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<子ども甲状腺がん裁判>原告(Aさん)の意見陳述要旨

2022-05-29 10:27:42 | 原発問題/一般
(以下は、5月26日の子ども甲状腺がんの第1回公判で、原告女性Aさんが証言した内容です。本証言については、公表可との意思がご本人より示されています。なお、文章の途中で改行されている部分、同じ単語で表記が統一されていない部分がありますが、あえて、修正はせず原文に忠実に掲載しています。)

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あの日は中学校の卒業式でした。
友だちと「これで最後なんだねー」と何気ない会話をして、部活の後輩や友だちとデジカメで写真をたくさん撮りました。そのとき、少し雪が降っていたような気がします。

地震が来た時、友だちとビデオ通話で卒業式の話をしていました。最初は、「地震だ」と余裕がありましたが、ボールペンが頭に落ちてきて、揺れが一気に強くなりました。
「やばい!」という声が聞こえて、ビデオ通話が切れました。

「家が潰れる。」
揺れが収まるまで、長い地獄のような時間が続きました。

原発事故を意識したのは、原発が爆発した時です。「放射能で空がピンク色になる」
そんな噂を耳にしましたが、そんなことは起きず、危機感もなく過ごしていました。

3月16日は高校の合格発表でした。
地震の影響で電車が止まっていたので中学校で合格発表を聞きました。歩いて学校に行き、発表を聞いた後、友達と昇降口の外でずっと立ち話をして、歩いて自宅に戻りましたが、
その日、放射線量がとても高かったことを私は全く知りませんでした。

甲状腺がんは県民健康調査で見つかりました。
この時の記憶は今でも鮮明に覚えています。
その日は、新しい服とサンダルを履いて、母の運転で、検査会場に向かいました。

検査は複数の医師が担当していました。検査時間は長かったのか。短かったのか。首にエコーを当てた医師の顔が一瞬曇ったように見えたのは気のせいだったのか。検査は念入りでした。

私の後に呼ばれた人は、すでに検査が終わっていました。母に「あなただけ時間がかかったね。」と言われ、「もしかして、がんがあるかもね」と冗談めかしながら会場を後にしました。この時はまさか、精密検査が必要になるとは思いませんでした。

精密検査を受けた病院にはたくさんの人がいました。この時、少し嫌な予感がしました。
血液検査を受け、エコーをしました。
やっぱり何かおかしい。自分でも気づいていました。そして、ついに穿刺吸引細胞診をすることになりました。この時には、確信がありました。私は甲状腺がんなんだと。

わたしの場合、吸引する細胞の組織が硬くなっていたため、なかなか細胞が取れません。
首に長い針を刺す恐怖心と早く終わってほしいと言う気持ちが増すなか、3回目でようやく細胞を取ることができました。

10日後、検査結果を知る日がやってきました。あの細胞診の結果です。病院には、また、たくさんの人がいました。結果は甲状腺がんでした。

ただ、医師は甲状腺がんとは言わず、遠回しに「手術が必要」と説明しました。
その時、「手術しないと23歳までしか生きられない」と言われたことがショックで今でも忘れられません。

手術の前日の夜は、全く眠ることができませんでした。不安でいっぱいで、泣きたくても涙も出ませんでした。でも、これで治るならと思い、手術を受けました。

手術の前より手術の後が大変でした。
目を覚ますと、だるさがあり、発熱もありました。麻酔が合わず、夜中に吐いたり、気持ちが悪く、今になっても鮮明に思い出せるほど、苦しい経験でした。今も時折、夢で手術や、入院、治療の悪夢を見ることがあります。

手術の後は、声が枯れ、3ヶ月くらいは声が出にくくなってしまいました。

病気を心配した家族の反対もあり、大学は第一志望の東京の大学ではなく、近県の大学に入学しました。でも、その大学も長くは通えませんでした。甲状腺がんが再発したためです。

大学に入った後、初めての定期健診で再発が見つかって、大学を辞めざるをえませんでした。
「治っていなかったんだ」「しかも肺にも転移しているんだ」とてもやりきれない気持ちでした。「治らなかった、悔しい。」この気持ちをどこにぶつけていいかわかりませんでした。
「今度こそ、あまり長くは生きられないかもしれない」そう思い詰めました。

1回目で手術の辛さがわかっていたので、
また同じ苦しみを味わうのかと憂鬱になりました。手術は予定した時間より長引き、
リンパ節への転移が多かったので傷も大きくなりました。

1回目と同様、麻酔が合わず夜中に吐き、
痰を吸引するのがすごく苦しかった。
2回目の手術をしてから、鎖骨付近の感覚がなくなり、今でも触ると違和感が残ったままです。

手術跡について、自殺未遂でもしたのかと心無い言葉を言われたことがあります。自分でも思ってもみなかったことを言われてとてもショックを受けました。
手術跡は一生消えません。それからは常に、傷が隠れる服を選ぶようようになりました。

手術の後、肺転移の病巣を治療するため、
アイソトープ治療も受けることになりました。
高濃度の放射性ヨウ素の入ったカプセルを飲んで、がん細胞を内部被曝させる治療です。

1回目と2回目は外来で治療を行いました。
この治療は、放射性ヨウ素が体内に入るため、まわりの人を被ばくさせてしまいます。
病院で投薬後、自宅で隔離生活をしましたが、
家族を被ばくさせてしまうのではないかと不安でした。2回もヨウ素を飲みましたが、がんは消えませんでした。

3回目はもっと大量のヨウ素を服用するため入院することになりました。
病室は長い白い廊下を通り、何回も扉をくぐらないといけない所でした。
至る所に黄色と赤の放射線マークが貼ってあり、
ここは病院だけど、危険区域なんだと感じました。病室には、指定されたもの、指定された数しか持ち込めません。汚染するものが増えるからです。

病室に、看護師は入って来ません。
医師が1日1回、検診に入ってくるだけです。
その医師も被ばくを覚悟で検診してくれると思うととても申し訳ない気持ちになりました。
私のせいで誰かを犠牲にできないと感じました。

薬を持って医師が2、3人、病室に来ました。
薬は円柱型のプラスチックケースのような入れ物に入っていました。

薬を飲むのは、時間との勝負です。
医師はピンセットで白っぽいカプセルの薬を取り出し、空の紙コップに入れ、私に手渡します。

医師は即座に病室を出ていき、鉛の扉を閉めると、スピーカーを通して扉越しに飲む合図を出します。私は薬を手に持っていた水と一緒にいっきに飲み込みました。

飲んだ後は、扉越しに口の中を確認され、放射線を測る機械をお腹付近にかざされて、お腹に入ったことを確認すると、ベッドに横になるように指示されます。

すると、スピーカー越しに医師から、
15分おきに体の向きを変えるように指示する声が聞こえてきました。

食事は、テレビモニターを通じて見せられ、
残さずに食べられるか確認し、汚染するものが増えないように食べられる分しか入れてもらえません。

その夜中、それまではなんともなかったのに、急に吐き気が襲ってきました。
すごく気持ち悪い。なかなか治らず、焦って、
ナースコールを押しましたが、看護師は来てくれません。

ここで吐いたらいけないと思い、必死でトイレへ向かいました。

吐いたことをナースコールで伝えても
吐き気どめが処方されるだけでした。
時計は夜中の2時過ぎを回り、
よく眠れませんでした。

次の日から、食欲が完全に無くなり、
食事ではなく、薬だけ病室に入れてもらうことのほうが多かったです。2日目も1、2回吐いてしまいました。

私は、それまでほとんど吐いたことがなく、
吐くのが下手だったため、眼圧がかかり、
片方の目の血管が切れ、目が真っ赤になっていました。扉越しに、看護師が目の状態を確認し、目薬を処方してもらいました。

病室から出られるまでの間は、気分が悪く、
ただただ時間が過ぎるのを待っていました。

病室には、クーラーのような四角い形をした放射能測定装置が、壁の天井近くにありました。その装置の表面の右下には数値を示す表示窓があり、私が近づくと数値がすごく上がり、離れるとまた数値が下がりました。

こんなふうに3日間過ごし、ついに病室から出られる時が来ました。
パジャマなど身につけていたものは全て鉛のゴミ箱に捨て、ロッカーにしまっていた服に着替えて、鉛の扉を開け、看護師と一緒に長い廊下といくつもの扉を通って、外に出ました。

治療後は、唾液がでにくいという症状に悩まされ、水分の少ない食べ物が飲み込みづらくなり、味覚が変わってしまいました。

この入院は、私にとってあまりにも過酷な治療でした。二度と受けたくありません。

そんな辛い思いをしたのに、治療はうまくいきませんでした。治療効果が出なかったことは、とても辛く、その時間が無駄になってしまったとも感じました。以前は、治るために治療を頑張ろうと思っていましたが、今は「少しでも病気が進行しなければいいな」と思うようになりました。

病気になってから、将来の夢よりも、治療を最優先してきました。治療で大学も、将来の仕事につなげようとしていた勉強も、楽しみにしていたコンサートも行けなくなり、全部諦めてしまいました。

でも、本当は大学を辞めたくなかった。卒業したかった。大学を卒業して、自分の得意な分野で就職して働いてみたかった。新卒で「就活」をしてみたかった。友達と「就活どうだった?」とか、たわいもない会話をしたりして、大学生活を送ってみたかった。
今では、それは叶わぬ夢になってしまいましたが、どうしても諦めきれません。

一緒に中学や高校を卒業した友達は、もう大学を卒業し、就職をして、安定した生活を送っています。
そんな友達をどうしても羨望の眼差しでみてしまう。
友達を妬んだりはしたくないのに、そういう感情が生まれてしまうのが辛い。

病院に行っても、同じ年代の医大生とすれ違うのがつらい。同じ年代なのに、私も大学生だったはずなのにと思ってしまう。

通院のたび、腫瘍マーカーの「数値が上がってないといいな」と思いながら病院に行きます。
でも最近は毎回、数値が上がっているので、「何が悪かったのか」「なぜ上がったのか」とやるせない気持ちになります。

体調もどんどん悪くなっていて、肩こり、手足が痺れやすい、腰痛があり、すぐ疲れてしまいます。薬が多いせいか、動悸や一瞬、息がつまったような感覚に襲われることもあります。
また、手術をした首の前辺りがつりやすくなり、つると痛みが治まるまでじっと耐えなくてはなりません。

自分が病気のせいで、家族にどれだけ心配や迷惑をかけてきたかと思うととても申しわけない気持ちです。もう自分のせいで家族に悲しい思いはさせたくありません。

もとの身体に戻りたい。そう、どんなに願っても、もう戻ることはできません。この裁判を通じて、甲状腺がん患者に対する補償が実現することを願います。

<動画>【子ども甲状腺がん裁判】原告の意見陳述(録音)~第1回口頭弁論

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【転載記事】全実存をかけて訴えた原告女性Aさん「大学行きたかった」/「子ども甲状腺がん裁判」始まる

2022-05-28 23:10:50 | 原発問題/一般
全実存をかけて訴えた原告女性Aさん〜「甲状腺がん」裁判の流れを変える(レイバーネット日本)

※写真を見たい方は、リンク先サイトから見ることができます。

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 「原発事故との因果関係を認めてほしい」。福島の6人の若者が原告となった「311子ども甲状腺がん裁判」が、5月26日、東京地裁で行われた。健康被害をめぐって、若者たちが声をあげたこの裁判の重要性は計り知れない。人生のもっとも多感な時期にがんにな った若者たち。「なぜ自分が」と思うのは当然のことだ。しかし原発事故との関連を口にすることは「風評」とされ、復興しているはずの福島に水をさす「加害者」だと言われてきた。若者から考えることを奪い、苦しみを封印するべく邁進した国と福島県。そして責 任を認めない東京電力に、風穴を開ける裁判が始まったのだ。

 103号法廷はわずか27席。それでも、勇気を出した若者たちを護ろうと、200人を超える人々が地裁に駆けつけた。裁判が始まる午後2時、傍聴できなかった人たちのために、日比谷コンベンションホールで支援集会が準備されていた。ウクライナ出身の歌手・カテ リーナさんが、バンドーラを奏でながらチェルノブイリのことを歌った(写真下=略)。原発から2・5キロの町で生まれたカテリーナさんは、事故のあとキエフの仮設住宅に避難した。小学校では「放射能がうつる」「夜中に光る」と言われ、いじめられたという。原発事故で一番傷つくのは子どもたちだ。チェルノブイリもフクシマも、変わらない。

 報告集会は予定時間を30分以上遅れて始まった。裁判が長引いたためだ。「今回の裁判のハイライトは、何といっても原告Aさんの意見陳述だった」と弁護団は口々に語った。被告側(東京電力)弁護人は「因果関係を証明するためには、科学的客観的なものでなけ ればならない。被害者の証言は不要だ」と主張したという。裁判官も一回目の意見陳述は認めたものの、2回目以降の意見陳述には積極的ではなかったようだ。それを見越していた弁護団は、あくまでも被害者の声にこだわった。17分にわたるAさんの陳述が、裁判の 流れを変えた。

 会場内に、Aさんの声が流れた。傍聴できない人たちのためにと弁護団が計らい、前日A さんが陳述書を録音したものだった。中学校の卒業式の日に起きた震災と原発事故。高校の合格発表に歩いて出かけた日、線量が高かったことを知らなかったこと。県民健康調査で医師の顔が曇ったようにみえたこと。精密検査で、首に長い鍼をさされた恐怖。手術しなければ23歳までしか生きられないと言われたこと。手術をうけたが、手術後の方が大変だったこと。2回手術したのに治らず、肺へ転移したことがわかったこと。つらく屈辱的な治療に耐えたのに、がんは消えなかった。「大学を卒業し、得意分野で就職して働いてみたかった。叶わぬ夢になったが諦めきれない」・・・Aさんの声はとても可愛らしく、 淡々としていた。でも、法廷では、終始泣きながら陳述していたことを後で知り、愕然とする。

 Aさんの証言の中でもっとも衝撃的だったのは、肺に転移した病巣を治療するためのアイソトープ治療のことだった。高濃度の放射性ヨウ素の入ったカプセルを飲んで、がん細胞を内部被ばくさせる治療だ。福島県立医大はアイソトープ治療病棟が拡充していると聞 いたことがあるが、どんなものかまったく知らなかった。いくつもの扉で隔てられた治療 室。そこは病院なのに危険区域だった。限られたものしか入れられず、一度中に入れたも のは外に持ち出せない。医師は薬を手渡すと、即座に病室を出ていった。薬を服用したA さんが、部屋の中にある放射能測定機に近づくと、ものすごく数値が上がり、離れると下がる。Aさんは自分という存在が、まわりの人を被ばくさせてしまうと悟った。吐き気に襲われナースコールを押しても、看護師は来てくれない。それでも、Aさんは医療者を責めることはなかった。「医師も被ばく覚悟で検診してくれると思うと、とても申し訳ない。私のせいで誰かを犠牲にできない」と彼女が言うのを聞いて、私は言葉を失った。

 これまでに何人もの人が「元の暮らしに戻りたい。でも戻れない」と訴えるのを聞いてきた。しかし、Aさんが「もとの体に戻りたい。どんなに願ってももう戻ることはできま せん」という言葉で陳述を終えた時、やるせなさで一杯になった。大手メディアは福島の 受けた被害から、健康被害をことごとく排除し、伝えようとしてこなかった。小児甲状腺がんの裁判のことを唯一取り上げたのは、ТBS『報道特集』だったが、ものすごいバッシングを受けたそうだ。こんな社会でいいのだろうか。「甲状腺がんなんて、大したことない」と言う人がいる。Aさんは全実存をかけて、こうしたことに抗った。

 法廷で陳述を聞いた裁判官、被告側はどうだったのか。裁判官は頷きながらAさんの訴えを聞き、「意見陳述は一回目はいいが2回目以降はだめだ」と言っていた被告側の弁護士も「裁判所の判断に委ねる」と言わざるを得なかった。心を動かされたことに、誠実であってほしいと願う。6人の原告すべての声を、法廷で聞かせたいと弁護団は決意を語った。最後までこの裁判を見守っていきたいと思う。

(以上、堀切さとみさんによる報告)

<動画>「子ども甲状腺がん裁判」始まる~20代女性「大学行きたかった」

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ウクライナ戦争が続く今だからこそ知られるべき戦慄の外務省報告書

2022-05-26 23:39:57 | 原発問題/一般
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」に発表した記事をそのまま掲載しています。)

※写真=ロシア軍に一時占拠されたウクライナ・ザポリージャ原発/ハフポスト日本版より

梨の木ピースアカデミー第6期 福島から見たポストコロナ時代~小出裕章×高橋哲哉対談企画 「ウクライナ危機から捉え直す福島原発と植民地」開催報告」を読んだ。

この記事の中で高橋哲哉さんが紹介している「国内の原発が攻撃を受けた場合」に「最大1万8千人が急性死亡すると試算」した外務省の報告書は、反原発運動に取り組んでいるある人物から、2017年に筆者にも紹介があった。「原子炉施設に対する攻撃の影響に関する一考察」と題する報告書は、1983年度に、外務省が財団法人「日本国際問題研究所」に委託して行わせた研究結果に関する資料。「反原発運動への影響」を考慮して翌1984年2月、関係者のみに向け「極秘公表」された。

発電量100万kwh級軽水炉の格納容器が外部からの攻撃で破壊され、「主要54核種」のうち11%が大気中に放出された場合の被害想定を、以下のとおりとしている。

・緊急避難をしなかった場合

 急性死亡 平均3600人 最大18000人
 急性障害 平均6300人 最大41000人

・緊急避難(原発から風下10マイル(約16km)の区域の住民を5時間以内に避難)をした場合

 急性死亡 平均 830人 最大 8200人
 急性障害 平均3600人 最大33000人

特に、急性死亡は避難しない場合と比べて大きく減っている。

晩発性障害に関しては、がん死亡者を平均8100人、最大24000人と見積もっている。緊急避難に成功した場合の推定であること、緊急避難に成功しても晩発性障害によるがん死亡のほうが急性死亡より平均で10倍、最大で3倍も大きくなっていることが重要な点だ。緊急避難しなかった場合の晩発性障害者数は掲載すらされていない。想像を絶する数字となったため、掲載が控えられた可能性がある。

この報告書では、「問題は現実に緊急避難がどの程度可能かであって、……緊急避難させることは容易でないし、特に夜間などを考えれば尚更である」と、避難の困難さを認めている。また、「長期にわたる土地利用制限の最大の原因は放射性セシウム(Cs-137)による地表汚染にある。表面の土壌を削り取ったり、汚染されていない土を運んで来て盛ったり、上下に深く耕すとかすれば、その放射線の影響を軽減しうるが、広い地域にわたって実施することは困難である」と、広域除染の困難さも認めている。

この報告書は、スリーマイル原発事故を参考にして影響を評価していると考えられる。福島原発事故はおろか、チェルノブイリ原発事故(1987年)もまだ発生していない段階での被害想定だが、現在、福島で起きている事態に照らしてみれば、かなり正確な予測だったといえる(特に正確なのは、甲状腺がんなどの晩発性障害、広範囲にわたる土壌汚染とその除染が困難である点など。急性死亡や急性障害は福島原発事故には当てはまらない)。

緊急避難に成功しても急性障害より晩発性障害のほうがはるかに影響が大きいことが30年も前に報告されていたとは驚きだ。民間シンクタンクによる被害想定とはいえ、外務省が委託した研究結果であり、当然、日本政府はこの結果を知っていたはずである。それにもかかわらず、福島住民を避難もさせなかった日本政府の行為は、やはり「緩慢な殺人」だといわざるを得ない。

驚くことに、この報告書は現在、外務省ホームページに掲載されており、誰でも読める。古い資料のため一部、不鮮明な箇所もあるが、ぜひ全文を読むことをお勧めする(当ブログでは、2017年8月29日付記事で一度、紹介している)。

・外務省ホームページ掲載の報告書「原子炉施設に対する攻撃の影響に関する一考察」(1984.2 日本国際問題研究所)

日本国際問題研究所ホームページ

(文責:黒鉄好)

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膠着状態に陥ったウクライナ戦争 長期化する危機の中で

2022-05-25 23:34:08 | その他社会・時事
(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2022年6月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 ロシアによるウクライナ侵略に端を発した戦争は、本誌が読者のお手元に届く頃には3か月を迎える。「危惧されるのは、お互いのメンツがぶつかったまま、落としどころが見つからず、消耗戦に突入して犠牲者数だけが積み上がることである」(本誌4月号拙稿)という予測通りの展開になってきた。

 これまでにいろいろな識者がメディアに出演しては、無責任な言説を垂れ流す姿を見せつけられた。4月以降、そうした言説にうんざりしてメディアのウクライナ報道からは意識的に距離を置いている。ただ、この間の世界情勢を見る中で、いくつか明瞭になってきたこともある。先の読めないことに一喜一憂しても仕方ないので、今回は論点整理の意味も込め、現時点で明瞭になってきたことに絞って論じておきたい。

 ●パンデミックの「出口」としての世界大戦

 約2年前の2020年3月――新型コロナウィルスの感染が急拡大し、初の緊急事態宣言が出される情勢の中で、筆者はこう論じている。少し長くなるが抜粋・再掲しておこう。

 『世界史的に見ると、1720年代にはペストの大流行があった。1820年前後にはコレラが世界的猛威を振るった。1920年代には「スペイン風邪」が大流行。そして今回のコロナウィルス大流行だ。未知の伝染病流行は、まるで計ったように正確に100年周期で起きている。

 歴史的資料が少なすぎて検証が困難な1720年代の事情や、人間以外の動物の動向も無視して近代以降の人類史だけで見ると、1820年代のコレラ流行時はフランス革命とアメリカ独立から半世紀弱という時代だった。アメリカは次第に国際社会で力を付けつつあったが、1823年、モンロー大統領が自国第一主義を採り、国際社会には積極的に関わらない、とする有名な「モンロー主義」宣言をしている。また、1920年代のスペイン風邪流行当時は第1次大戦が終了した直後で世界は疲弊していた。アメリカは第1次大戦に最終段階になって参戦、ヨーロッパがみずから始めながら終了させられないでいた大戦に終止符を打ったことで国際的な威信を高めたが、100年続いたモンロー主義を転換して積極的に国際社会の秩序づくりに関わるには至っていなかった。そして、今回のコロナウィルス大流行も、EUから英国が離脱、トランプ政権が「自国ファースト」を唱え、国際社会との関わりを縮小させる方向性を強める中で起きている。

 こうしてみると、世界的な伝染病の大流行は、内政、外交ともに国際協調よりも自国優先の内向きの政策を採り、国際社会でリーダーシップを取る意思のない国が大勢を占める時期に起きていることが見えてくる。国際社会の「覇者」が交代局面を迎えている時期に大流行が起きているという共通点も見逃せない。』

 世界は今なおコロナ禍の中にある。アフリカなど途上国には最初のワクチン接種さえできていない国や地域が多くある。新型コロナの確認からまだ2年しか経っていない以上、当然のことであろう。

 しかし、ウクライナ戦争をきっかけとして、先進国の目は一気にウクライナに集中し、コロナ禍はすでに後景に退いてしまったかに見える。しかし、本稿筆者はコロナ禍の「後景化」にはっきり反対を表明する。コロナ禍とウクライナ戦争には密接な関連があるからだ。

 筆者の見るところ、ちょうど1世紀前の時代と今の時代は怖いほど酷似している。1918年2月から1920年4月までの2年2か月間がスペイン風邪の流行期間とされている。スペイン風邪で失われた命の数は2500万に及び、それは第1次世界大戦における死者数(1千万人)よりも多かったことを、多くの記録が今に伝えている。

 スペイン風邪の収束後、世界は一気に不安定化した。世界経済はやや遅れ、1929年10月に起きたウォール街での株大暴落をきっかけに世界恐慌が始まった。この混乱の中から、ヒトラーが完全に民主的な選挙で首相の座を射止めたのは1933年。6年後、ナチスによるポーランド侵攻を発端に、世界は第2次大戦に突入していった。

 パンデミックは人と人との距離を広げ、対面でのコミュニケーションを困難にする。第1次大戦後の講和条約の締結について協議するパリ講和会議はパンデミックが継続する中で行われた。ウィルスを恐れるあまりに各国首脳が本音で協議できず、敗戦国ドイツに巨額の賠償を負わせる条項が盛り込まれたという(注1)。この巨額の賠償こそ、ドイツでのハイパーインフレの原因となり、ヒトラーの台頭を招くのである。

 1世紀後の今日、ロシアのプーチン大統領に忖度なく正しい情報を報告し、信頼を置いていた側近との関係がコロナ禍で疎遠となる中で、プーチン大統領が次第に孤立を深め、正しい情報に基づく適切な判断ができなくなっていったとの指摘もある。やはり歴史は繰り返している。コロナ禍の影響を捨象したまま、今回のウクライナ戦争を「情報から閉ざされた専制的指導者による孤立的事象」として読み解くことは事態の評価を誤らせることになりかねない。だからこそ本稿筆者はコロナ禍の「後景化」は時期尚早だと考えている。

 ●核の時代には、過去2回の大戦と同じ解決策は採れない

 世界史を理解している人であれば、過去2回の世界大戦がヨーロッパから始まったこと、みずから戦争を引き起こしながら、ヨーロッパは自分たちで戦争を終結させられなかったことは認識していることだろう。過去2回の大戦では、両陣営の戦力が均衡していたところに、2回とも米国が参戦したことが帰趨を決めた。過去2回の大戦当時と比べ、政治的発言力も国際社会における威信もさらに低下させたヨーロッパに、独力で今回の戦争を終結させる力があるようには、筆者にはとても見えない。

 そのように考えると、今回も過去2回の大戦と同じように、停戦、終戦にはヨーロッパ外の勢力による働きかけが必要になりそうだ。ロシア、ウクライナのどちらにも利害関係を持たず中立的な第三国が望ましいが、世界は今、1世紀前とは比較にならないほど広範かつ複雑な利害関係で結ばれている。完全な中立国はないと見ておく必要がある。さしあたり、仲介が可能なのは中国、インドの他、NATO(北大西洋条約機構)加盟国でありながら非欧米的で独自の文化を持つトルコ、マクロン大統領がプーチン大統領と定期的に電話会談を続けているフランスなどが候補になりそうだ。いずれにしても、米国に付き従うだけの「属国コバンザメ外交」の経験しか持たない日本がその任にないことだけははっきりとしている。ろくな外交ができない日本が、いたずらに戦争拡大をあおり、危険な軍事援助を続けることは破滅を招く行為だと知る必要がある。

 前々号でも述べたが、たとえそれが国際法で禁止されている力による一方的現状変更であったとしても、戦争では当事者の一方だけが絶対的な悪ということはない。ましてや、過去の日本によるアジア侵略戦争を「欧米列強による圧迫からアジアを解放するための聖戦だった」などと主張している連中が、今回のロシアによる侵略を否定していることは恥さらし以外の何ものでもない。

 過去2回の大戦のような米国の直接的参戦という事態は断じて避けなければならない。過去2回の大戦と違うのは、人類を全滅させられる膨大な量の核兵器を持つ米ロ両国の直接対決につながるからだ。このまま推移すれば、戦争と同時に人類も終末を迎えかねない。

 ●危機は長期化する

 ヨーロッパ外で今回のウクライナ戦争の仲介に動けそうな国々や国際機関は、本稿執筆時点でまだ浮上していない。今回のウクライナ戦争はある程度長期化するかもしれない。世界は不安定化しており、それに伴って人類滅亡の危機と当面「隣り合わせ」で生活していくしかない状態も今後かなり長期にわたって続くと覚悟しなければならない。

 今日明日にも世界が破滅しておかしくないのに、誰もがそこから目を背け、危機など存在しないかのように毎日を享楽的に生きる――40歳以下の若い世代にとって、この不気味で奇妙な感覚は理解しがたいだろう。だが本稿筆者(50歳代)より上の世代にははっきりした記憶があるはずだ。懐かしくも二度と戻ってきてほしくないと思っていた東西冷戦時代のあの感覚である。東西両陣営のトップは核という最終兵器を背景に神経戦を繰り広げた。「緊張激化」と「デタント(緊張緩和)」という文字が新聞紙面を交互に飾った。突発的な事件が起きるたびに、今度こそ世界の終わりかと身構えた。またあの時代に戻るのかと思うと憂鬱になる。

 しかも、これから始まる「第2次冷戦」はかつての東西冷戦よりはるかに不確実性が高いと筆者は思う。東西冷戦には資本主義対社会主義という明確な対決軸、イデオロギー対立が存在した。自分たちの理想とする社会を実現させるためには人類滅亡を回避しなければならないというある種の抑制が機能していた。哲学的な表現になるが、本能よりもイデオロギーという「超自我」(注2)を優先する必要に迫られていた。

 しかし、当時の世界に存在した「超自我」は現在はない。世界は当時より今のほうがずっと本能的に動いている。日本ではまだ自覚されていないが、米国では国家権力によるあらゆる規制・介入を撤廃し、本能の赴くまま動物のように生きさせるよう主張する「リバタリアン」がすでに無視できない政治勢力として台頭している。本稿の主題ではないため今回は紹介のみにとどめるが、リバタリアニズム(自然的自由至上主義)はすでに日本でも若年男性層の大半を捉えていると筆者は見ており、10年後は日本でも政治的一大勢力としてはっきり自覚されると思う。大胆にいえば人々の分断線は、現在の米国のように、10年後は日本でもリバタリアンとそれ以外の人々との間に引かれることになろう。

 ●日本型組織には結局、危機管理はできない

 日常化した危機が多くの予測不可能な変数を持ち、事態はどのような方向にも転化しうる。そのような不確実性の時代は、本誌読者の大半が生きているうちは続くのではないかと筆者は考えている。起こりうる事態のすべてに備え、全方位的な危機管理を長期にわたって続けなければならない今回のような事態は、いわゆる日本的組織が最も苦手とするもののひとつである。多くの日本的組織は「リソースは限られているのに、すべての危機への対処などできるわけがない」として、結局は何もしないことを選択するであろう。岸田政権が何もしていないのに空前の支持率を続けていることを不思議に思う読者が多いかもしれない。しかし筆者の分析は逆であり、岸田政権は何もしない「からこそ」高支持率を維持しているのである。

 今振り返ってみると、昨年秋の総選挙直前に行われた自民党総裁選は、日本的組織のリーダー選出の典型例に見える。可もなく不可もない、どんぐりの背比べのようなトップ候補が並び立つが、積極的に何かにチャレンジしようとした人から順に失敗して減点され、レースから脱落していく。何もしなかった人が最後まで生き残り、リーダーに選ばれる。そのようなリーダー選びをした日本的組織の脆さは事故や不祥事などの危機に顕在化する。対応を誤り市場から退出させられる組織の姿を私たちは何度も見てきた。

 問題なのは、評価が減点主義的で危機に脆い組織の多くが「競争相手がいない」ことだけを理由に生きながらえていることである。大事故を起こしたJR西日本や東京電力、多くの日本の市民にとって災厄の発信地でしかない自民党など、耐用年数が切れたと思われる日本的組織の多くが今なお1丁目1番地にいる。交代させたくても代わりとなる勢力は存在せず、浮上する気配もない。

 このような時代に、特に自分の所属、帰属している組織が日本型である場合、構成員は所属組織に自分の運命を委ねてはならない。自分の頭で考え、自分の足で歩かなければならない。たとえそれがどんなに困難な道のりだったとしても。

 ●ウクライナ前には戻れない中で、私たちはどう生きるべきか

 2022年2月24日を境に世界は新たな段階に突入した。コロナ前に戻りたいと夢想してもそれが叶わないのと同じように、ウクライナ戦争前に戻りたいとする願望も叶えられることはない。新たな不確実性の時代の中から、私たちは未来につながる何かを得なければならない。

 「いいかい。社会というのはそんなに簡単に変わるものじゃないんだ。社会の中で人は生きるために食べなければならない。食べるためには労働しなければならない。その労働のあり方、生活様式こそが私たちの社会の下部構造を作っている。その下部構造の上に、社会の姿という上部構造が見えるに過ぎない。だからこそ、たかが1回の選挙や、10回くらいのデモや集会ごときで社会が変わるとしたら、そのことのほうが嘘っぽくて僕には信じられないよ」。

 昨年11月。本稿筆者も執筆陣に加わり、共著として出版された「地域における鉄道の復権-持続可能な社会への展望」出版記念を兼ねた合評会で、主催者団体である札幌唯物論研究会会長から筆者はこのような言葉をいただいた。「こんなに努力をしているのに、どうして世の中は変わらず、自民党も倒せないんでしょうか」という私の疑問に対する会長からの「回答」だった。さすがは唯物論者と感心するとともに、うわべだけの政権交代などを追い求めるくらいなら、きちんと政治的足場を固めた上で、その足場を基礎に変革への種をまこうという決意が固まった。

 自民党がそこまでして政権にしがみつきたいなら勝手にすればいい。その代わり私たちは自民党政権70年で腐りきった日本社会の土壌を入れ替える「除染活動」をしたい。下部構造を変えない限り、腐った土壌の上にどんな種をまいても腐った花しか咲かないからだ。きれいな花(=上部構造)を見たいなら、土(=下部構造)をきれいにしなければならない。ガーデニングの世界では当たり前のことだ。

 政治も同じである。あちこちで市民と対話し、支持を広げ、民主的な地域を生み出す。原発や化石燃料で作られる大手電力会社の電気の使用をやめ、再生エネルギーで発電している地産地消の電力会社に切り替える。市場でお金を出し、生活必需品と「命がけの交換」をする暮らしから、自分たちで耕し、生産する自給自足の暮らしに変えていく。選挙よりも、そしておそらくデモや集会よりも何倍も大切なことのように私には思われる。

 変革はおそらく、その道のずっと先にある。人々がその労働に応じてではなく、必要に応じて受け取れる新しい社会が到来し、国家が死滅するときまで自民党はしぶとく生き延びるのだろう。でも私はそれでいいと思っている。いずれは地球上のすべての人々が社会主義経済の下で暮らすべきであるという私の信念は揺らがないどころか、ウクライナ戦争以降はますます強まっている。

注1)「ウイルスがまいた第2次大戦の種 歴史生かせぬ宰相ら」(2020年12月11日付「朝日」記事)

注2)精神分析学の開祖であるオーストリアの精神科学者フロイトは、人間の心を「本能」「自我」「超自我」の3領域に区分。規範意識に基づき、自我を通じて本能を抑制する働きをする領域を超自我と名付けた。本稿では、国家間の紛争に暴力、実力で決着をつけたいと望む国家指導者の本能に対し、それを抑制するイデオロギーなどの規範を超自我に例えて論じている。

(2022年5月15日)

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<地方交通に未来を(5)>「知床遊覧船」は日本の地方交通事業者の象徴である

2022-05-23 21:11:09 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 4月23日、乗客ら26人を載せた知床遊覧船「KAZU I」(カズワン)が沈没して1か月になる。今なお12人が行方不明のままだ。

 事故直後から、知床遊覧船の違法かつ全くずさんな運行管理の実態が明らかになった。(1)経験豊富な船長を解雇し操船未経験者を後任にしたこと(2)船体の亀裂をきちんと修理しないまま今シーズンの運行に入っていたこと(3)波高を測定せず毎日同じ数値を記載していたこと(4)故障した船舶無線を修理せずアマチュア無線を連絡手段としていたこと―等々である。(1)は、船長の要件を操船経験3年以上とした海上運送法に違反する。(2)は船舶安全法違反の疑いがある。(4)についても、アマチュア無線の用途を趣味用に限定、人命救助の場合を除いて業務上の使用を禁じた電波法に違反する。こうした何重もの違法行為の末に事故を起こした知床遊覧船に釈明の余地はない。

 一方でこの事故は、日本の公共交通事業者が置かれた現在の苦境を象徴している。もともとコロナ前から青息吐息だったのに、長引くコロナ禍で密集が敬遠された結果、観光目的のものを含め公共交通機関はどこも経営が厳しさを増している。最大手のJRですら公然とローカル線切り捨てを表明している(この件は大変重要なので、次回当たり詳しく述べたいと思っている)。当座の資金確保のため、悪天候でも運航を優先しようとの衝動にかられる零細観光事業者の苦しい経済事情がそうさせている面も見逃せないと思う。

 鉄道に目を転じても、地方のローカル線は似たような状態に置かれている。たとえば、和歌山県に紀州鉄道という事業者がある。名前を聞くと鉄道会社のイメージより不動産屋を連想する人のほうが多いかもしれないが、れっきとした鉄道路線を持っている。ただし営業キロはわずか2.7km(御坊~西御坊)しかなく、千葉県・芝山鉄道(東成田~芝山千代田、2.2km)に次いで2番目に短い。ただ、芝山鉄道は京成電鉄の末端区間を延長する形で開業、全列車が京成電鉄から乗り入れている。自社単独の列車が運行されている鉄道としては日本一短いのが紀州鉄道ということになる。

 その紀州鉄道で2017年1月、脱線事故が発生した。レール幅が通常よりも広がる「軌間変位」が原因とされた(レールの異常にはこの他、2本のレールが揃って同じ方向にずれるものの、軌間自体は変わらない「通り変位」がある)。軌間変位は通り変位と異なり、線路を枕木に固定する「犬釘」の緩みや脱落によって起きることが知られている。つまり保線が十分に行われていないところで起きるのが軌間変位による事故であり「貧乏鉄道」型の事故といえる。2013年9月、北海道・函館本線大沼駅付近で起きた貨物列車脱線事故も軌間変位が原因とされたが、いま振り返れば、その3年後に「自社単独で維持困難」10路線13線区の公表に至ったJR北海道の「窮乏化」の予兆だったのだ。

 紀州鉄道事故をめぐっては、2018年1月、運輸安全委員会が調査報告書を公表している。報告書は「再発防止策」として「軌道整備の着実な実施」「木製枕木からコンクリート製枕木への交換」が望ましいとまるで他人事のように指摘している。たった2.7kmの線路すらまともに維持できないのか、と大半の読者は驚かれるかもしれないが、地方の零細ローカル鉄道は、その程度のことさえできないほど経営が弱体化している。紀州鉄道の経営陣からすれば「そのくらいのことは言われなくてもわかっているが、それでもできないから困っているんだ。そんなことを言うなら補助金出せよ」が偽らざる本音であろう。

 紀州鉄道に限らず、零細ローカル鉄道の中には、すでに毎日、定刻に列車が来ていること自体、奇跡に近い状況のところが数多くある。実際、JR北海道では、仮にも「本線」を名乗っていた2路線(根室本線、日高本線)で大雨が降り、少し線路が流されただけなのに、復旧もしないまま、ある日突然列車が来なくなり、日高本線に至っては大半の区間がそのまま廃線になってしまった。こんなギリギリの状況のところで、事故が起き、運輸安全委員会から「再発防止のため、今後はもっとしっかり保線やってね」と言われたら、そのこと自体が廃業への引き金を引くことになりかねないのである。

 一方で、運輸安全委員会としても「財源の話は国交省の政策部門にしてほしい。事故調査組織であり、担当でもない当委員会に言われても困る」というのが本音だろう。こうして、縦割り行政の弊害で誰もが弱小鉄道を救済しないまま無駄に時間だけが流れているのが問題の背景にある。日本の公共交通はお寒い実態にあり、零細ローカル鉄道もバスも、今日を生きるために少々無理をしても商売せざるを得ない知床遊覧船と五十歩百歩の状況に置かれている。

 弱小公共交通が戦国大名のように群雄割拠する時代はいつまで続くのだろうか。事業者にとっては無益な消耗戦が続き、利用者にとっては安全が犠牲になり、監督官庁にとっては業者の数が多すぎて実のある検査を行き届かせることができない。インターネット用語で言うところの「誰得案件」(誰も得をせず、全員が敗者状態)は、公共交通に限らず他業界にも蔓延しており今や「日本のお家芸」の感があるが、この状態でいいとは誰も思っていないだろう。

 一般路線バス(高速バス以外の通常のバス)をめぐっては、公共交通を熟知している大手持株事業者の下で零細地方バス会社の再編が進行している。本来なら一般路線バス事業を複数の都道府県にまたがって営業することはできないという道路運送法の規定がある(タレント蛭子能収さんが出演する人気番組「全国路線バスの旅」で、出演者一行が県境になるとバス路線がないため、険しい山道を徒歩で越えなければならないのもこの法律に原因がある)。だが、実際には法の目をかいくぐるように、東日本では「みちのりホールディングス」、西日本では「WILLER」(ウィラー)グループが次々と地方零細バス会社を傘下に収めており、このまま行けばいずれ日本全国の一般路線バス会社のほとんどがこの東西2社の子会社として統合されかねない雰囲気が出てきている。

 太平洋戦争開戦前夜、国が「陸上交通事業調整法」を制定し、公共交通機関の戦時大統合を行ったこともある。折しも世は100年に一度のパンデミックと100年に一度の戦争が重なり合う未曾有の局面にある。そろそろ政府が強権を発動しての統合という荒療治を行うことも必要なときではないだろうか。

(2022年5月20日)

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まだまだあるぞ! セクハラ暴言大王・細田衆院議長の「文春も書かなかった暴言」

2022-05-21 08:41:37 | 原発問題/一般
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」に発表した記事をそのまま掲載しています。)

本日発売の「週刊文春」をご覧になっただろうか。女性記者を深夜に自宅に呼び出す、プライベートに関することを執拗に聞くなどの女性蔑視・セクハラを続けていたという細田博之衆院議長の恥ずべき醜聞が踊っている。詳細は週刊誌をご覧いただくとして、この際、筆者はこれまで闇に埋もれて消えていった細田衆院議長の暴言を白日の下に晒しておきたいと思う。

今からさかのぼること約9年前の2013年7月、BSフジの番組に出演した細田氏が、こんなことを宣っている。

「原子力発電を推進しようって、みんな世界中が言っているんですよ」

今さらながら、筆者は世界でどれだけの国に原発があるのか改めて調べてみた。やや古いが、2015年現在の外務省データ(よくある質問/世界の国の数)によれば、世界には196の国があるという。一方、原発を運転しているのは、たったの31カ国である(「世界の原子力発電開発の動向2021年版」/日本原子力産業協会」)。全体の6分の1にも満たない国しか原発を運転していないのに、いったいこれのどこが「世界中」なのだろう。

もっとも、原子力ムラプロパガンダ団体「日本原子力文化財団」が運営しているサイト「エネ百科」でも「世界中で利用されている原子力発電」などと宣っている。世界中の国々の中から原発を持っている国を引き当てる確率はサイコロより低いのに、厚かましくも「世界中」と言ってのけられる図太い神経には毎度のことながら感心させられる。福島の除染で出た汚染土が基準を超えそうになったらいきなり基準のほうを80倍に引き上げたり、福島県伊達市民の被ばく量データを4分の1に切り縮めたりするなど、自分たちに都合が悪いデータが出てくると隠蔽・改ざん・ねつ造・はぐらかしを繰り返してきた原子力ムラだけのことはある。原発を持っていない国を地球上に存在していないことにして、原発推進を唱える国が「世界中」であるかのように見せかける程度のことは朝飯前だろう。

自民党に優しいフジサンケイグループの、BS放送という気楽さもあってか、あけすけに語る細田氏の暴言はまだ続く。

「もちろん福島の不幸はあったけれども、それで全部やめてしまおうという議論を前提にやることは、やっぱりとても耐え難い苦痛を将来の日本国民に与えると逆に思いますね」

私は3.11後の福島を生き、原発事故により「耐え難い苦痛」を味わった。その記憶がまだ生々しく残っていた2013年の段階でこんなことを言われて、細田氏は私が忘れたとでも思っているのか。

細田氏がこんなことを恥ずかしげもなく言ってのけられるのには理由がある。自民党の原発推進派議員連盟「電力安定供給推進議員連盟」会長を長年にわたって務めているのだ。要するに自民党内における「原発推進勢力のドン」である。正常状態でも原発は1年動かしたら1か月は定期点検で止めなければならない。原子力規制委員会の規制基準に適合せず10年以上にわたって止まったまま1ワットも発電していない原発が多くあるのに「安定供給」とはいったい何の冗談だろうか。しかも、今回のウクライナ戦争では原発がロシア軍に占拠され、あわや破壊寸前だった。展開次第ではヨーロッパが全滅する危険すらあったというのに!

細田氏は自民党「憲法改正推進本部長」も務めている。最高裁に勧告された衆院小選挙区の「10増10減」区割り変更の実施に責任を持つべき立場にある衆院議長が、地方を衰退させてきた自民党の罪を棚に上げ、区割り見直しは「地方軽視」だと言い訳を続けている。死ぬまで働いても「年収」が100万にもならない非正規労働者が日本社会の底辺で呻吟しているのに「衆院議長になっても「月収」100万円しか増えない」などと言っている。セクハラ・女性蔑視も当たり前。黒を白と言いくるめ、福島県民が原発事故で受けた被害より、原発がこのままずっと動かないことのほうが「耐え難い苦痛」と言ってはばからない。そんな人物がトップを務める「国権の最低機関」が、この夏の参院選の結果によっては改憲を発議するかもしれないのだ。

あなたのような無自覚、無教養、無神経な人物が国会のトップを務めていることのほうが私にはよほど“耐え難い苦痛”である。今年78歳の細田氏に対し、晩節をこれ以上汚す前に引退するよう勧告する。潔く引退するとともに、この期に及んでも無反省に原発再稼働を進めようとする電力安定供給推進議員連盟も解散してくれたら、あなたも歴史に少しくらい名を残せるし、福島県民も歓迎してくれるに違いない。

<参考記事>「原発推進 世界中言ってる 福島の不幸でやめられない」自民・細田幹事長代行が暴言(「しんぶん赤旗」2013.7.24付け記事)

(文責:黒鉄好)

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北海道の珍地名「ヤリキレナイ川」と室蘭本線撮影

2022-05-16 23:25:21 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
地理マニアの方には割とよく知られている北海道の珍地名「ヤリキレナイ川」。この川のある由仁町は、自宅から割と近いところにある。先日、撮影に行ってきたので報告しておきたい。

<写真>「ヤリキレナイ川」の看板(由仁町内で)


続いては、苫小牧行き1470Dを、由仁駅、三川駅で撮影。

室蘭本線は、三川~沼ノ端間が石炭輸送の名残なのか、今も複線。しかし列車は1日7往復でとてももったいない状態だ。

札幌を経由する必要のない岩見沢方面~函館方面の貨物列車の一部を室蘭線経由にするだけでも、千歳線の混雑緩和にもつながると思う。北海道庁に提案したら、北海道交通政策指針の中にその意見が採用された(実現する気があるとは思えないが)。

<動画>2022年5月撮影 室蘭本線1470D発車シーン

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原発事故避難者が求めていた国連特別報告者の訪日調査、実現へ

2022-05-13 22:08:08 | 原発問題/一般
原発事故の国連報告者が訪日へ 9~10月、初の避難者調査(共同)

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 東京電力福島第1原発事故の避難者調査のため再三訪日を求めていた国連のセシリア・ヒメネスダマリー特別報告者(国内避難民の権利担当)に対し、政府が9月下旬~10月中旬の受け入れを打診したことが12日分かった。外務省が明らかにした。ヒメネスダマリー氏は共同通信の取材に、7月か9月の訪日を希望するとしていたため実現する可能性が高い。

 国連人権理事会に任命された専門家による避難者の本格的調査が初めて行われることになる。

 原発事故の自主避難者は住宅支援打ち切りなどで厳しい生活環境にあり、ヒメネスダマリー氏は2018年から訪日を求めていたが政府は事実上放置していた。
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セシリア・ヒメネスダマリーさんについては、福島からの避難者や支援者らで作る団体が再三にわたって訪日調査を求めてきた。国内への避難なのに難民とは、日本人的感覚では不思議に思えるが、海外では、戦争や原発事故など、本人に非がないにもかかわらず住み慣れた住居を追われた場合、避難先が国内・国外のいずれであるかを問わず、難民として取り扱われることになっている。それが国際標準であり、ネットで避難者を攻撃している連中は恥をさらしているだけと自覚すべきだ。

コロナ前からの懸案なのに、政府はコロナ禍をいいことに訪日調査を拒み続けてきた。ヒメネスダマリーさんの国連特別報告者としての任期は今年10月であり、政府が「任期が切れるまで塩漬け」を狙っていることは明らかだった。共同通信の「放置」という表現は事実を正確に報道している。

この間、山崎誠衆院議員(立憲・比例南関東)を初め、多くの政治家にも動いてもらった。昨年12月には、参院での代表質問で、青木愛議員(立憲)にも質問してもらっている。

こうした多くの関係者の努力が実を結びつつある。福島県では、県民の生活を保障すべき県が逆に避難者を裁判に訴えてまで住居から叩き出そうとしている。このような、福島県政のふざけきった現状を含むあらゆる事態を、訪日調査が実現した場合、ヒメネスダマリーさんに知ってもらうため、当ブログはあらゆる努力を続ける。

<音声のみ>2021.12.10 参院代表質問 青木愛議員(立憲)国連特別報告者問題部分のみ

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【週刊 本の発見】『多数決を疑う~社会的選択理論とは何か』

2022-05-10 23:14:43 | 書評・本の紹介
 (この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

 『多数決を疑う~社会的選択理論とは何か』(坂井豊貴・著、岩波新書、720円+税、2015年4月)評者:黒鉄好

 レイバーネットに日常的に接している人の中には、長い人生で「一度も多数派になんてなれたことがない」という方や、それ以前に「自分は明確にマイノリティであり、多数派になりたくてもそもそもなれない」という方も多いだろう。そんな人たちを含む多種多様な人たちを漏れなく包摂していく社会はどうしたら作れるのか。モヤモヤを抱きつつも、解決策がないままあきらめを抱いている人は本書を手にとってほしい。

 著者・坂井は「政治家や有権者が悪いのではなく、多数決が悪い」と指摘する。多数決を「他の方式と比べて優れているから採用されているわけではない」として「文化的奇習」とまで言い切る。多数決を当然の前提として、野党共闘でどう自民党と闘うかという思考から抜け出せないでいる「反自民陣営」をも、坂井はひらりと飛び越えていく。

 坂井は、現行制度に代わるものとして、ボルダルールなどいくつか世界で採用例のある意見集約ルールを紹介する。ボルダルールとは、例えば5人の候補者がいる場合、1位としたい候補者に5点、2位に4点……というふうに点数付けをし、最下位を1点とする。有権者が付けた合計点を算出し、定数3の選挙区の場合、上位3人を当選とする。スロベニア(旧ユーゴスラビアから独立)が採用している。

 ボルダルール以外にも、様々な意見集約ルールがある。坂井がそれらに基づいて試行すると、すべて異なる結果が導き出された。民意などというものが「本当にあるのか疑わしく思えてくる」(本書P.49)。あるのは意見集約ルールが与えた結果のみなのではないか――坂井が導き出した大胆な結論である。

 現在の小選挙区制も「政権交代可能な二大政党制を作り出す」という目的を持って行われたことを想起されたい。目的が初めにあり、そこに向かっていくために意識的に意見集約ルールを変える。「改革」は狙い通りの結果をもたらすどころか、自民1強という最悪の結末を生んだ。

「現行制度が与える固定観念がいかに強くとも、それは幻の鉄鎖に過ぎない」と本書はいう。そもそも労働者は鎖の他に失うものはなく、人が作ったルールは変えられる。小選挙区制はもちろん、多数決自体を疑ってみよう。今までと違う新たな光景が見えるに違いない。

 本書の第5章では、坂井が関わった東京・小平市の国道328号線問題が突如として登場する。政策決定過程に一般市民がまったく関われないことを問題視し、市民が行政の決定過程に民主的に関与する道を開くべきだという指摘は当然すぎ、重要である。だが社会的選択理論を主題とする著書に唐突にこの問題を紛れ込ませているのには違和感がある。これはこれで十分、1冊の本にするだけの重要問題だと思うので、本書からは独立させ、別書として論じるべきではないだろうか。

 だが、その点を割り引いても、本書は「多数決がすべてではない」との希望を読者に与えてくれる。多くの人に読まれるべき好著との評価を変える必要はない。

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今、当ブログがすべての「主戦論者」に送る全面核戦争の恐怖描いた映画「THE DAY AFTER」(1983年米国)

2022-05-08 18:02:26 | その他社会・時事
ロシアによるウクライナ侵攻から2ヶ月半が経過した。事態は収束の気配を見せないまま、5月9日、ロシアにとって最も重要な祝日である対独戦勝記念日を、まもなく迎える。

日本国内には危うい空気が流れている。侵略者ロシアを懲らしめるために、経済制裁しろ、防衛費を倍増しろ、敵の基地だけでなく中枢も叩ける能力を持て、そして挙げ句の果てには「日本も核武装を」--。核が抑止力にならないことを学ばなければならないのが今回の戦争ではなかっただろうか。

そんな中、四国旅行中の5月1日、現地で見つけた「徳島新聞」に政治学者・姜尚中さんが「保てるか共存可能な世界」と題した一文を寄せている。姜さんは「私たちは敵を倒したとしても味方の存続すらままならない、破局の深淵を垣間見つつある」とした上で、「正義が実現されなくても、醜悪な取引であっても、平和的な「共存」が可能な国際秩序を保つことができるだろうか」と問うている。この問いは、少なくとも「打倒ロシアのためなら何をしてもいい」という極論よりはマシなのではないだろうか。

今、いきり立って「ロシアをせん滅せよ」と叫んでいる人たちは、その正義が絶対かどうか冷静になってもらいたい。人類が破滅してまでも、それは貫かなければならないほどの正当性を持っているのか。「ロシアなんてどうでもいいから、自分は生き残りたい。世界の終末なんて見たくない。自分の人生を楽しみたい」という人がいても、それもまた正義なのではないだろうか。

人類は、今、「正義」とやらのために滅亡の淵に立っている。世界の終末を防ぐには、全員が少しずつ「正義」をあきらめ、譲歩しなければならないのではないだろうか。特に、ロシア制裁を声高に叫ぶ保守層に私は問いたい。20年前、米国がイラクに侵攻したとき、あなた方は「対テロ戦争」と叫び米国を支持していたのではなかったか。同じ「力による一方的な現状変更」なのに、米国ならよく、ロシアならダメだというなら当ブログが納得できるだけの根拠を示してもらいたい。

それに、河合案里事件に見られるように、有権者を汚いカネで買収して不正選挙で勝ち、平和・人権・環境保護・脱原発などを訴える人たちを「お花畑」「9条信者」「きれい事」「対案を出せ」などと口汚く罵ってきたお前らが、相手がロシアになったとたんに正義だのなんだのとご託を並べているのを見ると、吐き気がするんだよ!

ご都合主義の保守層・対ロシア「主戦論者」どもに告ぐ。1983年に米国で公開され、全米に衝撃を与えた映画「THE DAY AFTER」の一部をご紹介する(映画「The Day After」(1983年、米国)から、核爆発の瞬間の場面)。世界全面核戦争になればどのような事態が起きるかを迫真の映像で描いている。日本でも1980年代にテレビ朝日系「日曜洋画劇場」で放送され話題を呼んだ。日本もこのようになるかもしれない。

これを見てもなお、「それでもロシアを倒すべきだ。世界が終わってもいい」という人とは、残念ながら対話の余地はない。当ブログは「ロシアなんてどうでもいいから、自分は生き残りたい。世界の終末なんて見たくない。自分の人生を楽しみたい」と思っているから、そのような人々がもしいたら、容赦なく「敵」とみなす。世界がこのような事態を迎えないため、当ブログは今後もあらゆる努力を続けたい。

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