数年ぶりのチャンスを逃すことになりかねない。

 この機会に、自分たちの政治的要求を、(1)最優先で実現すべきもの/最大多数の合意形成ができそうなもの、(2)譲歩せず原則を貫くべきもの/合意形成が困難なもの――に仕分けし、柔軟に対応する必要がある。さしあたり、(1)の典型が選択的夫婦別姓であり、「自民党とその支持者以外全員」の合意を速やかに取り付け、この機会に突破すべきである。選択的夫婦別姓や同性婚の実現には、政府としても新たな予算をほとんど必要としないにもかかわらず(必要なのは婚姻届を受理する自治体窓口のシステム改修費程度)、社会全体の雰囲気を一変させる効果を持つ。「自公を少数に追い込むだけで、こんなに社会のムードを変えられる」という成功体験を市民と野党で共有できれば、それはより困難な他の政策を実現していく上での第一歩となる。

 (2)の典型は外交・安保や原発などのエネルギー問題であり、引き続き運動を軸にして、ぶれずに粘り強く取り組むべきである。

 私としては、自公の反対で諦めていたこれら政策の実現のため、来年の参院選までに、(1)小選挙区制廃止のための「公選法改正法案」 (2)原発事故などの企業犯罪を効果的に罰することができるようにするための「企業犯罪処罰法案」 (3)「選択的」夫婦別姓や同性婚の法制化のための「民法、戸籍法改正案」 (4)JR再国有化法案 (5)脱原発法案――の準備を進めるつもりである。これらを実現するため、本誌読者諸氏にもぜひご協力をいただきたいと思う。

(2024年11月25日)


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<地方交通に未来を(19)>有意義だったJR北海道「運賃改定公聴会」

2024-11-16 23:20:25 | 鉄道・公共交通/交通政策

(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 9月3日、札幌で開かれた「北海道旅客鉄道株式会社からの鉄道の旅客運賃の上限変更認可申請事案に関する公聴会」(運輸審議会主催)に出席して意見公述した。

 運輸審議会は、国土交通大臣の諮問機関として、公共交通をめぐる重要政策について答申を行う権限を持っており、運賃改定などの重要事項は必ず運輸審議会の審議に付さなければならない。厳密に言うと、現在の制度では運賃改定のたびに認可を受ける必要はなく、値上げの「上限額」についてあらかじめ認可を受けておけば、上限の範囲で運賃を改定するときは国交省への届出のみ。改定したい運賃がこの上限を超えるときに限り、新しい運賃の「上限」を決め、認可を受け直す制度になっている。上限運賃制またはプライス・キャップ制と呼ばれるもので、鉄道には1999年から導入されている。

 意見公述したい人はみずから応募し、その中から運輸審議会が公述人を選定する。とはいえ、ふるいにかけられるのは応募者が10人を超えた場合に限られ、それ以下の場合、応募者全員が公述人になれる。今回は私を含め4人が応募。運賃改定に賛成が1人、反対が私を含む3人という構成だった。公述人1人当たりの持ち時間は15分だ。制限時間を超えないようにしてほしいという要請はあるが、広く世間一般の意見を聴くための公聴会という建前上、公述内容について運輸審議会としては一切、制限をしないことになっている。 私は、2019年に運賃改定をしたばかりのJR北海道が、コロナ禍という特殊事情があったとはいえ、わずか5年で再び運賃改定をせざるを得ない事態に疑問と怒りを抱いていたので、早速応募した。

 当日は、(1)通学定期の1割近い値上げは、最も弱い立場の子どもたちに過大な負担を強いる、(2)島田修社長(当時)が5年前の運賃値上げの際の公聴会で「通学定期の割引率(5割)を維持するので運賃改定の認可をお願いしたい」と発言し、これを条件に認可されたにもかかわらず、今回、通学定期の割引率圧縮に踏み切ることは5年前の約束を覆すことになる――として反対を表明した。

 前々号(40号)掲載の本コラム「国鉄末期に似てきたJR~断末魔が聞こえる」でも触れたように、JR北海道はこの間、路線や駅の廃止ばかり進め、道内特急列車の全席指定席化の一方で、みどりの窓口も削減し、使い勝手の悪い「えきねっとトクだ値」サービスへ強引に誘導するなど、急坂を転がり落ちるようにサービスを低下させてきた。

 とりわけ全席指定席化によって、まずまずの乗車率だった特急「すずらん」(札幌~室蘭)はガラガラの「空気輸送」状態に追い込まれた。明らかな失敗であるにもかかわらず、JR北海道はその現実を直視せず、綿貫泰之社長が記者会見で「安くご利用というニーズが強いのであれば、特急でなくてもいい」と不用意に発言した結果、道内メディアを中心に、すずらんの「快速格下げも」と報道されるなど、騒ぎがさらに広がった。

 こうした一連の事態に対し『すべてが行き当たりばったりのその場しのぎです。JR北海道が鉄道会社として、自分たちの鉄道事業をどうしたいのかという将来展望もビジョンもまったく見えず、これでは会社の将来を悲観して多くの社員が辞めていくのももっともだと思います。綿貫社長就任からわずか2年なのに、これだけ短期間に失態が続いているのは、島田会長-綿貫社長体制が経営能力を欠いていることの最も象徴的な現れです。私は、サービス低下と負担を一方的に押しつけられる全道民・利用者を代表して、島田会長と綿貫社長に対し、今すぐこの場で出処進退を明らかにするよう望みます』と公述した。

 運輸審議会主催の公聴会で運賃改定が審議される際には、それを申請した鉄道事業者のトップが申請内容を説明するため出席することになっている。つまり、綿貫社長本人が出席している目の前での「退場宣告」ということになる。この過激なパフォーマンスは、JR北海道問題にマスコミの目を引きつけるために仕組んだ「作戦」だった。

 インパクトは大きかった。ただ、反応は大手マスコミではなく別の所から現れた。運輸審議会ホームページで、公述人決定とともに公述書の内容が公表された直後の8月21日、「JR北海道の島田会長・綿貫社長の辞任要求へ!国交省主催の公聴会で異例の展開へ」という動画がYoutubeで何の前触れもなく公開された。JR北海道問題に特化した内容で最近注目度がアップし、アクセスも稼いでいる「鉄道大好きチャンネル」だった。

 安全問題研究会のホームページ上で意見公述内容を公表するのは公聴会終了後にしようと考えていた私にとって完全な不意打ちだった。事ここに至った以上、事前公表やむなしと判断。公聴会で意見公述することを、安全問題研究会ブログで事前公表した。

 「鉄道大好きチャンネル」の動画に対して書き込まれたコメントを見る限り、公述内容は高い評価を得た。道民生活に大きな影響を与える定期運賃値上げなど、まず身近な話題から入り、共感を得た上で、国鉄分割民営化など「大文字の問題」へ昇っていく――国の政策批判に当たって、これが最も有効な手法であることは、すでに私自身が何度も行ってきた講演などを通じて証明されている。

 大手マスコミで「会長・社長に辞任要求が出された」ことを伝えたところは、地元紙・北海道新聞を含め皆無だった。それでも私たちの主張は大きく報道された。4人の公述人のうち唯一、賛成を表明した人も「えきねっとの改善」「特急すずらんへのテコ入れ」「北海道新幹線札幌延伸に伴って予定されている函館本線(小樽~長万部、通称「山線」)廃止の再検討」を求めるなど、内容は反対の3人とほとんど変わらないほど厳しいものだった。「サービスを低下させておいて値上げは容認できない」と考えるか、「これ以上のサービス低下は到底容認できないので、運賃改定による増収分をサービス改善に充てることを条件に賛成」と考えるかの違いに過ぎず、その差は紙一重だったといえよう。

 運輸審議会は10月4日、JR北海道が申請した運賃上限改定を「申請通り実施すべき」と答申した。公聴会など茶番に過ぎず意味がないという「雑音」も私の耳には聞こえているが、そのような国民の無気力な姿勢こそが自民「長期一党独裁」を招いたのだ。

 有権者がきちんと怒れば政治は変えられることが、図らずも今回の衆院選で証明された。野党が多数となった衆議院で何をすべきか。私は、JR6社分割体制を抜本的に改める法案を2種類用意し、これから政党・議員対策に全力をあげたいと考えている。ただし、本当の意味での勝負は、おそらく来年7月の参院選以降になると思う。

(2024年11月15日)

JR北海道の島田会長・綿貫社長の辞任要求へ!国交省主催の公聴会で異例の展開へ・・・一連のJR北海道の経営姿勢に疑問の声が続々!


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【転載記事】米大統領選 ドナルド・トランプ氏勝利/カマラ・ハリス候補敗北を受けたバーニー・サンダース上院議員声明

2024-11-10 13:21:57 | その他社会・時事

米大統領選は、共和党ドナルド・トランプ候補が民主党カマラ・ハリス候補に勝利した。開票が始まった11月6日(日本時間)のうちに結果が決まる圧勝だった。元大統領の返り咲きは132年ぶりという。

私には、この大統領選はトランプ候補の勝利というよりは、民主党バイデン政権とハリス候補の「自滅」だとの思いが強い。ハリス候補の演説や言動には中身がなく、共和党やトランプ候補への批判ばかりで、米国をどうしていきたいかのスタンスが最後まで見えなかった。

何よりも、ウクライナ、ガザの2つの戦争を終わらせる気がないどころか、無抵抗の市民を一方的に虐殺し続けるイスラエル・ネタニヤフ政権にべったりで、パレスチナ・アラブ系有権者・党員から厳しい批判を受けていたにもかかわらず、イスラエル支持の姿勢を変えなかったことは犯罪と言っていい。普段からマルクス主義者を自認している私ですら、「私が大統領に返り咲いたら、ウクライナ戦争を1週間で終わらせる」と言っているだけ、トランプ候補のほうがマシだと思うほど、ハリス候補の2つの戦争への無自覚ぶりは酷すぎたからだ。

途中までバイデン大統領が再選するつもりで予備選が終わった後、高齢批判を受けてバイデン氏が選挙戦から撤退するという経緯もあった。予備選を経ないまま大統領選に臨むことになったハリス候補を、民主党員たちが本気で応援したいと思っていたかも、最後までわからないままだった。

そんな中、米民主党内でも最左派党員集団、DSA(米国民主主義的社会主義者)に所属するバーニー・サンダース上院議員が、大統領選敗北を受けて出した声明を入手した。知人が機械翻訳(Deeple)にかけたものに若干の補整を加えたものだ。事態の本質をよく表した声明なので、全文をご紹介する。(関連記事:「労働者階級を見捨てた民主党」 サンダース氏が批判、党内に波紋(2024.11.8「毎日新聞」)

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2024年大統領選挙の結果に関するサンダースの声明

労働者階級の人びとを見捨てた民主党が労働者階級から見捨てられたことに気づくのは、さほど驚くべきことではない。最初は白人労働者階級が離れ、今やラテン系や黒人の労働者が続く。民主党指導部が現状維持に努める一方で、アメリカ国民は怒り、変化を求めている。そして彼らは正しい。

今日、超富裕層が驚くほど裕福である一方、アメリカ人の60%は給料日前に生活費が尽きる暮らしを送り、所得と富の不平等はかつてなく拡大している。信じられないことだが、平均的なアメリカ人労働者のインフレを考慮した実質週給は、実のところ50年前よりも今の方が低い。

今日、テクノロジーと労働者の生産性が爆発的に向上しているにもかかわらず、多くの若者の生活水準は両親よりも悪くなっている。そして彼らの多くは、AI(人工知能)とロボット工学によって悪い状況がさらに悪化するのではないかと心配する。
 
今日、他の国々よりもはるかに多くの資金を一人当たり支出しているにもかかわらず、わが国は今もすべての人に医療を人権として保障していない唯一の富裕国であり、処方薬の価格は群を抜いて世界最高だ。主要国の中でわが国だけが有給の家族休暇や病気休暇さえ保証できずにいる。
 
今日、大多数のアメリカ人の強い反対にもかかわらず、わが国は極右ネタニヤフ政権によるパレスチナの人びとに対する全面戦争に何十億ドルもの資金を提供し続け、何千人もの子どもたちの大規模な栄養失調や飢餓という恐るべき人道的災害を引き起こしている。
 
民主党を牛耳る大金持ちや高給取りのコンサルタントたちは、この悲惨な選挙戦から何か真の教訓を学ぶだろうか? 彼らは何千万人ものアメリカ人が経験している苦痛と政治的疎外感を理解するだろうか? 彼らは、莫大な経済力と政治力を持ちますます強力になるオリガルヒ(寡頭政治)にわれわれがどう対抗できるかについて何かアイデアを持っているだろうか? おそらくノーだろう。
 
今後数週間から数か月の間に、草の根民主主義と経済的正義に関心を持つわれわれは、きわめて真剣な政治的議論をする必要がある。引き続き注目を。


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〔週刊 本の発見〕『ザイム真理教』

2024-11-07 23:20:00 | 書評・本の紹介

(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

【週刊 本の発見】日本経済「失われた30年」容疑者・財務省への「有罪判決」

『ザイム真理教』(森永卓郎・著、フォレスト出版、本体1,400円、2023年6月)評者:黒鉄好

 痛快で面白い本である。今や多くのアジア諸国の後塵を拝するようになった日本経済。外国人観光客が、まるで100均ショップを訪れるような感覚で来日し「安いニッポン」に歓喜する。誰が日本をこんな状態にしたのか。「失われた30年」の真犯人は誰か。経済評論家として講演や著述活動で日本中を駆け回り「寝ているとき以外はすべて講演するか、原稿執筆している」と豪語する著者が、財政出動を否定する財務省を真犯人と断定。財務省が信仰し、布教を図る財政均衡主義と緊縮財政を、かつてテロ事件を起こしたカルト教団になぞらえ、「有罪判決」を下す。

 第1章から2章では、財務省が国民生活を犠牲にしてまで財政均衡主義という「邪教」を布教するためのカルト集団であると説く。実際、カルトかどうかは別として、長く「霞ヶ関ウォッチャー」を続けてきた私の耳にも財務省の「軍隊組織」ぶりは何度か聞こえている(誤解を恐れず言えば、森友学園事件で近畿財務局職員・赤木俊夫さんを自殺に追い込んだのにも、この「軍隊体質」が少なからず影響している)。政治家、国民を洗脳し「健全財政至上主義」に染め上げていく姿をカルトとして描き出す。

 日本のように独自通貨発行権を持つ国では、国債が国内で消化される限り、いくら発行しても財政は破たんしないとするMMT(現代貨幣理論)が最近注目を集めている。森永さんは、さすがに青天井に国債を発行してもいいとの極論に賛同はしないものの、MMTに支持を表明している。

 通貨発行権を持つ政府が、紙切れに1万円と書いて印刷すれば、それが1万円として通用し、引き替えに1万円相当の財物が転がり込んでくる。それが通貨発行益である――と、通貨を発行することがあたかも新たな価値を創造するかのように論じていることには危惧を感じる。市場流通している財・サービスと貨幣との交換価値が物価であるというこれまでの経済学の常識を根底から覆すものになっているからだ。生産力に裏打ちされていない巨額の国債発行が現在の物価高、異常な株高・円安を招いているのが実態ではないだろうか。残念ながら、総じて第3章~第4章は荒唐無稽な内容と言わざるを得ない。

 一方で、たび重なる消費税引き上げが国民生活を破壊し、失われた30年を作り出したとする第5章、日本政府と自民党政権の経済政策が富裕層を利していると批判する第6章以降はきわめて説得力がある。国民生活を犠牲にして巨額の防衛費増額に走った岸田政権に対する「ロシアや北朝鮮のようだ」との批判は、多くの賛同を得られるに違いない。できるだけ都市を離れ、農村で自給自足生活を送るべきだという主張は経済学的にも正しい。インフレで貨幣価値が低下する局面ではカネより財物のほうが価値を持つからだ。

 森永さんは末期がんで余命幾ばくもないと宣告されており、痩せ細った近影も伝えられている。だが「もうすぐ死ぬとわかっている人間をわざわざ殺しに来る人なんていない。今の僕にタブーはないんですよ」と意気軒昂だ。知っていることは存命中にすべて書くつもりらしい。森永さんには「もうすぐ死ぬ死ぬ詐欺」をあと10年くらい続けていただき、国民生活を破壊するケチ臭い貧乏神・財務省と自民党を木っ端微塵に打ち砕いてほしい。


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【訃報】勝俣恒久・東京電力元会長死去 東電刑事裁判の被告

2024-11-01 21:24:09 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟

東京電力元会長の勝俣恒久さん死去 福島第一原発事故時に会長(朝日)

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 東京電力福島第一原発の事故発生時に東電会長を務め、その責任を問われた勝俣恒久(かつまた・つねひさ)さんが21日、死去した。84歳だった。葬儀は近親者で営んだ。

 東京都出身。東大経済学部卒業後、1963年に東電(現東京電力ホールディングス)に入社。2002年に社長に就任、08年に会長に就き、原発事故後の12年に退任した。

 16年2月には、津波による被害を予測できたのに対策を取る義務を怠ったとして、2人の元副社長とともに業務上過失致死傷の罪で強制起訴された。東京高裁は23年1月に無罪判決を言い渡したが、検察官役の指定弁護士が不服として上告した。

 事故をめぐる株主代表訴訟では、東京地裁が22年7月、取締役としての注意義務を怠ったとして勝俣氏を含む旧経営陣4人に連帯して13兆円を超える賠償金を支払うように命じた。旧経営陣側と原告の株主側の双方が判決を不服として控訴した。

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勝俣恒久・元東京電力会長が死去した。私が「福島原発告訴団」の一員として刑事告訴・告発の段階から関わっている東電刑事裁判の被告人。事件は1審東京地裁、2審東京高裁ともに「無罪」の不当判決で、検察官役の指定弁護士が最高裁に上告していた。最高裁からは、有罪に変更するための弁論開始の決定も、逆に無罪判決とするための上告不受理決定も、今のところ来ておらず、裁判が続く中での死去となった。

東電刑事裁判の直後を追いかけるように審理が進む東電株主代表訴訟で、事故に伴う被害額に当たる13兆円もの巨額の損害額の弁償が経営陣に命じられた2022年7月の訴訟には出廷していた。しかし、自身に無罪判決が言い渡された2023年1月18日の刑事裁判東京高裁判決には出廷しなかった。自身が被告人として起訴されている裁判に出廷しないことなど通常はあり得ない。勝俣被告の健康不安説が関係者の間に一気に広がったのは、このときだった。

判決日の時点で82歳だった勝俣被告の年齢を考えれば、いかなる事態が起きても不思議ではない。だが、私としても、被告には生きて有罪判決、禁固5年の刑に服してもらいたかったというのが正直な気持ちだ。この裁判を何度も傍聴したが、勝俣被告からは、事務系で技術に疎いのをいいことに「わからない」を連発し、事故と真剣に向き合う姿勢は最後まで見られなかった。

「亡くなったことで真実が闇の中となり、分からなくなってしまう。きちんと罪を認めて心から謝罪をしてほしかった。胸に抱えたまま亡くなったことは、本人にとってどうだったのか」(11/1付け「東京」)。福島原発告訴団の武藤類子団長のコメントだが、私も同じ気持ちだ。東京電力から被害者への文書による正式なお詫び・謝罪は、東電との和解に応じたいわき市民訴訟の原告に対するものを除けば、事故から13年経った今なお行われていない(参考記事:東電が謝罪「二度と事故起こさぬ」 原発避難者訴訟の原告団に(2024.8.20「朝日」)

勝俣被告の死去により、東電刑事裁判は武藤栄、武黒一郎の両元副社長に対してのみ残ることになる。すでに終わりも見えてきた刑事裁判だが、逆転有罪に一縷の望みをかけ、福島原発告訴団・福島原発刑事訴訟支援団は行動を続ける。


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